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石川県・金沢市出身の大学生が語る、「日本と中東の架け橋に」

「社会貢献と利益追求の両立」

そう掲げる Social Class には海外での活動を目標に頑張るメンバーも多い中、一人、中東へ想いを寄せる大学2年生のメンバー・向井七海(通称:ななみん)。「日本と中東の架け橋になりたい」。そんな想いで、現在外国人留学生向けの日本語教育コミュニティを作っています。そんな中東に想いを馳せる彼女が、なぜ上京して大学1年生のときにSocial Classに入会したのか。

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第一回目となるメンバーインタビューでは、そんな彼女の生い立ちから、なぜ中東にそこまで惹かれているのか、そして中東をこよなく愛する彼女の描く将来に迫ります。

|「教えられない。」その悔しさから、日本語教育に

――まず初めに、現在ななみんが取り組んでいることを教えてください。

ななみん:今は、外国人留学生に向けて、日本語教育を使って遊びながら日本語を学べるコミュニティを運営しています!わたし自身が、元々大学の副専攻で日本語教育を勉強していたこともあったのですが、このコミュニティでは映画を使って日本語を学べるようになっています。外国人留学生が、日本のサークルなどに難なく入れるようにするステップを作っていますね。

――そうなんですね!なぜ日本語教育に携わろうと思ったのですか?

ななみん:これまで外国人と関わることはありましたが、その際に友人から「日本語を教えて!」と言われても教えることができなかったんです。例えば「て・に・を・は」の使い方や文末の活用方法を聞かれたときに思うように答えられなくって...。そのとき、使える言語と教えられる言語の違いをしり、葛藤しました。4年ほど前から自分の今後の活動に繋げられそう…と感じてはいましたが、最近やっと具体的に落としこめて、活動を開始しました。

――なるほど!「日本語教育」の実際の活動にたどり着くまでにも時間がかかったんですね…。人生設計自体が結構悩んでいたんでしょうか?

ななみん:実はずっと悩んでいて…。自分のキャリアで絶対に外せないのは「色々なところに住めたら」ということ。結婚も、良い人がいれば、というくらいだったから、将来の自分の理想像が見えるかと言われるとなかなか見えなくって。

そして、以前までは「多文化共生」という言葉の方が自分にとってキーワードだったんですよね。というのも、自分自身は中東に強く関心があったので、「中東を含めた多様な文化背景を持つ人たちが、日本でも生き生きと暮らせる社会」が良いなと思っていて。「多文化共生」って言葉は後々、Social Classの母体であるZeroOneにいた方から教えてもらいました。同じような想いを持った方が使ったその言葉に「これだ!」ってなりましたね。そこからはだいぶ「多文化共生」を使っていたのですが、その中でも自分のできること、を考えて「日本語教育」にたどり着きました。


|ドイツへの留学経験「私と難民のあの子の違い」


――そうだったんですね。かなり中東に思い入れがあるみたいですが、小さい頃から海外には興味があったんですか?

ななみん:小学生くらいから、外国に関心がありました。といっても、私が育ったのは石川県・金沢市でも田舎の方。海外とは無縁な環境でした。そしたらある日、マザーテレサの本を読んで。田んぼ道をふら〜っと歩く平和な自分の世界と、本の中の知らなかった世界とのギャップを思い知りました。そうしたら、家と学校、一人で歩く帰り道ではいつも、ずっとその世界が頭に過ぎっていて。

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その時に疑問だったのは、「たまたま〜〜」という言葉。例えば「たまたまお金があったから〜」とか「たまたま発展途上国に生まれたから〜」とか。

ポジティブな意味で、

「なんで自分は、たまたまこの環境に生まれたんだろう...?」

と考えていました。小学生ながらそんなことを考えるくらいには衝撃だったんでしょうね。

――確かに。でも小学生でそこまで思考が深ぼれるってすごいですね(笑)。そこから海外に興味が?

