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【科学者#021】数多くの分野で活躍した早熟で短命な科学者【ブレーズ・パスカル】
科学以外にも色々な分野で活躍した科学者は何人もいますが、物理学・数学・哲学・神学・発明家などの様々な分野で重要な業績を残した科学者はそれほど多くはないと思います。
今回は、早熟で完璧主義者の天才であり、そして短命の科学者であったブレーズ・パスカルについてです。
ブレーズ・パスカル
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名前:ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
出身:フランス
職業:哲学者・物理学者・思想家・数学者・神学者・発明家・実業家
生誕:1623年6月19日
没年:1662年8月19日(39歳)
業績
パスカルは哲学や神学の分野で多くの業績を残しているのですが、今回は科学分野での業績を紹介します。
パスカルの原理
パスカルの名前は圧力の単位として使われていますが、これはパスカルの流体静力学への貢献と、気圧計での実験の業績にちなんでつけられました。
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パスカルの流体静力学において有名な業績がパスカルの原理です。
パスカルの原理とは、密閉容器の中の流体は、その容器の形に関係なくある一点に受けた単位面積当たりの圧力をそのままの強さで、流体すべてに伝えるというものです。
これは、流体静力学の基本原理になっています。
ちなみに流体とは一般的には液体や気体のことをいいます。
パスカルの定理
パスカルは数学の分野でも数多くの業績を残しているのですが、今回はパスカルの名前がついているパスカルの定理を紹介します。
このパスカルの定理は、円に内接する六角形で、対応する辺を延長したときの交点は一直線上にあるというものです。
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この定理はパスカルが16歳のときに発見したもので、円錐曲線に関する定理です。
円錐曲線とは、円錐を任意の平面で切断したときの断面のことを言います。
生涯について
早熟の科学者
パスカルは3人姉弟の3番目で一人息子で、母親はパスカルが3歳のときに亡くなってしまいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1673441365643-2a1GRpeNGR.png)
父親は自然哲学や科学が好きで、パスカルが小さい時は父親が勉強を教えていました。
そんな父親はある日、語学の勉強への影響を懸念したため、全ての数学の本を自宅から撤去しました。
しかしこのことによって、さらにパスカルは数学に興味を持ちはじめます。
そして、12歳のときに自ら幾何学に取り組み始め、三角形の角度の和が2直角(180度)であることを発見します。
このことを父親が知り、父親はパスカルにユークリッドの写本を与えます。
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父親はフランスの修道士のマラン・メルセンヌの集会に参加していたのですが、パスカルが14歳になると父親に同行し集会に参加し始めます。
![](https://assets.st-note.com/img/1673442439927-dPMMfEG7d4.jpg)
このメルセンヌの集会は、当時の科学者の縁をつなぐ重要な役割を果たしていました。
ちなみに集会には、天文学者のピエール・ガッセンディ(1592年-1655年)や
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数学者のジラール・デザルグ(1591年ー1661年)などが集まっていました。
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そして1639年6月、パスカルが16歳のときに集会で射影幾何学の定理が書かれた1枚の紙を提出しています。
1639年12月には、父親が徴税人に任命され、一家でフランス北部の都市のルーアンに住み始めます。
1640年2月のパスカル16歳のときに、パスカルの定理の含む『円錐曲線試論』を発表します。
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17歳のときには、父親の徴税業務を支援するために計算機の発明をします。
ちなみにパスカルのこの機械式計算機は歴史上2人目の発明とされています。
その後1642年から1645年までの3年間にわたって計算機は製作され、50台のプロトタイプが製造されましたが、ほとんど発売はされませんでした。
神学への興味
1646年には父親が足を負傷し、自宅療養をしていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1673492643504-wAtTtxaAo2.png)
そしてその時、家の近くに住んでいた若い宗教活動をしていた2人の兄弟が世話をしてくれていました。
パスカルは、この兄弟に大きな影響を与えられ、宗教にのめりこんでいきます。
1656年から1657年には、『プロヴァンシアル』を発表し、イエズス会の道徳観を非難しており、広く議論が巻き起こりました。
それと、パスカルはキリスト教に関する書物の執筆に着手していたため、ノートやメモ書きを多数残していました。
このノートやメモ書きは、パスカルの死後に整理され『パンセ』として出版されます。
大気についての研究
パスカルは、1647年までに真空が存在するという証明をしています。
そして、1647年の9月23日には真空を信じていなかったルネ・デカルトがパスカルを訪問しています。
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デカルトは2日間滞在し、パスカルと真空について議論しています。
その後1647年10月には『真空に関する新しい実験』について書き、デカルトなどの真空を信じていない科学者と論争を引き起こします。
さらに、1648年8月には大気圧が高度とともに低下することを観測し、大気の上に真空が存在すると予想しています。
パスカルという科学者
パスカルは、早熟で、頑固で、忍耐強く、完璧主義者だと言われています。
さらに、好戦的でありながら、人には柔和で謙虚さを求めていました。
そんなパスカルは、晩年貧しい人々に施しをしたり、礼拝に参加したりしていました。
そして、体調をたびたび崩していたのですが、体調が悪化し39歳で亡くなります。
早熟の科学者でありながら、さらに短命であったパスカルですが、その短い時間の中で多くの分野で様々な業績を残してくれました。
そんな、早熟で完璧主義者の天才であったパスカルを知るきっかけになれたのなら嬉しいです。
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