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【3.富士山本宮浅間大社(静岡県) …レイラインツアー2024】


3日目の走行ログ


早朝の参拝と富士山

 僕は考えあぐねていた。

 旅の計画を立てていたのはスタートする2ヶ月前のこと。宿や切符・飛行機チケットを押さえるためにも、ルートだけは早めに決めねばならない。
 愛知県・静岡県は共に日本の大動脈となる交通の要衝で、それに沿って都市化しており人口密集地帯となっている。それゆえ信号が多く渋滞も頻発する。自転車は自らの筋力が動力。エンジンを積んだクルマ以上にストップ&ゴー、特にスタートダッシュは身体を削る。
 なので、2023年のレイライツアーの*5日目は、中山道ルートを選んだ。長野県の木曽福島から諏訪湖を抜け、浅間大社を参拝して三島へ凱旋する、という設定にしたのは、山岳越えが発生するけれど信号渋滞地獄よりはマシだからだ。
 しかしながら、今回の復路は同様の考えを基にすると一日に320km以上の走行が求められる。それは琵琶湖・竹生島神社の参拝は乗船が必須で、その運行時間の縛りがあるためだ。 
 そこでやむを得ず、静岡・名古屋を通過する東海道ルートを選択したという理由わけ
 翌朝も早めの出発となることを踏まえると20:00までには愛知県一宮に到着したい。浅間大社の参拝の後、出発可能なのは6:00。14時間で250km。巡航速度が上がらず、信号待ちや給水のロスタイムも増える事は確定している。
 なので目安として、味噌鶏焼きの店を予約。それを人参としてぶら下げる事で、ダラダラした走りにならないように目標時間を設定した。

 それにしても…。天気予報は快晴。最高気温は38℃。さらにこんな日に限って終日の西の風=向かい風が、最大6mの予報。その条件下の都市部を250km。最悪の一日。一方では強い味方がいる。クルマでサポートしてくれる大岳誠の存在だ。
 早朝5:00。宿泊先の富士に彼のクルマに乗せて貰って45分の移動中に車中で食事を済ませる。こんなに朝早いにも関わらず、浅間大社を参拝する人は沢山だった。きっと日課にしている信心深い地元の方々だろう。
 昨日は隠れて見えなかった富士山も、朝焼けでピンクに染まった空に霞んだ姿を露わにしていた。脇を流れる湧水は冷たく、朝霧を漂わせる。前回も今回も忙しない参拝だった。道中の無事と皆の安寧を祈る。
 さぁ、出発を急ごう。宿に戻り全ての準備を済ませてある自転車に跨って国道1号線の旧道へと向かった。

*5日目…こちらの記事をどうぞ↓

富士山本宮浅間大社
富士山

富士から掛川〜国道1号線をゆく

 朝の国道旧1号線は思いのほか静かだった。富士川鉄橋を渡り切って振り返ると、大きな富士山が見送ってくれている。今のところ無風。蒲原かんばら由比ゆい興津おきつ、清水と順調に流す。 朝の通勤ラッシュよりも先に静岡を越えたいところだったが、北街道に入ったあたりからは信号地獄に見事に捕まり、通学の中高生のママチャリと並走する羽目になった。
 それにしても学生のチャリ運転は危険だ。あの速度で歩道を飛ばしたら出会い頭事故のリスクしかない。それを学校や警察が推進しているのだから益々クレイジー。ママチャリであっても速度は20km/h以上。そのスピードで走行するのならば、車道の左側を車両としての認識のもとに走るべきで、自転車という乗り物が未だにないがしろにされている実態を垣間見た。

 静岡市街地を抜けて、安倍川を渡って丸子の丁子ちようじ) 屋で記念撮影。江戸時代の旅人はここでとろろ汁に舌鼓を打ったのだろう。
 宇津谷トンネルの峠を越えるときも、荷物の少ない軽い車体のおかげで昨日とは打って変わって楽だった。これも大岳さんのサポートカーのおかげだ。が、岡部の宿場を過ぎて藤枝に入っても一向に大岳車は現れない。決めてあったコンビニで給水休憩をする際にGPSで確認するとはるか後方にいる。

