見出し画像

エッセイ 裏腹な笑いは野球部に降り  2

(1800字程度)


 地べたにあぐらをかいたり、四つん這いになったり、そのまま天井を仰いだり。しばしの間、坊主頭たちの歓談が始まりました。しかし思いのほか、これというものが見つかりません。
「お前、なんか持ってない?」
「そんなの持ってたら、すでに持ってきてるよ」
 しばらくはこんな具合でした。なかなかいいのは出てきません。

 本当はみな分かっていたのです。そんなマンガみたいな、都合のいいことがあるわけがない、と。そんな魔法みたいなことなど起こるはずもなく、結局最後は地味に練習するしかない、と。みな分かってはいたのですが、ただ一瞬の間でも、リラックスして解放されて、その後改めて練習に集中したかった。そういうことだったのだろうと、今は考えています。

 奇跡というものが本当に存在するものか、私には分かりません。しかし、傍で見ていてなにか奇跡が起きたように思えることというのは、間違いなくあるのでしょう。

 一人の坊主頭が、もう一人の坊主頭に、突っかかっていくようにして言いました。
「○○!何かない?」
「特にないな。さだまさしなら、あるけど」
 名前を呼ばれた○○が、よりによってこう答えました。高校球児には珍しく、ぽっちゃり体系の部員で、松井秀喜とお菓子と映画音楽をこよなく愛す高校球児でした。
 そろそろかな、という雰囲気が、あたりを覆っていきました。一人、また一人と、腹筋運動の体勢へと戻っていきます。
「じゃなくて!さだまさしで力が出るか」
「お前、さだまさしの凄さわかってない」
 なおも続く寸劇に、憐れむような苦笑が応じていました。言い出しっぺの坊主頭が、いかにももどかしそうに、もう一度質しました。
「力が出そうなやつ!ロッキーみたいな感じの」

 うちは強いチームとは言えませんでした。野球の神様が降りてきたと感じたことも、ありませんでした。しかし今思えば、その時、野球とは縁のない何かしらの神様が、ちょうど降りてきていたのかもしれません。
「あるよ」

 その後の全員の興奮ぶりが、今も目に浮かぶ様です。
 思わぬ返答に、はじめは皆、信じられない様子をしていました。少しの間ザワザワとした雰囲気が続き、その囁きをバックに、二、三のやりとりがなされました。誤解なんかじゃありませんでした。やり取りが明確になっていくにつれ、クレッシェンドのようにして歓喜の声は大きくなり、そののち、大きな笑い声と共に頂点へと達しました。
 皆、手を叩いて笑っていました。翌日への興奮に耐えられない様子でした。

 翌日になると、約束通り、ぽっちゃり坊主頭がテープを持ってきていました。どうやら、有名な映画音楽をたくさん集めてオムニバスにしたCDを以前から持っていたものらしく、その中に、偶然にもロッキーが収録されていたとのことでした。
 力が出そうな音楽、と言われただけではピンとこなかったものの、ロッキーという具体的なタイトルを聞いた途端に思い出したのでしょう。
 夜から録音したから大変だった、とかなんとかかんとか。一言、二言、多少の愚痴もこぼしてはいましたが、どういう結果になるのか、ぽっちゃり坊主頭本人も楽しみにしているだろうことは、そのニヤけた表情からも明らかでした。

 話の腰を折るようですが、そうは言っても、これで力が増すだろうなどと信じ切っているお人よしは実際には誰一人いなかったと、今でもそう考えています。
 実際、そんなことがあり得るでしょうか。
 一時間、二時間かけて、みっちりトレーニングをしたことがある人なら分かってもらえるかもしれません。それだけ負荷の大きいトレーニングの最中に、音楽一つで何かが変わるなど、それこそフィクションでしかありえないのではないでしょうか。

 いつものように、練習が始まりました。そして少し経つと、筋トレの時間に。
 テープがセットされ、はじめに、言い出しっぺの坊主頭から試してみることになりました。
 二、三人の物好きな坊主頭が、周囲を取り囲んでいました。私の方はといえば、実はあまり本気にしてもいなかったので、少し遠くの方で、こちらはこちらで、トレーニングしていたような記憶があります。おぼろげな記憶しか残っていないのですけども。

 カチッという再生の音の後に、伸び上がるようにして徐々に盛り上がっていくファンファーレ。トランペットの音が二つになり三つになって、覚悟を決めたかのような重低音が鳴り響く。さあ、有名なあのロッキーのフレーズだ。


(つづく)

この記事が参加している募集

やってみた

高校野球を語ろう

書いたもので役に立てれば、それは光栄なことです。それに対価が頂けるとなれば、私にとっては至福の時です。そういう瞬間を味わってもいいのかなと、最近考えるようになりました。大きな糧として長く続けていきたいと思います。サポート、よろしくお願いいたします。