アイドルの気持ち
先日、3月26日に初めての茶道教室を終えました。
当日は晴れ女の私にしては珍しく
土砂降りで肌寒く
それでも帰ってきて脱いだ着物、補正のタオルが汗だくだった。
何はともあれ、参加者の皆さんが怪我などなく、無事に終えられたことにホッとしています。
本当にありがとうございました。
終わった瞬間は脱力感、今後の課題、そして参加者の方および、周りの人達への感謝の思いが入り混じり、なんとも言えない高揚感。
ステージ上で手を振るアイドル
(イメージビジュアルがキツイめ)のような
みんなありがとーーー!の気持ち。
そしてすぐさまこの気持ちをnoteに書きたかったのだけど、
全然言葉が出てこない。
単に語彙力、表現力が乏しいとも言えるのだけど、自分が思い浮かぶどの言葉も軽くて
私の気持ちにピタと合う表現が見当たらなかった。
そんな中、友人が教室当日にかいたよと
ありがたい手紙を送ってくれ、
私はそれにすぐに返事をしたくてメールした。
うまく言葉にできないんだよ。
と言う私に、
その気持ちはあなただけのものだから
無理に言葉にしなくても良いんじゃないか。
と教えてくれた。
そうか。
そう言うもんなのか。
でもこの大事な気持ちをどこかに残せておけたなら。
講座が終わって、バタバタと娘の入園準備やらしていたら、いつのまにかこんなに時間がかかってしまった。
というか、《どこかに残す》ことを諦めていたのかもしれない。
入園式を終え、
毎日行きたくないと言いながら通う娘の姿を
涙ながらに見送り、部屋に戻った後
やる気スイッチを押すために
お気に入りPodcastを聞き回りしながら
家事をする。
その中の一つに『味な副音声』という番組がある。
平野紗希子さんの独特な表現が好きで
(著書『産まれた時からアルデンテ』は衝撃的だった)聞いているのだが、
スープストックトウキョウの遠山正道さんをゲストに迎えた回に自分がハマった言葉があった。
全てを言葉で表すことは表現しがたくて
でもそれをいかに価値化、共感できるか
がこれからの課題だ
という話だ。
教室をやる
となると、何かを伝えたい。と考えがちだけど、私にはこれといって伝えたいことがない笑
でもいつも立ち止まる。
伝えるってなに?
そもそも私は茶道の師匠にそんな類の言葉をかけられたことがない。
私が通うお教室はみんなそれぞれ習う目的も
お稽古での感じ方も違っていたように思う。
何より師匠から《伝える》《伝えられる》のは
手順や、所作の美しさであり、
それ以上でもそれ以下でもない。
それが茶道の懐の深さでもあり、
曖昧でよくわからない、敷居の高さを感じてしまうところなのかなとおもう。
私はもっと単純で
こども、そして親が、
やってみた茶道が楽しかったこと、
経験をとおして記憶として残してもらいたい
だけなのだ。
うーん。書いてみて、またこれが自分の気持ちをうまく表現できているのかは不明だけど、
言葉とはほんのごく一部を表現するだけのものであり、またそれに翻弄されるのが私たちなのだなと思った。
今回の講座、お手伝いしてくださっている
コトパスのこと先生(https://lit.link/cotopas)のおかげで、ありがたいことに初回なのにも関わらず満員御礼。
急遽準備した午後の回も満員、
そしてキャンセル待ち多数という
自分で言うのもなんだけど、ものすごい好調な滑り出しとなった。
そして、その事実にめちゃくちゃ震えた。
失敗したらどうしよーという私に、前日に夫がかけてくれた言葉がこれ。
大丈夫!すずめ(わたし)はこどもに好かれる才能だけはあるからな!
確かに。こどもに嫌われたことは無い。
(気づいてないだけかもしれないけど)
ならばこの機会を楽しもうと!
と思えた。結果前日はよく眠れた。
当日、喋りは相変わらずイマイチで
聞き取りにくい部分もあり
沢山の課題を抱えたけれど、
次回は9月というめっちゃ先の講座の予約が
リピーターで埋まるというありがたい結果をもたらした。
(午後の部はまだ空きあります!)
これから講座内容を詰めていくのだが、
またまたプレッシャー!
頭の片隅には《こども茶道教室》の文字が
ずん!と常に潜んでいる。