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ライフストーリー #1 0〜6歳

はじめに ライフストーリーを書くきっかけ

へろう。
僕にはコーチングをしてくれるコーチがいる。
7月からお願いしているので、早くも4ヶ月目だ。
僕もコーチとして活動しているが、コーチが別のコーチを付けていることは普通の話である。
クライアントと本気で向き合うコーチが不安定だと、セッションの時間に影響が出るからだ。
コーチングを知らない人はこばかなさんの、以下の記事を参照してくれると幸いだ。僕の理解との乖離が小さい。

僕の言葉でコーチングをざっくり説明するなら、自分の気持ちや考えの整理を手伝ってくれるもの、それを通して自分の中の目指したい方向に向き合わせるためにエネルギーを湧き上がらせてくれるものである。
「心のライザップだ」と説明する人もいるが、そういう側面もある。
だが、一番大事なのはクライアントの可能性を最大化し、変化を後押しする存在がコーチだと思っている。

さて、僕はコーチングを受けている中でこんな問いをコーチからぶつけられた。

「そでこは世界に訴えたいメッセージは何?そのために何をしたい?」

僕がこの数ヶ月で気づいた、世界に訴えたいメッセージはこれである。

「人は、いつでも変わる事が出来る。」
「こんな僕でもここまで変わる事が出来た事を示したい。」

だが、そのために何をしたいのか答えに詰まってしまった。
コーチングは手段の一つであることは間違いないのだが、他にもありそうだよねとコーチに言われて確かにそうだと思うけど何なんだろう…。
上手く言葉に出来ないことを告げると、コーチから「ライフストーリーを書いてごらんよ」と言われ、確かに自分のこれまでの人生を整理してみたら何か分かるかもと思い、今こうして執筆しているに至る。

僕の人生の軌跡に興味のある人がいるとは思えないが、やはり上記の通り「こんな僕でもここまで変わる事が出来た事を示したい。」という思いがある。そういうことなので、自分が経験してきた恥ずかしい事とか辛かった事を包み隠さず書いていこうと思う。

ライフストーリーの構成

ライフストーリーは6年単位で区切って書いていく。この6年という数字にそこまで深い意味はないが、人は6年周期で運命が変わるという話と、あと単純に区切りが良かったからという理由である。
というわけでこのライフストーリーの構成は以下の通りである。

#1 0〜6歳…落ち着かない幼少期。(本記事のスコープ)
#2 7〜12歳…人生のピーク。「それなり」をそれなりに満足する。
#3 13歳〜18歳…何でも勝てない世界。ドラムとの出会い。
#4 19歳…人生のどん底。両親の離婚。浪人時代。覚めない悪夢。
#5 20〜25歳…アイセックとの出会い。受け入れてもらえた場所。変われるんだという実感。

6歳までの記録はそんなに多くないので、今回はあっさり終わる予定だ。
それでは、はじめよう。

(2019/10/13追記)
19歳は特別な年なので、独立して記載する事にした。

ライフストーリー #1   落ち着かない幼少期

幼少期は千葉に住んでいた。船橋という、千葉の中でも賑やかな場所だったと記憶している。最寄りの津田沼駅まで行けばPARCOがあって、そこでよく買い物をしたり映画を観たり、娯楽の中心地だったと思う。
幼少期は今と違ってとにかく落ち着かない子供だったと家族から良く聞かされていた。小さい頃にエネルギーを出し尽くしたせいで今落ち着いてしまったのだとも(笑)
確かに思い返してみれば、社宅の団地で倉庫の上を飛び回ったり、自転車で階段をジャンプしたり、どこか出かけても家族から離れて一人走り回ったり、落ち着いてはいなかったなと思う。
幼稚園では、外でいつも遊んでいたし、地域の野球チームに入ってたから週末も身体を動かしていた。
というか、その頃の僕にとって野球は生活を大きく占めていた。父の影響で始めた野球だったが、団地で遊んでた時も野球をやってたし、野球に接する機会も多かったと思う。ボールを投げて、取って、打って、走って…純粋に楽しんでいた。ただし上手くはなかった。上手くなろうという向上心もあまりなかった。
この頃の僕は、身体を動かして遊ぶのがとにかく好きな少年だった。あと、友達が持っていた公文のプリントホルダーのカッコ良さに惹かれて、公文にも通い始めていた。(今でもそのプリントホルダーが使われているようで驚いている)
公文では、国語が一番好きだった。特に、小説文を読んで登場人物の心情や状況を考える時間が好きだった。この事が今にどう影響を与えているかは分からないが、大学受験までずっと国語が好きだったことを考えるとここでその土壌が出来上がっていたのかもしれない。算数も習っていたが、ゲーム感覚で解いてるだけで、算数自体の面白さはよく分かっていなかった。
ゲームもよくやっていた。友達の家に行った時は基本的にゲームをして遊んでいた。当時だと、スーパーファミコンから64が流行っていて、プレステを持っている子がたまにいるっていう感じだった。よく遊んでいたのがマリオカートにポケモン、カービィ、そしてスマブラだった。スマブラが一番遊んだと思う。僕は今もゲームが好きだが、その基礎はやはりここで出来上がっている。
そして車が大好きだった。幕張メッセで行われていたモーターショーは欠かさず行っていたし、ゴーカートも狂ったように乗っていた(30回近く連続で乗りつづけたこともある)。これは今の僕の車好きにも影響を与えている。
あと、これは記憶には無いが、電車も大好きだったらしい。近所の踏切で電車が通ろうものなら、「電車!電車!」と騒いでいたらしい。なんであんなに電車や車が好きだったのか分からないが、カッコいいなと思っていた気がする。
この頃は特に不満もなく、毎日のびのびと生活をしていた。家庭環境も恵まれていたと当時は思っていた。誕生日は毎年祝ってもらえていたし、家族内でもお互いに祝っていたし、よく旅行したり遠出もしていた。(確かららぽーとだ)
当時の写真とか見直してみても、やはりこの頃は屈託なく笑っていた。

ライフストーリ#2へ続く。

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