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人生にムダなことなど一つもない。偶然は必然になった。

今日発売の『行動科学でより良い社会をつくる ―ソーシャルマーケティングによる社会課題の解決―』の著者、瓜生原葉子です。

2015年、学生たちと始めたソーシャルマーケティングの社会実装研究。その事例を基に、ソーシャルマーケティングを用いて社会の課題解決をするにはどうすればよいのか?について体系的にまとめた1冊が、本日発売です!

今、この本がより多くの方に届くように、ゼミ卒業生たちが主体的に発信してくれています。
前回noteを執筆した田中美穂さん(ゼミ第1期生)と、本の表紙デザインについて何度も議論していくプロセスで、
「ゼミで学んで終わりではなく、社会人になっても、ソーシャルマーケティングの意義を自分たちが広めていきたい」
という卒業生の熱い思いを知りました。
卒業後もゼミ生たちとともに社会に向けて発信すること、その機会を彼(女)らに提供し続けることが、教育者としての使命ではないかと気づかせてくれました。

そんなゼミ卒業生・在校生によるnoteの更新、どうぞ楽しみにしてください!
読んで少しでもビビっと・グッとくるものがありましたら、ぜひ「いいね・シェア」をお願いいたします🙇‍♂‍

マーケティングを応用し人の行動を変え、人の行動から社会を変える“ソーシャルマーケティング”の研究・実践の集大成。今日、2021年3月1日(月)出版されました!

ここからは、私がこの本を執筆するにいたった背景をお伝えしたいと思います。


「ありがとう」が私の人生を変えた

私の人生はちょっと変わっています。
今は研究者なのですが、それまで歩んできた道、研究者になった理由、この本を出した理由も。

物心ついた頃から「誰かの役にたちたい」と思っていました。それは、父の姿を見て自然に培われたのだと思います。
小学生のころ、父は広島県庁の土木課で働いていました。
台風で大雨が降ると、父は雨合羽を着て夜中家を出て行きました。
大雨の夜中、怖くて、父にそばにいてほしかったから、そんな時は、不安で泣きたい気持ちでいっぱいでした。
でも、土砂災害などにあった人の救助に行っていることを母から聞いて、泣きべそをかきながらも父を誇らしく思いました。
その後、福祉の仕事に関わり、困っている人を助けることに心血を注いでいた父を心から尊敬し、私も「困っている人を助ける仕事をしたい」と思うようになりました。

高校時代、病院通いをしていた私は、医師になりたいと思っていました。
しかし、その夢は叶わず、薬学を学ぶ日々となりました。
第一志望でなかったためか、やる気が全く起きず、今のゼミ生たちとは程遠い主体性のかけらもない学生でした。
バブル時代で、就活の苦労もなく入った会社でも、当初はモチベーションの低い社員でした。

そんな私を一変させたのが、1990年6月、神戸・須磨の出来事でした。
サンド薬品(現ノバルティスファーマ)で、免疫抑制剤シクロスポリンの臨床試験を担当していた私は、オーストラリア・ブリスベンで肝移植を受けた1歳の男の子とそのご両親にお会いする機会がありました。
まだ生体肝移植が日本で始まったばかりの頃、若いご夫婦がどんな思いで渡航移植に踏み切ったのか、そのご苦労を交えたお話を伺っていた時のことです。お父様が、
ありがとう。この子の命が救われ元気になったのも、あなたの薬のおかげです。この子が長生きしていつまでも私たちに笑いかけてくれるよう、頑張ってください。そして、海外にいかなくても移植を受けられる社会をつくってください。
と、涙を流しながら私の手をギュッと強く握ってくださいました。
医師のように直接患者さんに接することはできませんが、「必要な人が必要な時に移植を受けることによって救われる社会」をつくることで、社会に貢献しようと心に誓った瞬間でした。

お父様の思いに応えたいとの思いが、私の研究の原点であり、30年を経て、その一つの答えを示したいと思ったのが、この本を出版した理由の一つです。

図1

自分らしい社会貢献

それから16年後の2006年、私は須磨にいました。主人の転勤で神戸に越してきたのです。人生って不思議です。
そして、1歳だった男児とお父様と再会しました。立派な青年になった彼を見て、「お父様の思いに応えなければ」と心に強く誓いました。
そして、神戸大学大学院経営学研究科でプロフェッショナリズムの研究を始めました。
なぜ、プロフェッショナリズムなのでしょうか?
遡ること5年、2001年にヨーロッパ勤務をしていた時、欧州諸国の臓器提供増加への取り組みを調査し、そのベストプラクティスを日本に導入するプロジェクトを任されました。
ベルギー、イギリス、フィンランド、フランス、ドイツ、ポルトガル、スペイン、スイスの保健省を訪問し、「臓器提供の増加に重要な要素は何ですか?」とインタビューを行ったところ、すべての人が開口一番答えた言葉が「プロフェッショナリズム」だったのです。
法律や国民の死生観・価値観が臓器提供数に大きく関与していると思っていた私には衝撃的な回答でした。
「医療現場で働く人々のプロフェッショナリズムこそが最も重要」この言葉が私の胸にずっと残り、それを明らかにしたいと思い、研究に没頭しました。

