【科学者#022】復興のため科学の力を使った市長【オットー・フォン・ゲーリケ】
今まで様々な科学者を紹介しましたが、科学を人々の興味を引くために上手に利用した人はあまりいないのではないでしょうか。
今回は、戦争で壊滅状態だった都市を復興しようと奮闘した科学者オットー・フォン・ゲーリケを紹介します。
オットー・フォン・ゲーリケ
名前:オットー・フォン・ゲーリケ(Otto von Guericke)
出身:ドイツ
職業:政治家・工学技師・物理学者
生誕:1602年11月20日
没年:1686年5月11日(83歳)
業績
真空の研究
ゲーリケは、1650年に他の容器に接続ができて、シリンダーとピストンで空気を排出する真空ポンプを発明します。
ゲーリケはこの真空ポンプを使って、
真空中では音が聞こえないこと
真空中では火が消えること
真空では果物を長く保存できること
などの実験を行いました。
そして、有名な大気圧についての実験であるマクデブルクの半球の実験を真空ポンプを使って行いました。
マクデブルクとはゲーリケが市長をしていた都市の名前で、この半球を使ってゲーリケは科学のショーを行いました。
マクデブルクの半球は直径60㎝くらいの銅製の半球状の容器を2つ組み合わせたもので、内部の空気を真空ポンプで排出します。
そうすると、内部の気体による圧力が無くなるため、大気圧による力のほうが大きくなるため半球が両側から引っ張っても取れないという実験です。
ゲーリケはこれを馬を使って引き離すという大掛かりなデモンストレーションを行いました。
生涯について
ゲーリケは、ドイツのマクデブルクの貴族の家に生まれます。
ドイツの大学に進学し、そこでは法学と工学、数学を学びます。
その後イギリス、フランスに留学し、そして1623年にはライデン大学で数学と力学を学びます。
大学の後は、ドイツの中央部の町であるエアフルトで工学技師として働きます。
1627年には故郷のマクデブルクに戻り市会議員になります。
そして、1631年に三十年戦争が激化したことにより、ゲーリケはマクデブルクから脱出し、スウェーデンのグスタフ2世の軍隊に入隊します。
ちなみに三十年戦争とは、ドイツで1618年から1648年に戦われた宗教的、政治的な戦争の総称になります。
1646年からはマクデブルクの市長を1676年まで務め、三十年戦争のマクデブルクの戦いで壊滅状態に陥ったマクデブルクの復興に力を入れます。
マクデブルクの半球
ゲーリケは市長を務めていた時期に真空ポンプを発明するのですが、この真空ポンプを使った科学ショーで人を集めて、復興事業のひとつにしようとします。
1654年に行われた科学ショーのデモンストレーションでは、銅製の半球状の容器を2つ組み合わせて、真空ポンプで空気を排出します。
そして,左右に馬8頭ずつにつないで、馬に鞭を入れ半球を引き離します。
最終的には半球は引き離されるのですが、その時空気銃を発砲したような爆発音が響いたようです。
さらに1663年には、ベルリンのブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの前でこのマクデブルクの半球の実験を披露しています。
その時は、合計24頭の馬を使っても半球は離れなかったようです。
ゲーリケという科学者
ゲーリケは市長を辞めてから約10年後の1686年に83歳で亡くなります。
工学系の知識を身につけ、その後政治家として復興に力を入れ約30年間も市長を務めました。
そんなゲーリケは自分の得意分野と政治を結び付け、最終的には選帝侯の前で科学ショーを披露し、復興のひとつとしました。
ゲーリケは真空の実験のほかにも、気圧計を用いてはじめて天気の予想を行ってもいます。
さらに晩年は、世界ではじめて摩擦で電気を起こす機械である静電発電機を発明したりと、色々な機器をつくったり研究を行いました。
そんな、戦争で壊滅状態だった都市を復興しようと奮闘した科学者オットー・フォン・ゲーリケを知るきっかけになれたのなら嬉しいです。
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