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○○したいのか?幸せになりたいのか?

京大卒元メガバンカーの総一郎です。


娘の成長を見ると感動することが多い。

初めてパパと言ってくれた時。

初めてお座りできるようになった時。

初めてハイハイできるようになった時。

初めて歩けるようになった時。

初めて二語文を話すようになった時。

最近はというと、会うたびに語彙が増えているので少しぐらいの成長も当たり前のように感じてきていちいち感動出来なくなってきてしまっている。

が、昨日ちょっと感動したことが有った。

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▼○○したいのか?幸せになりたいのか?
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最近は色を塗るのが好きなのか、レストランで貰ってきた塗り絵を一生懸命塗っていた。

「パパも手伝って」
「パパはここを塗って」

と言うものだから娘の指示通りのクレヨンで指示された場所を塗る。

僕の番が終わり娘がまた一人で塗り始める。

娘はまだ3歳なので当然手元は定まらず、境界線の中だけを塗るなんてことは出来ない。

はみ出しながらも何となくコッチからコッチは何色、という感じで塗り分けていく。

そして先ほど僕が塗った部分の近くを塗っているとき、案の定はみ出して僕の塗った色の上に別の色を重ね塗りをしてしまう。

すると、娘が

「ごめんね」

と言った。

もちろん僕が塗った色の上に別の色を重ねられようが僕は何とも思わないが、娘は謝ってくれたのだ。

音を覚えて繰り返しただけでなく、ちゃんと適切な文脈で、自分の判断で「ごめんね」と言ってくれたのだ。

こうして人間は「ごめんね」と言えるようになるのだ。

かたや多少非難されただけで反発して「ごめんね」なんて謝辞はもう何年も聞いていない父。

こうして人間は「ごめんね」が言えなくなっていくのだろうか。

大人になるとプライドが邪魔して素直にごめんねやありがとうが言えなくなっていきがちだ。

恥ずかしい話だが、僕もそうだった。

関係が近ければ近いほど、ありがとうやごめんねなんて水臭いことは言わなくて良いと考えてしまっていた。

100%相手が悪いなんてことは有り得ないのに、自分は1ミリも悪くないと思ったら謝らないという頑なな姿勢を貫いていた時期も有る。

が、そんな安い「プライド」や、どちらが正しいかという「正しさ」や、どちらが悪いかという「善悪」なんてものは糞喰らえだ。

プライドを傷つけられたくないのか、幸せになりたいのか?
正しくありたいのか、幸せになりたいのか?
悪者になりたくないのか、幸せになりたいのか?
議論に勝ちたいのか、幸せになりたいのか?

答えは明白だ。

幸せになるために優先するべきものは何なのか?

子どもが一番よく分かっているのかもしれない。

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