ヒーローになりたかった少年の唄2021④
幼き日のSF考
今日の話は、音楽からはちょいと外れて「文学」についての話題にしたいと思う。インスト以外の楽曲を作るときには当然作詞もするので、音楽と文学はまさに切っても切れない縁で繋がっているのだ。
僕は「文学中毒」という病気を長年患ってきた。
インターネットという特効薬の出現によって、YouTube動画なんかに置き換えられ、今ではかなり治まったとはいえ、やはり僕にとって文章を読むという娯楽は、酒、タバコ、音楽と同じくらいに人生を楽しむための大切なファクターであり、精神や身体に悪いとかそんなことはどうでもいい。中毒者としてみたら、とにかく一秒でも早く注射針を静脈にぶっこんでトリップしたいのだ。
今でもふと小説なんかを手に取ると、明日仕事で朝が早いとわかっていても寝ずに最後まで読み耽ってしまう。全く興味のない文章でも、読み出したら読み終えるまでなかなか収まりがつかないのだ。
僕が文学の深い泥沼にハマった最初の記憶は、小学3年生か4年生の頃。
「カモメのジョナサン」という、アメリカのラッセル・マンソンさんの作品を五木寛之さんが訳したもの。
幼いながら初めて子供用ではないちゃんとした小説を読破したのだ。
どういう経緯でその小説を手に入れたのかは憶えていないが、母方の祖母の家にすごい量の本があったので、その中から無作為に選んだのかもしれない。またこの頃僕は、知らない漢字や言葉の意味は辞書で引けばわかるんだということを覚え、そこから自力で読める文章の裾野が一気に広がった。
今でいうGoogle検索である。
カモメのジョナサンはヒッピーカルチャーにも繋がる、かなり哲学的な内容であり、10歳にも満たない子供には難解な深い内容だったが、僕は学校に行くにも遊びに行くにもその本を脇に抱えていた。
学校で先生にその本を見られて、「お前はもうこんな本読んでるのか?すごいなぁ……」とか言われて更にモチベーションが上がりまくり、褒められると伸びるタイプの僕は辞書を引きながら毎日読書に没頭し、そして読破した。
もちろんガキンチョの僕がいくら調べても意味のわからない部分はたくさんあって、本来の物語の趣旨をちゃんと理解していたとはお世辞にも言い難いのだが、読み終えた時には今まで感じたことのなかった深い充実感があり、「本の中にはなんと深い素晴らしい世界があるものか」と感動した。
それから、暇さえあれば本を読む毎日が続く。
次に読み出したのが星新一さんの本。
「ボッコちゃん」という短編集だった。
ショートショートの名作と言われる作品で、これを読み出してからはもう、今が現実なのか本の中なのかわからなくなるくらいにハマった。
今思えばこの時点で、すでに僕は充分立派な文学依存症患者だったのではないかと思う。
地元の古本屋で手当たり次第に星新一の本を手に入れた。
そのうち、こういった小説のジャンルが「SF」と呼ばれているものだということを知った。
時には浮気して推理小説やミステリー、ドキュメンタリーや歴史ものなどにも手を出してみたが、はっきりいってSF作品と比べ没入できる深さがあまりにも違った。
僕はSF(サイエンス・フィクション)の虜となっていた。
新刊や装丁の綺麗な本は高価で買えなかったが、カバーが取れたやつや、日焼けで色の飛んだ古本は50円とか80円とかいう、自分の小遣いで手の届くくらいの値段で売られていた。
僕の興味は文章のナカミでしかなく、発刊が新しかろうが本が綺麗だろうがそんなものはどうでもよかったので、とにかく古いボロボロの安本をシコタマ買っては読み耽った。
近場で手に入る星新一の本がなくなったので、僕は他のSF作家にもドンドン手を出した。
小松左京、眉村卓、光瀬龍、半村良、夢枕漠、矢野徹、豊田有恒、新井素子……
まだまだあるが、どれも素晴らしい作品で、寝不足で毎晩それを読み耽る僕の毎日は、光輝いていた。
この経験が元で、昭和の文豪たちの作品も実はSFとなんら変わらない作品だということに気づき、江戸川乱歩、太宰治、夢野久作、竹久夢二、宮沢賢治、井伏鱒二、安部公房、三島由紀夫などなどの本すら普通に娯楽として楽しめるようになった。
当時同じくらいの歳の子達が読んでいた赤川次郎さんとか井上ひさしさんとかの本はほとんど読まなかった。
心臓をえぐるような奇抜なアイディアや、後味の悪いブラッジョーク、そこはかとなく狂気の匂いのするものに飢えていた僕は、子供向けという雰囲気だけで、児童文学的なものについてはもう読む気が失せてしまったのだ。
このあたりが小学校5~6年生、僕の文学中毒度約70%くらいの時代である。
そんな中、更に飛び抜けて僕の心を掴んでしまった作家がいた。
筒井康隆氏である。
はぁぁぁ。。。。
もう、名前を書くだけで恍惚としてしまうほど、氏の作品はすごかった。
カモメのジョナサンの時のように、学校にももちろん筒井康隆の小説を抱えて行った。
だが、学校の先生はその本を見て今度はなぜか表情を曇らせた。
理由は知らない(笑)
しかし、僕はそんな先生の顔を見ても、ただ薄気味悪くケケケと笑うだけであった。
そう、僕の中毒症状はいつの間にかすでに末期に達していたのだ。
筒井康隆氏は、後に「くたばれPTA」「無人警察」などの超問題作を多数発表する作家なのであった。
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