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【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第4回|胡桃の中の世界|石躍凌摩

庭師としての日々の実践と思索の只中から、この世界とそこで生きる人間への新しい視点を切り開いていくエッセイ。二十四節気に合わせて、月に2回更新します。

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第4回|胡桃の中の世界


 中秋の名月の翌日に、染めもの屋ふく(*1)主催の「草紐の会」に参加してきた。気づくとどこにでも生えている苧麻(チョマ、カラムシ、ラミー)は、明治に入って綿が広く普及する以前には、これが衣服の素材の主流をなしており、かつては広く栽培され、工夫の末に糸がまれて、布が織られてきたという。それは今でも使われており、私がいつも被っている、作家・花月日(*2)の手になる種蒔帽たねまきぼうと名付けられた帽子にも、亜麻リネン苧麻ラミー経緯たてよこに織られた不均一さのうつくしい布が使われている。ここでいう草紐とはそうした糸からなるものではなく、もっと簡単に、そこらにありふれてある苧麻にすこし手をかけるだけで、誰にでもつくれるものだと聞いて、主催のふくさんに参加申請の連絡をすると、「苧麻ひとつ覚えるだけで、繊維と食べるのに困らなくなりますよ」と返事があった。本当だとすれば、それは物凄いことだと思った。

 というのも、遡ること二週間前、会場となった染めもの屋ふくの工房から歩いてすぐの游仙菴ゆうせんあん(*3)の庭に、私はこの七月から毎月手入れに通っているのだが、ひと月前の夏の盛りに根元から刈りとったはずの苧麻が、まるで何事もなかったかのように、というよりはむしろ、刈った切り口の下からさらに分岐してより多くの葉を生やしていて、施主の美奈子さんもほとほと困り顔だったから。さらにも苧麻が宿根草しゅっこんそうであるからは、以前からきっとここにあり、関わり方によってはこれからさらに殖え広がるだろうと思うにつけ、つくづく草とは、知れば知るほどに、敵とすればとても敵ったものではないが、友とすればまたこれほど生きやすいこともないのではないか。毎年かならず生えてくるということが、のしかかる重荷となるか、生活の糧となるかで、世界が変わるといっても過言ではない。

 会場に着くと、作業机には苧麻だけでなく、大麻、、芭蕉もあって、苧麻、藺、芭蕉はふくさんが工房の近くから、苧麻はそこらにあったのを、芭蕉は近隣の庭で風に倒れていたのを、藺は山から採ってきたという。藺とは、あの畳をつくるぐさの藺で、長年ひとの起き伏しにも耐える畳が、こんなにも繊細でうつくしい草からつくられていたとは、と思わず手にとり、かぐと草らしい香りの奥から、そこはかとなく畳が匂う。そうして大麻は、日本では今でも栽培するのに国の認可が必要で、中国産のものを買われたそうだが、その繊維のうつくしさもさることながら、調べると、ひとつの植物でこれほど様々に使えるものも他にないのではないか。物は使いようなのだから規制に関しては緩和の方向で、という動きもあるそうで、人間と植物との関係だけをとってみても、世界は広く、それはもっと広いのだと思い知らされる。

 手はじめにその、大麻から紐をっていく。はじめにすこし手間どったものの、馴れると無心に手が動いて、藺、苧麻と次々に紐を縒るうちに、呼吸が深くなっていくのを感じる。次第にはなかば自動の域に至って、動かすともなく手は動いて紐を縒り、居合わせた人々のたのしそうに話しているのへ耳をやるそばから、かすかにせせらぎが聞こえてくる。そういえば工房の横には細い川が流れていた、と思うと、辺りが静まったようにせせらぎばかりが耳について、その細い流れを耳で辿っていくうちに、いつともどことも知れない彼方にも、こうしてひと所に寄り合って、しきりに会話を交わしながらも手際よく、銘々に持ち寄った手仕事を営む人々の中に、ひとり自らの内に籠るようにしんしんと手仕事に耽っているひとの、真剣ながらもどこか長閑な面影が浮かんでくる。これまで誰もがそうしてきたようなことに、自身としてもくりかえしこの身をつらねるということは、どこかしら深いやすらぎにつうじているのではないか、と縒り上がった草紐に目をやると、半分を過ぎた辺りから気が抜けたように縒りが粗くなっている。これもまた味か、と先の始末をつけてから、またつぎの草紐へと手をかけていく。

