俺の人生ってしょぼかった。
8ヶ月間続けた、Sansan株式会社でのインターンが終了しました。
この約1年間は、自分の人生の中で最も濃い時間だったなと思います。
自分自身での内省や上司との面談を通して、
今まではずっと逃げてきた、自分の人生と向き合うことに、初めて本気で取り組みました。
結果、「22年間の人生の自己否定」をし、「これからの人生の覚悟」を決めることができました。
今回のnoteでは、この思考に至るまでのプロセスと、自分のビジョンについて書きます。
アップする理由としては、
・思考しただけで終わらせずに、行動に移し、人生のターニングポイントとするため。
・自分と同じような境遇や思考をしている、就活生の参考になれば嬉しい。
(自分の思考や体験を発信するのは、初めてなので、震えていますが、暖かい目で見てください。)
Sansanでのインターンを通して
インターンを始めた理由は、今回ここに書くと長くなるので、もしご興味あれば、Wantedlyの記事を読んでいただけたら嬉しいです。
新卒採用Groupに所属し、「Sansanとの出会いから学生の可能性を広げる」ということを自身のミッションに掲げ、業務に向き合いました。
具体的な業務内容は、
・スカウト
・採用施策の企画と運営
・メディア運用(Wantedlyやオウンドメディアの記事の執筆)
などなど。
チームのミッションの実現(≒採用目標人数の達成)に対して、社員さんのリソースを見ながら足りていないところを、全て拾うという形でした。
今振り返ると、成果を残すためにやればよかったなーと思うことは、数え切れないほどあります。
一方で、身についたスキルやスタンスもあると思っています。
ただ、今回のインターンでの最も大きな収穫は2つで、
①今までの人生のしょぼさに気づけたこと。
②自分のビジョンに覚悟が持てたこと。
記述していきます。
弱みと向き合わなかった22年間
自分と徹底的に向き合って、22年間で初めて「自己否定」をすることになりました。
自己否定をする前の自分を一言で表すと、ポジティブ人間。
「いろんな失敗をしてきたけど、その失敗があるから、今こうやっていい環境で生きている。もし、あのとき成功して、違う選択をしていたら、今みたいな環境にいないかもしれないなー。」
こんな感じの思考です。僕以外にも多いのではないでしょうか?
例えば、高校までのサッカーの失敗と大学受験の成功。
2006年のドイツW杯を見た、小学3年生の僕は、中村俊輔選手に憧れて、桐光学園で高校サッカー選手権の舞台に立つことを夢見ました。
自分の意志で中学受験をし、桐光に入り、サッカーも三菱養和というある程度、知名度も実力もあるクラブチームに入った。順風満帆だと思っていた。
ただ、中学3年生のときに、桐光の高校サッカー部のセレクションに落ちた。これが失敗①。
選手権の夢は諦められなかったし、学力レベルも落としたくなかった。決定的だったことは、自分を落とした桐光を見返したい。その想いを持って、同じ神奈川の桐蔭学園の門を叩いた。
ただ、結局、高校3年間で自分がスタメンとして、同期や後輩の声援を受け、ピッチに立つことは一度もなかった。みんなが選手権予選まで続ける中、このままではサッカーも勉強も中途半端に終わると思って、7月のインハイ予選で引退した。これが失敗②。
サッカーで結果を残せなかったリベンジのために、受験勉強は本当に死ぬほどやった。偏差値40台からのスタートで早慶を目指し、朝6時から夜23時まで勉強し、地元のスタバからの帰り道は、いつもストレスで嗚咽していた。合格できなければ「死ぬ」と思って勉強していた。結果的に、慶應に合格して、リベンジは果たせた。これは成功。
「勉強で成功して慶應に合格することができたから、サッカーで試合に出れなかったことは、失敗じゃなかった。」と思ってる自分がずっといました。
よく言えば未来志向だし、過去の失敗に執着してずるずる引きずっている人よりはいいと思っていました。
しかし、インターンを通して、自分と本気で向き合い、上司にも本気で向き合っていただいたときに、22年間の自分の人生を初めて、否定することができました。
今までの僕は、自分の全ての失敗のシャッターを閉じ、失敗からは目を背けて、成功や他人からのいい評価だけに目を向けて、「大丈夫だ。」自己肯定していた。
けれど、振り返ってみると、全ての失敗の根底にあるものは、「弱さと向き合わなかった姿勢」でした。
桐光のセレクションに落ちたことも、桐蔭で試合に出れなかったことも、キッカーズでリーグ戦を降格させたことも、インターンで成果残せなかったことも、全ての失敗が、「自分の弱さと向き合わなかった」から。
そう考えると、
「俺の22年間の人生ってしょぼかったな」
何も成していないなって思ったし、しょぼい自分だったことが悔しくて、上司との面談中にめちゃめちゃ涙が出ました。