ななみん:そうなんです。小学生ながら、留学にどうしても行きたくなって。その当時、アメリカに行ける機会があって、両親に猛アタック(笑)その時は反対されてしまったのですが、それでもお母さんは覚えていてくれました。

中学生の時に、ロシアのイルクーツクへの留学案内があって、それに参加したんです。初めての海外。時間の流れ方がゆっくりで...。でも、休みの時には田舎のコテージで過ごすなど「幸せの価値観の違い」を知りました。


イルクーツク

バイカル湖

【豆知識】ロシアのイルクーツクには、世界遺産バイカル湖があり、そのあまりの美しさから「シベ
     リアの真珠と呼ばれている。どれだけ美しいかって? バイカル湖には世界一が3つ存在し
     ているんです。それが、“世界一古い” “世界一深い” “世界一透明度が高い”。
     興味のある方は「シベリアの真珠」で検索してみてください^^

その後、インドも訪れたりする中で、こう思ったんです。

「たまたまそこに生まれたのは、可哀想ではないのでは?」

って。

――さらに考えが深まっていったんですね!でも、まだ中東には出会ってないですよね?

ななみん:中東との出会いは、高校生の時の1年間のドイツ留学です。ロシアのイルクーツクに行って、いろいろ考えるようになったんです。でも、ずっと昔から哲学者の方が考えているはず!と考えて、哲学の道に傾倒しました。ドイツを選んだのは、「みんなと同じ」が好きじゃなかったのと、ドイツでなら哲学が学べるから。高校1年生終了後に参加しました。

ちょうど留学中の'15-16年は、メルケル首相が難民を大量に受け入れていた頃でした。

ドイツ

ある日、たまたま学内の廊下で私に声がかかったんです。ドイツ語で「日本人?」って。その子が、中東・シリアの子でした。日本のアニメが好きだったらしく、日本人を見つけて声をかけてきてくれたんですね。

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↑ 当時、声をかけてくれたシリアからの友人とななみん

シリア

2016年当時のシリアの写真。
今なお、アメリカ・ロシアを筆頭に、国際社会が絡み合ったシリア国内での "内戦" が続いている。

――そういう出会いがあったんですね...!その当時のドイツにいるというのは、なかなか貴重な経験ですよね。

ななみん:そうなんです。実は私、忘れられない言葉があって。それが、ホストマザーの

「七海は留学生だからいいけれど、難民はこれ以上増えて欲しくない」

衝撃でした。ヘイトとかそういうのではなかったのですが、一人の人間が存在しているのには変わりがないのに、どこから来たかで変わってしまう。例えば、私も、声をかけてくれたシリアの子も。同じ一人の存在であり、高校生なのに、変わってしまうことがショックだったんです。それが私をより中東に駆り立てるきっかけかもしれません。


|大学入学「”ビジネス” で社会課題の解決を」


――中東に興味があるななみん。そこまでやりたいことがはっきりしていると、大学選びもかなり悩んだのでは...と思うんですが、早稲田大学の決め手は?

ななみん:これも中東が理由ですね (笑) 元々は、高校3年の1月くらいまで、地元の国立大学に行って欲しいと家族から思われていたし、自分自身も行く予定だったんです。でも、担任の先生と話を重ねるたびに中東への想いが強くなっていって。

空いた時間を見つけて論文を読み耽っていました。そうして見つけたのが、早稲田大学の教授が書いた、中東に関する論文。読んだ時に “これだ!” と。社会を学ぶ中で自分自身が疑問に思っていたことがはっきり書かれていて、『私はこの先生に学びたい』その想いが離れませんでした。

――そうだったんですね!なんだか運命のような。大学に入るとサークル活動なども活発ですが、何か入ったんですか?

ななみん:2つ入りましたね! 田舎から出てきたので、とにかくつながりが欲しかったんです。一つは難民交流プロジェクト。高田馬場はリトルヤンゴンと呼ばれるくらい、ミャンマーコミュニティが大きく形成されていて、もはや移民の方も多いのですが、その方達と交流できるサークルでした。

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もう一つは社会課題解決に取り組む大きな学生団体に入ったのですが、『何やっているのだろう...?本当に活動先の地域をエンパワーできるているのだろうか...?』そんな想いが拭えませんでした。そんな時に出会ったのが ZeroOne です。似た興味を持った人がいて、ビジネスをちゃんと使いながら社会課題を解決できる場をえらえる!