図7

しかし、2009年、博士後期課程2年目の秋、人生の岐路を迎えました。
フルタイムで働きながら時間を確保して質の高い研究をするのはとても難しく、体力も限界でした。
どのようなことをやっている自分なら、意味を感じ、社会に役立っていると実感できるのか? 」この問いと向き合い、深く何度も考えました。
製薬会社でも重要な職責をいただいていましたが、それは他の人でも職責を果たすことが可能です。
でも、移植医療を経営学の視座で研究する人は私の他いませんでした。
移植を待っている患者さんや、その思いを叶えたいと尽力されている医療従事者、コーディネーター、そしてお父様の思いに応え、日本社会に少しでも貢献できるのはやはり研究者として生きることだと結論をだしました。
20年働いてきたキャリアを変えることは、簡単ではありませんでした。正直とても怖かったです。
その時、43歳。ちょうど仕事人生の中間地点。
キャリアの後半は、自分だからこそできる社会貢献に没頭し、より良い社会をつくたい」 ― そう思って大きな一歩を踏み出しました。

自責の念と喪失からたちあがるために

博士課程で研究を深めていくと、社会課題の解決アプローチは一つではないこと、医療現場だけではなく、社会とのつながりに着目する大切さに気付きました。
移植医療という身近ではない課題について、一般の人々が、自分ゴトとして考え、行動を起こす必要性に気づきました。
それが、ソーシャルマーケティングとの出会いです。

2014 年、同志社大学商学部に着任し、そのソーシャルマーケティングについて本格的に研究を始めようとしていた矢先、大きな試練がやってきました。
父の余命が数か月とわかり、私自身もがんの診断を受けました。
茫然としました。
怖くて不安な気持ちでいっぱいでした。

自身の術後しんどい中で、京都での授業や会議が終わるとすぐに広島に移動し、父の看病と母の介護をする不眠不休の日々でした。この頃は心身ともに極限まで追い込まれていました。
そして、私が過労で倒れてしまった翌日、「苦労かけてすまんのぉ」と言葉を残し、父の意識がなくなりました。6月のことでした。
父はどうしても11月まで生きたいという願いをもっていました。
しかし、倒れた私を楽にするために急変して逝ってしまったのではないかと自責の念に苛まれました。
尊敬する人を亡くした喪失感と自責の念でなかなか前を向いて歩むことができなかったある日、父の写真を見つめていると声が聞こえてきました。
「社会の役に立ちたい思うて研究者になったんじゃないんか。自分の役割をちゃんと果たさんにゃぁ。」
それがきっかけとなり、「臓器提供の意思表示行動」のメカニズムの探究の研究を開始し、研究に没頭することが心の支えとなり、一日一日をなんとか前向きに過ごすことができるようになりました。

次世代とともに研究に向き合う

そこから、日本人10,000例を対象とした定量調査を行い、「臓器提供意思表示」の行動変容についての仮説モデルを導出した時点で、これをどのように実証するのが、学術的かつ社会的によいのであろうか考え続けていました。

2014年10月、人生初めてのゼミに20 歳前後の若者たちを迎えることになりました。ゼミのテーマは「ソーシャルイノベーション」。
そのアプローチ法は多様ですが、私たちは、ソーシャルマーケティングを用いて「行動から社会を変える」ことを目指しています。

50歳を目前に、「次世代の育成のために尽くしたい、自身が持ちうるすべてを伝えたい!」という気持ちで満ち溢れていました。
大学教員になった時から自身の教育スタイルを模索し続け、アインシュタインの言葉
『教育とは、学校で学んだすべてのことを忘れてしまった後になお自分の中に残っているもの。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、考え行動できる人間を育てることが、教育の目的である。』
に心動かされていました。

社会課題の解決に向けて真剣に学び、自身の手で解決したいと志す学生たちの姿を見ながら、「次世代を担う彼(女)らとともに社会に出て実証を行おう!」との結論に至りました。
若者と共に、学術性と社会性の両立を目指した研究活動を行う」という新たな道を歩む背中を押してくれた瓜生原ゼミ第1期生には、同志として深く深く感謝しています。

あれから6年、今では6期生が研究に四苦八苦しています。
研究の前では、学生も教員も平等に真摯な姿勢で向き合うというポリシーで、共に謙虚に研究に向き合い、同じ目標に向かって一緒に壁を乗り越え、喜怒哀楽を共にするという経験は、かけがえのない思い出として、彼(女)らの人生に刻みこまれることでしょう。

図8

多くの人の思いがつまってできあがった1冊

ここから先の出来事が、この本には詰まっています。是非、手に取ってお読みください!
そして、本書が、なんらかの社会課題の解決に寄与したいと心に感情が灯るきっかけ、また、行動するきっかけとなるのであれば、とても嬉しく思います。

振り返ると、今の自分があるのは、偶然の積み重ねであり、それが必然へと変わっていきました。
薬学の道を歩み製薬企業に入ったから、ある親子に出会い、
そこで海外勤務の機会があったから「プロフェッショナリズム」に出会い、
結婚して神戸に引っ越したから親子に再会し、
それがきっかけで、「海外にいかなくても移植を受けられる社会をつくってください」という願いを叶えたいとの思いを強くして研究者となり、
商学部の教員になったから、学生たちと共にソーシャルマーケティングの社会実装研究に没頭でき、
多くの人に支えられたから、その感謝に応えたいと思って、この本を上梓できました。

人生にムダなことなど一つもない。
偶然は必然になった。

そう思えるのも、多くの方々に支えていただいたから。
すべての方々に大きな大きな「ありがとう」を伝えたいと思います!

長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

瓜生原 葉子
https://www.uryuhara.com/


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