 ひとしきり、思い思いに草を縒ったところで、今度は実際にいま生えている苧麻を探しに行きましょうと声がかかる。と、玄関を出てすぐのところで、不意にふくさんがしゃがみこみ、辺りに生えている草を手のひらで撫でながら「どんな草でもいいんです、感覚で、これは紐になりそうだなって思ったら、こうして縒ってみて」と彼女の仕事柄、ほんのりと茜に染まった両の手に、いましがた抜かれたばかりの青々とした草が縒られ、つれてかすかに草色が滲んでいく。感覚で、感覚で、と反芻しながら辺りを見ていくと、これまで気にも留めなかった草たちがありありと目に飛び込んできて、あれも、これも、と見ていくうちに、それらがすべて紐になるかもしれないということがにわかにそらおそろしいことに思われて、惹き込まれるすんでのところで立ち上がり、見知った苧麻のある方へと向かった。

 工房につうじる一本道の、片側は桜の見事につらなる並木道となっていて、もう片側には田んぼがいくつも段をなして、山の方までつづいている。その田んぼのへりには、いまにも赤く咲きそうな彼岸花をひき立てるように、いちめんに渡って緑の苧麻が生い茂っている。見れば、紫蘇に似た葉は互生ごせいについて、風に揺れると葉うらの白がすずしく、折から生成りの地味な花をつけている。この花が咲きはじめると皮が採りにくいそうで、花の咲いていないものを選って根元から刈りとり、先端のまだ色若い新芽から摘んで、これは食べますから、と腰に結んだ袋にいれ、摘んだ先から根元へと手をすべらせるように葉をぐと、根元を手折った裂け目から、今度は先端までひと息に薄皮を剥く。ここから衣服を織るための糸を採るには、苧引おひきといって、それに適した金属片で皮の内側にある繊維をこそげとるのだが、そこまでせずとも、剥いた皮を乾かすだけで、さっきひとしきり縒った紐の素となる。乾かしておけば保存も効き、縒りたいときにはこれをまた昆布のように水に戻せば使えるという。

 草紐の会の締めくくりに、袋にあつめた苧麻からペーストをつくる。野草は大体が陰性で冷えるので、アクはよくとった方がいい、と塩をして、ぐらぐら沸かしたお湯に数分ゆがいて、よく水にさらしたものを、水気もそのままに包丁で刻んで、ペースト状になるまですり鉢にすれば、全体にとろみが出てくる。味見すると、このとろみが絶妙で、くせはなく、ほとんど無味に近い。それでいて薬効もあり、栄養価も高く──葉に含まれる鉄分、カリウムはほうれん草の約3.5倍、ビタミンAはにんじんの約1.6倍あるというから驚きである──、色もあざやかで、これなら納豆に混ぜても、とろろご飯のようにしても、ジェノベーゼにしてもいい、と色々アイデアが湧いてくる。ふくさんはすり鉢ですったところにそのまま白玉粉を混ぜ合わせて、団子にして食べるのにはまっているらしく、よもぎ団子は風味からして春のものだが、苧麻団子なら風味を問わないから折にふれ食べたのだという。秋のこの時期にも採れる苧麻をすりいれて、月見団子をこしらえるというのもまた趣きがあっていいかもしれない。団子といえば、以前に草紐の会に参加されたある甘味屋さんが、自分のつくったお菓子を包装するのに百本も草紐を縒ったらしい、と聞いて、これが日用品に事を欠く時代の話ならまだしも、紐など買えばいくらでもあるようで、それでも時折り贈り合うちょっとした小づつみに、贈り手の生きた情景の偲ばれる草紐が結われているというのは、想像するだけでもいいものだった。

 「これ、団子じゃないんですけど、もしよかったら」と月白に居合わせた方から、おはぎが振る舞われる。つつみを解くと、中にはあんこと胡麻が入っていて、私は胡麻のをいただいた。中秋の名月に月見をするために、いつもより長く開けていた月白には、それからも月に合いそうな甘味を持ち寄って、いろんな人たちが訪れていた。

 カウンターに居合わせたひとたちと、これまで月見をしたことがあったかどうか、とたずねあう。そういえば私も、このときがはじめてだった。月というものは偶然に、見つけたら見るもので、見ようと思って甘味やお酒や場をしつらえたことは一度もなかった。似たようなもので花見なら、これまで何度もやってきたけれど、それも長らくしていない。というのは別に流行病のせいでもなくて、もっと以前に、花見のために熊本を訪れた際に立ち寄った「さかむら」(*4)で、「花見はひとりにかぎりますよ」と店主になかば嗜められるようにおそわり、ひとりでどこの桜を見るのかとたずねると、「それは秘密ですよ」といよいよ嗜められる、ということがあった。そうして、花見というものは、桜の花のつぼんでくる頃合いから、懐中に酒と肴をしのばせて──なにも上等のものでなくていい、かえって良すぎると、花に障る、あくまでも花見は花が主役なんだから、ワンカップと安い缶つまでもあればそれでいい──つぼみが、ひらいて、そうして散るまで、来る日も来る日も見つめるものだと、あのときおそわって以来、私は春ごとにそのような、桜にこの身を添い遂げるような花見を愉しんできた。そうして、それができないほどに忙しい春があったときには、そのことを罪とも恥とも感じてきたのだった。