『ビジネスのことばかりで頭でっかちにならず実践したい』

そんな想いが強かったからこそ、より魅力的だったのかもしれません。

――確かに。Social Class を含めて、ZeroOne 全体でアウトプットはかなり重要視していますもんね。むしろ、使えない知識は要らない!とでもいうくらいに (笑) 実際に Social Class に入ってみてどうでしたか?

ななみん:面食らいました (笑) ZeroOne では初っ端から揉まれまくって。直感的に思ったんです、「ここじゃね!?」って。

実際に入ってみて楽しかったですよ!でも、甘かった。「ここに居れば、何かできるようになるかもしれない」なんて感覚が少し続いていたんです。まだまだ19歳だった私。ビジネスのことが全然わからなかったので座学として取り入れていたのですが、頭がパンクしました。正直、大学1年目は色々と不慣れな中だったので、体調を崩してしまって。ZeroOne はカリキュラムを組んでいないことで主体的に学べるのが強みですが、あまりにも全体像が見えなくて、右も左もわからなくなってしまったんだと思います。

――そんなことが...うまくいかない!そのことで自暴自棄にはならなかったんですか?

ななみん:自暴自棄とまでは行きませんでしたが、悩んだ末、1年の休学を選びました。色々と整理してから挑戦する必要があって。半年くらいは自分と向き合っていましたかね。正直、日本にいると「進学することがスタンダード」と思われがちですが、ドイツでの影響からか、ギャップイヤー的な考えが強くて。

自分が知っている社会に迎合してイヤな気持ちになるくらいなら、自分に合う世界を見つければいい!

って。やっぱり大学に入学したからには中東の勉強をちゃんとしたい、でも無理やりは嫌。必要だと思えるその時が来るまで待とう、って。半年くらい経って、Social Class で学んだことが色々と賦に落ちてきて。この頃ですね、やっと中東のことや日本語教育のことを組み込めるようになってきたんです。視界が少しずつ拓けてきました。


|どこでも、その人の "個性" が最大限発揮できたなら


――少しずつ再稼動し始めたななみん。どんな世界を目指していますか?

ななみん:私が目指しているのは、「その人の個性を最大限に発揮することができる環境づくり」。その人にとって、第二の地なのか第三の地なのかはわからないけれど、たまたま行き着いた場所で、思いっきり輝けたら、彼らにとってもすごくいいし、社会にとってもいいことなんじゃないかなと思います。前から薄々は考えていたけれど、改めて、私がやりたいことは「紛争解決」よりも、「そうなってしまった後、かれらの新しい生き方をどうサポートするか」。その一つが、今の日本語教育なんです。

――なるほど!そこで日本語教育につながるんですね。その世界を目指す上で、ななみんが気をつけていること、意識していることがあれば教えてください。

ななみん:自分の無知故に誰かを傷つけないことです。これまで色々関わらせていただく中で、平和ってそう簡単なことではないんだなと痛感してきました。世界の歴史から見たら、今私がこの瞬間に見ているのは、何億年という宇宙の歴史の「本当に一瞬」。だから「平和を達成したい!」とか「〇〇を達成したい!」と自分が言うのは傲慢ではないか、と思ってしまうんです。だからこそ、哲学だったり、心理学だったり、そして最近は宗教学などを学んでいます。様々学んだ上で、相手をできる限り傷つけないコミュニケーションをとっていきたいです。

――ななみんの言葉だからこそ、とても重みを感じます...。最後に、今後の大学3年間のビジョンと、未来のSocial Classのメンバーに一言お願いします!

ななみん:自分自身、一生涯活動していく基盤を作りたいですね。遠い話にはなりますが、40歳頃には、ブランドを立ち上げて、日本と中東の架け橋となるビジネスを作っていきたいです。喫茶店で、中東の物販を通して、現地の課題解決につなげていければと思っています。今作っている日本語教育コミュニティは、将来的にはサポート的なポジションで続けたいです。40歳でそこに到達できるのであれば、着実にステップアップできるように今はなんでも挑戦していきたいですね。


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