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価値と意味

先月まで仕事に追われ続けていたのに、急に時間ができて、ぼんやりしている。

忙しかった時は、“時間ができたらあれもやって、これも終わらせて“と思い描いていたのに。
いざ、凪に置かれると自分が“用無し“になったような、言われもない不安に襲われている。

この数ヶ月が異常だったと思うし、裁量労働制なのだから結果を出していれば良いのだ、とは分かっている。
けれど私の仕事は他の人達のように結果を数字で表せない事も多いので、成果は何かと訊かれるとクリアに回答出来ない(だから分かりやすい成果物として、制作物をどれだけ作ったかに逃げてしまいがちでもある)。


先日、ある体験プログラムを提供している企業の方とブレストする機会を得た。
実は前職時、10年以上前にお話したことがあり、その頃は私の力量も予算も何もかもが足りなくて、以来ずっと心残りだったこと。
そこの社長さんは、私がなかなか言語化出来ないでいた思いを汲み取ってくださって、話しながら自分の思いの輪郭がどんどんクリアになる感じを味わった。

さすが元大手新聞社の敏腕記者、敵わない。
言葉は柔らかいのに、瞬時にピタリと本質を突いてくる。
改めて、自分の考えを言語化することの難しさを感じた。


以前、同じような事を感じたことがある。
人生の大先輩でもある知人の言葉。
大手メディアに勤めていた知人はまた、同じように時に鋭い視点で物事を表現するひとだ。

それは私に宛てたものではない言葉だったけれど、客観的に自分の立ち位置や仕事への向き合い方、自分が意識していなかった部分を言語化されて、ハッとしたものだ。

ハイテクハイタッチ、という言葉があります。

最先端技術と奥深い人間性。
テクノロジーは人の向上心から生み出されます。Mさん、Solaさん、Rちゃん、皆、リスペクトすべき人材です。
少し視点を変えると、テクノロジーが豊かな人間性を育む機会にもなるのです。

でも、人間は変わるのが怖いから新しいテクノロジーに様々な理由をつけて排除しようとします。
彼女達の業界はテクノロジーの進歩と、それを善用して自らが変わろうとすることを物凄いスピードで常に求められ続けます。
だから、ハイテクハイタッチであり続けることができます。
彼女達が出来ない理由を述べる時、それは辞める時かクビになることを意味します。

某大手CMOで雲の上のような存在のMさん(私は直接は存じ上げない)と並べて貰うなんて、おこがましくて仕方ないのと同時に、最後の一文にドキリとした。
何も意識していなかったけれど、言われてみると、ああそうだなぁ、と思う。

私は、“出来ない“と言いたくないのだ。
前回のnoteに書かなかった上司の言葉、「もっと好き嫌いで仕事を決めたっていい」「“やりたくない“と言ったっていい」ということが、どうしても納得いかなくて、すんなり『はい、そうします』と答えられなかった。

“やりたくない“ではなくて、それは“出来ない“ではないのか?
“やりたくない“真っ当な理由が見つからない、説明が出来ないというのは、単に自分の力量が足りず“出来ない“からではないのか?
どうしても、そう思ってしまう。

“そんなに気負わなくても良いんじゃないの?“
という人もいる。
私はそこで“出来ない人“のレッテルを貼られることを、恐れている。
走り続けていないと、不安になる。
自分の価値や、ここにいる意味は、他人に決められるものではないと分かっていても…それでも。

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