悔しかったからこそ、22年間のしょぼかった自分とは別れを告げ、残りの人生は本気で何かを成したいと思いました。この日を、人生のターニングポイントにすると。
22年間の唯一の財産
ここまで散々、自分の人生を否定してきましたが、振り返ってみると、唯一誇れるものがありました。
それは、「人との繋がり」です。
感謝している人が多すぎて、バイネームであげることができないですが、
不器用な自分を支えてくれた、親友。
時には厳しく自由に育ててくれた、コーチや先生。
雑魚かった自分に本気で向き合ってくれた、Sansanの社員さん。
そして、22年間深い愛で育ててくれた、家族。
「人」には、本当に恵まれたなと胸を張って言えます。
大学4年の終わりになり、いろいろな気持ちが錯綜していますが、この一年を経て偽りのない自分のビジョンが生まれました。
ビジョン① 「家族・仲間を幸せにする」**
エモい気持ちになりながらも、自分は常に愛を与えてもらう側で、誰にも、何も、僕から与えられていないなと思います。
与えられた愛を返すと同時に、自分の将来の家族にも、自分が家族に与えてもらったように、愛深く接することができればいいなと思ってます。
普段はあまり照れ臭くて言えていないですが、本当にみんないつもありがとう。みんなのお陰で、俺は本当に幸せです。
ビジョン② 「世界を変える」ことに覚悟を持ってコミットする**
これは、ここ数ヶ月で覚悟決まりました。
一番最初の原体験としては、大学二年生の頃見たイーロンマスクのTed Talkです。
これを見て、その当時まで勉強とサッカーしかしていなかった、僕はめちゃめちゃ鳥肌が立ちました。
「テクノロジーの力で世界ってこんなに大きく変わっていくのか!俺も将来こんなでかいことをやりたい!!」
ただ、就活を通して、この想いを殺していきました。原体験ありきで、原体験から自分のやりたいことを仮留めし、会社の方向性と重なった時に、内定が出るという、一種のゲームのような就活の中では、「世界を変える」とか言っても受からないなと。
そんな、泥沼の就職活動をする中で、直感的に「ここだ!」と思ったのが、リンクアンドモチベーションでした。
HEATというインターンに参加して、現オープンワークの取締役副社長を務める大澤陽樹さんが、「世界を変える」と仰っていたことが胸に刺さりました。
しかし、正直、このときは、自分の覚悟に半信半疑で、志望理由を話す時も、自分の原体験から来る、「組織」に焦点を当てたビジネスモデルや、社員が仕事に熱狂している部分に魅力を感じたことを伝えていました。
若干、腹落ちしていない自分がいる感じでした。
ただ、Sansanでのインターンを通して、「世界を変える」ことに覚悟を持てました。
きっかけとしては2つで、
①社員さんとの関わりの中で、原体験とか関係なく、自分の志やビジョンに対して、覚悟を持って「やる」か「やらないか」、それだけだなと思えたこと。
Sansanは、本当にミッションドリブンな会社で、関わっていただいた社員さんの多くが、「世界を変えるんだ」「新しい当たり前を作るんだ」とか、覚悟と自覚を持って言っていました。この環境に身を置けて、関わっていただいたことは、本当に貴重な経験でした。
②自分の22年間の人生のしょぼさに気づき、なにか成し遂げたいと思えたこと。
前述ですが、初めて本気で自分の人生を振り返って、しょぼかったなと思っています。いつか死が来ることは、不変の事実なので、どうせ一回きりの人生だし、自分の真っ直ぐな気持ちに素直になって、この壮大なビジョンに向きあいます。
これからの自分
こんなことをここ数ヶ月間考えた結果、実力は本当に0ですが、覚悟持って「世界を変える」ことに挑戦します。
幻冬社の見城さんは『たった一人の熱狂』のなかで、こう述べていました。
「覚悟」とは、このためには死んでもいいと心に決めることである
まずは、4月から、志高い仲間たちと一緒に、リンクアンドモチベーションで、ばちばちに成果を残します。成果を残す過程で、自分自身も成長して、一年後にSansanの社員さんに、逞しくなった姿を見せたいと思います。
また、現在、念願だったシリコンバレーに来ています。1ヶ月半という短い時間ですが、英語力とともに現地の起業家のマインドも吸収します。シリコンバレーでやってることは、随時noteやTwitterで更新していくので、ご期待ください。
追記
この記事で、delyの柴田さんが、アリババのジャック・マーの言葉を引用し、めちゃめちゃいいこと書いていました。
「大企業はプロセスを教えてくれる。一方で、僕らみたいなサイズのベンチャーは、夢と情熱を持つ方法を教えてくれる」
夢と情熱を持って、自分の人生を生きます。
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