 「そろそろ出ているかもしれない」と、居合わせたひとたちと連れ立って、月白の真上にあるテラスまで階段を登っていく。空はまだ暗かったが、フェンスの向こうに見えるマンションと空との境目が、うっすら白く光っている。多分あれが月ではないかと、まだ見えないうちから待つことにした。こうして日の出を待ったことは何度もあるのに、月の出を待ったことは一度もなかったのが、いまさら不思議に思えてくる。月は見えないまま、それでもすこしずつ明るくなっていく空を眺めながら、月白とは、月が雲に遮られて、それでもそこに月があることをしらせる白い光のことを言うのだった、と思っていると、ようやく月がちらついて、テラスに歓声があがる。それから夜空に昇っていくのは存外早く、真っ直ぐというよりはかすかに揺れながら、見る間にくっきりと夜空に浮かんでゆくのを、生まれてはじめて月を見るように、もの珍しい思いで見つめていた。月はこんなにも明るいのに、ずっと見ていられるのがやさしいと思った。

 しばらくそうして見つめていると「月にいる兎って、本当に見えたことがありますか?」と声がして、居合わせたひとたちは口々に、それはあったような気がする、と答えた。けれど、それが今は見えないことを思うと、肉眼で見たのか、あるいは写真で見てそう感じたのか、誰もさだかでないようだった。「餅をついているんですよね」と返すと、「それが中国では、兎が薬草をすりつぶしているらしいですよ」と聞こえて、私は思わず感心した。それは実に中国らしい見え方だと思ったから。

 ちょっと余談ですが、何十年も前、まだ毛沢東が元気なころ、私は中国庭園がどうしても見たくて、訪中団を組んで初めて行ったときのことです。本屋さんで『祖国緑化』、『生産的緑化』という書物を買いました。国土が荒れたままでしたから、大勢を動員して植樹活動をすすめていたころです。
 特に、南方では街路樹にパパイヤなどを植え○○通り産パパイヤとして出荷するし、公園のグランドカバー(地被植物)に、日本なら芝生ですが、中国では漢方薬になるゲンノショウコなど薬草を植え、公園の池では、ソウギョやライギョなど魚を養っていました。こういうのを「生産的緑化」といっていて、市役所の園林局(公園課)の統計に、漢方薬○元、魚獲高○トンなどと数字があげられていたのです。
 いっしょに旅行した仲間は、中国は貧しいからこんなことまでしている、といいました。
 しかし、私はそうは思いませんでした。これこそ本当の「緑化」の意味ではないだろうか。

――進士五十八「食べられる〝にわ〟エディブル・ガーデニング」辰巳芳子『庭の時間』(*5)

 あるものが、ほかの何かに見えるというのは、その見るひとの置かれた環境や、生活や、文化によってもたらされる反映なのではないだろうか。餅つきといえば、日本でなら今でも、年末年始に餅をつくという風習が時に見受けられる。庭がかつては祭祀のにわであったことを思い合わせると、餅つきというのはいかにも日本らしく、今ではかえって餅つきだけが、祭祀の場としての庭をかろうじて今に繋いでいるようにも思われる。そうして中国では、今はどうか知れないが、遠く月の兎までもが、臼で薬草をすりつぶして見えるほどに、薬草や、もっといえばひとが生きるための動植物が、風景や生活──庭において、ごく自然に育てられてきたということだろう。

 先の「緑化」についての文章が収められている『庭の時間』は、料理研究家・辰巳芳子の手になる類い稀な本で、彼女の文章もさることながら、とくに私は、末尾に付された研究の記録に、庭師として直接の影響を受けている。それは京都の庭園に代表されるような鑑賞本位の庭園研究ではなく、庭の実用性や使い方を明らかにしたいと思い立ったある造園科の学生たちが、鎌倉にある辰巳邸の庭に通い詰めるなかで、庭のどこに何が生えていて、それらが食用、薬用、観賞用のいずれにあたるか、また食用ならそれを辰巳さんがどのように料理したのかということまでを仔細に調査し、まとめたものである。庭といえば今なお鑑賞本位が基本とされている中で、すこしもそうしたありように惹かれない、いわば門外庭師にも、いやそうであればこそ、やるべき仕事があるのだと、この本は私を駆り立ててやまない。そのような私が、植木屋的な管理に留まらない庭との関わり方を実践するために、毎月の手入れを申し出た先が、ほかでもない、苧麻の生い茂る游仙菴だった。

