見出し画像

どんなに個人的な作品も、ちゃんと世界とつながっている

イギリスで見た日本のバンドのライブ

その昔、イギリスでとある日本人のバンドのライブを見たことがある。MONOというバンドで、まあMONOと聞くとおそらく100人中99人は消しゴムを思い浮かべると思うが、そっちではない。

MONOは、ポスト・ロックというニッチな音楽ジャンルで、長きにわたり地道に活動してきた4人組のバンドである。1999年結成なので、彼らのキャリアは今ではもう20年を超える。

会場となったサウンド・コントロールというライブハウスは、イギリスの中都市マンチェスターにある、300人も入ればいっぱいの比較的小さな箱だった。

外国で日本のバンドを見るという微妙な違和感を心の内に抱えつつ、底冷えする12月に、ライブハウスに向かった。入口のいかついセキュリティにチケットを見せて入場する。

人の入りがどうにも寂しく、関係者でもないのに余計にもライブの採算を心配したりもしたのだが、しかし開演が近づくにつれみるみる客数は増え、オープニングのBGMが流れた時点ではライブハウスは8割がた埋まっていた。邦人は、私と友達を除けばゼロで、客のほとんどが地元のイギリス人である。

夜9時すぎに、リバーブがたっぷりとのったギターリフと共にライブが始まった。そこから観客の視線は狂信的にステージに注がれ続けた。

静寂と轟音を往復するMONOのサウンドは妙に禍々しくて、私はその音を聞きながら、イギリスの濃い霧雨の夜の中を疾走する、黒塗りのタクシーを思い起こしていた。それでいて、じれっとしたメロディラインは、まったくもって東洋的だった。

曲の切れ目には分厚い拍手と声援が巻き起こる。ベテランらしくミスは全くなく、ライブ半ばでステージ前方で踊り狂っていたおそらくドラッグ中毒のおっさんが倒れるなどのハプニングがありつつも、1時間半ほどでライブは無事終わった。

喝采の嵐と共にステージを去る4人を見て、心に残るものがあった。もちろん演奏自体も良かった。だが、それ以上に極東の片田舎の島国からきたバンドが、おなじく西の片隅の島国の、さほど大都市でもないマンチェスターという街で単独ライブを行うこと、そしてしっかり客を集め、パフォーマンスをこなして、違う人種の人々を熱狂させ、大声援を浴びて帰っていくとい出来事そのものに、感銘を覚えた。

それは決して簡単なことではなくて、間違いなくMONOというバンドの、日々の活動の積み重ねの果てに得られた収穫なのだろう。

その一方で、情報がむやみやたらと飛び交うこの時代が、彼らのように粘り強く、地道に戦うバンドを強く後押ししていることはまぎれもない事実だと思った。

作品は軽やかに世界をめぐり、どこまでも広がる

今は、かつてないほどに、コンテンツの拡散性が高まっている時代で、当り前の話だと感じるかもしれないが、たとえばあなたがなんとなく何かを作ったとして、その音楽や絵やプログラムや小説や企画やあるいは何かしらは、今や冗談抜きに、本当の本当に文字通り「世界中」に散らばる潜在性を秘めている。

ときに全く予期しない文脈で、ときに計算通りに、コンテンツは一瞬で世界をめぐり、とんでもないところに着地して、その足でまた走り回って、どんどんと広がっていく。その姿を少しでも頭に描いてみると、あまりのダイナミックさにうろたえてしまう。そして自分が作った何らかのコンテンツが広がる可能性は、作り続ければ作り続けるほど高まるのだと言える。

世界と繋がる糸を途切れさせないために

今日も日本の片隅で、匿名的個人が、ごくごく個人的な理由で色々なものを作り続けているはずだ。

誰に頼まれたわけでもいないのに、誰に期待されているわけでもないのに、ほんのちょっとした変更にさえうだうだと悩みながら、己の才能の空っぽさに絶望しながら、どうにもうまくイメージを形にできない未熟さをもどかしく思いながら、きっと色々なものを作っている。

そして今やそれらは確実に――その糸がどれほど細かろうが――世界と繋がっているのだ。

だから、コンテンツを潜在的に待っているまだ見ぬ、世界にいるあなたのファンをがっかりさせないように、手を抜いてはいけないのだと思う。そして作りたい人は作りたいだけ作りたいものを、最後まで作り続けるのが良いのだと思う。

あの日、ライブ終わりに、冷たい雨が降る氷点下の道を、会場に渦巻いていた熱気の残りを懐炉がわりにして歩いた。耳鳴りの止まない頭の中で、ドラッグ中毒のおっさんがライブ中にがなり立てていた"You are the best !!!"という叫び声がいつまでも回り続けていたことを、いまだにはっきりと覚えている。(了)

この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?