 ここもまた、かつて鑑賞本位のもとで、広い敷地に様々な草木が植えられ、その多くは人工的に仕立てられ、石が幾重にも組まれたそこを川が流れて、鯉が悠々と泳ぐような庭である。茅葺き屋根の立派な屋敷には縁側があって、ここに座っているだけでも心身が整う。今はひとは住んでおらず、時折り催事が組まれては、様々なひとがここを訪れる。聞くと、施主のお父さんは大変風流なひとだったそうで、彼を慕って訪れるたくさんの人々も含めて、この庭を大いに遊んで愉しんだという。さてその庭を、自分が受け継ぐ段になってみれば、これまでのように維持して愉しむという風には、心は動かなかったという。とはいえどうしたものかと思案していたところで、私に白羽の矢が立った。ここにかぎらず、庭師となってから、こうした話をよく聞くようになった。つまり自分がつくったのでない庭をどう受け継ぐのか、仕立てものに惹かれる心もなければ、実際問題、仕立てを維持するにはお金もかかる。またせっかくある庭を眺めるだけというのもどうなのか、等々、庭は様々あるとはいえ、その悩みにはどこかかようところがある。

 游仙菴では七月に、これまでは仕立てられるか刈り込まれるか、いずれにしても木を抑え込むようになされてきた手入れの、一部は庭の流れに沿って継続することにして、他については枝を根元から間引くことによって光と風を通し、時間とともに自然樹形へとひらいていくように手を入れた。草についても、それらを一様に地際で刈って排除するような方法から、残す草と除く草とをはじめに選んで、残した草は小さく育てるような方針を執った。そうして、すべての造作を終えた後に行った植生調査では、およそ110種の植物が確認できた。中には見逃している植物もあるだろうし、秋には彼岸花も咲くというからは、見えない地中に球根が、はたまた様々な植物の根や種が潜んでいることだろう。またこうした造作と調査を月毎に繰りかえしていく中で、きっと植生も変わっていくだろう。端的に、種は増えるだろうと見込んでいる。

 さてそのようにして、庭に次々と現れる植物たちが、食用、薬用、観賞用のいずれにあたるかを、庭師として、『庭の時間』に倣って書き記していくつもりでいたのだが、すでにその百十分の一にあたる苧麻が繊維となり紐となることをこの身体で知ってしまったからは、この庭で数えられるだけの種の多様性もさることながら、その用途の多様性においてしても、我ながら途方もないことをはじめてしまったのではないか。有限の無限、胡桃の中の世界とはこのことである。そうしてあのとき、「苧麻ひとつ覚えるだけで、繊維と食べるのに困らなくなりますよ」とふくさんの言ったこともまた、なにも苧麻さえあれば繊維にも食べるのにも困らないというのでは必ずしもなく、ただ苧麻ひとつにも様々な関わり方があるということを一度覚えてしまったなら、そこから先、辺りには他にも様々に食べられる草、薬になる草、繊維になる草のあることに、もはや気付かずにはおれないということを語っていたのではなかったか。つまり苧麻をひとつ覚えるだけで──胡桃をひとつ割るだけで──そこから世界が広がっていく、その途方もない広がりこそが庭であるということを。

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*1  冷えとりや、身につけることが日々の薬となるような服薬を思って、茜を主とした植物から靴下や肌着を染めるひと。私という庭師の、庭の師でもある。
https://somemonoyafuku.shop-pro.jp/

*2 帽子作家。彼のつくる帽子はどれをとっても素晴らしい。私はあと三つはほしい。
https://hanatsukihi.theshop.jp/

*3 那珂川市にある茅葺き屋根の立派な屋敷。
https://instagram.com/imnk525?igshid=YmMyMTA2M2Y=

*4 花人・坂村岳志さんによる花と骨董と喫茶のお店。
http://sakamuratakeshi.com/

*5 進士五十八「食べられる〝にわ〟エディブル・ガーデニング」『庭の時間』(辰巳芳子、文化出版局、2009)136頁

◎プロフィール
石躍凌摩(いしやく・りょうま)
1993年、大阪生まれ。
2022年、福岡に移り住み、庭師として独立。
共著に『微花』(私家版)。

Instagram: @ryomaishiyaku
Twitter: @rm1489
note: https://note.com/ryomaishiyaku

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第1回 はじめに
第2回 私という庭師のつくりかた
第3回 うつわのような庭