『こりゃダメだな、渋滞に捕まってるんでしょ。チャリの方が圧倒的に速い』

 手塚と相談して、先に進めることにする。次の補給地点は掛川の事任ことのまま八幡宮。バイパスのICにある道の駅としよう。

 藤枝〜島田間は予想通りに信号・渋滞地獄だった。しかも9:00前なのにすでに気温は33℃。向かい風も徐々に強くなってきている。ママチャリ程度の速度で市街地を抜け、ようやく大井川の長大鉄橋を渡る。金谷の峠は地味に長く険しい。ふと、振り向くと富士山がクッキリと見えた。もうこんなに走ったんだなぁという実感は70kmで、まだまだ残るは180km。考えるのはやめよう。
 小夜の中山峠を越えたら掛川。道の駅に到着した。待っていた大岳さんは、埒があかないので国道1号パイパスを使ってエスケープした模様。
 ここから先は裏道を抜けて行くので、直近でサポートしてもらえるだろう。積んであるクーラーボックスから、サッと取り出して氷やドリンクを補充。リスタートを急ぐ。ロスタイムは可能な限り減らしたいのだ。その意味でも大岳さんの存在は鬼に金棒。本人は綿棒くらいだと謙遜していたが、本当にありがたい。
 次の補給地点は70km先。豊橋の旧本坂くほんさか峠を越えた先のコンビニ。さぁ出発。

富士川鉄橋からの富士山
丸子の丁子屋
金谷峠からの富士山

浜名湖をゆく〜重なる苦難

 掛川城を左横に眺めながら少し走ると県道40号。右折して道なりに行くと、天竜浜名湖鉄道というローカル線路沿いになる。左折してその踏切を渡ると県道80号で、茶畑の丘を左右上下に縫って走る気持ちの良いルート。ここ掛川・袋井・森町・磐田は遠州の茶所で知られる。台地と平野が繰り返される地形はリズムがあって走って楽しい。
 森町に着く頃に再び県道40号に戻る。ここは今回クラファンしてくれた織田哲司氏が取締役社長を務めるデイトナのお膝元。オートバイ用品ブランドのトップメーカーも、創業したての頃は小さな会社だった。その頃から勤める哲ちゃん(織田哲司)が、まさか大社長になるだなんて思わなんだと遠州弁。何を隠そう彼は従兄弟である。
 【夜明け前のドゥカティ〜哲ちゃんは仮面ライダー】に書いたとおり、幼き頃の僕には憧れだった。10代20代の頃も散々世話になっていて、今も刺激を頂いている。ありがたい事だ。

 天竜川が見えてくると旧天竜市で、大卒新任の頃に住んでいた町。懐かしい。その市街地から国道362号になって鹿島橋を渡り、三方原台地を登る。三段階の河岸段丘で地理マニアにはたまらない場所だ。ここからしばらくはアップダウンが続き、やがて浜名湖畔が望める風光明媚な箇所で、ミカンで有名な三ヶ日もあと少しだ。
 しかしながら、実に進まない。一つは上がる気温。37℃を越えた。そして風。遠州からっ風で知られるこの地方のそれは、凧揚げどころか青竹を折らんばかりの勢いで吹き付ける強風となって暴れる。

『こちらのルート正解ですね。海沿い通ったら、さらに風がやばいことになってたと思います』

手塚の言う通り、遠州灘沿いの国道1号線は大変なことになっていただろうことは、想像に難くない。しかも、浜松から豊橋へと続く市街地の信号地獄も加わるのだ。
 その暑さと進まないペースは、もう給水を求めた。手塚が言う。

『ちょっと止まりたいです、水が無い』。

 今回の旅は暑さ対策つまり給水がポイントになる、と考えていた。ロードバイクは通常フレームの三角形にボトルケージがあり、ロングライドはWボトルにする。しかしそこにバックが付いているので、手塚はシングルボトル600mlのみだ。僕はその対策としてハイドレーションパックを選んだ。背中を冷やしてくれるし量も3L入る。しかしサドルにかかる重量で、ケツが痛いのが難点。

 『一番いいのはさ、トライアスロンみたいなフレーム取り付けのハイドレーションボトルだな』

 ロングライドになるほどに、休憩時間はそのままロスタイムとなる。たかだか10分の休憩もチリも積もれば…例えば6回でトータル1時間。その平均速度分のロス、25〜30kmを取り返すのは難しい。
 それでも休憩がやむを得なかったのはこの日の暑さで、先週のトレーニングライドで熱中症になった手塚は、給水タイミング自体が気が気でなかったはずだ。

 その彼は体重の軽さを活かして登坂が速い。重い僕はどうしてもついて行けないが、互いにマイペースで走るのが坂道のコツ。三ヶ日のミカン畑を抜ける頃、ちょうど今日の半分の距離で残り125kmになったが、

『このままだと間に合いません』

と手塚が言う。『間に合わない』とはくだんの鳥焼き店の予約のことで、どことなく焦る気持ちが僕にも芽生えた。しかしだ。ほんのりペースを上げたかに見える手塚とは裏腹に、僕はゆったりと、この奥浜名湖の風景を写真や動画に収めたかった。加えてそれをグループLINEに送ることで、クラファンしてくれている方々や仲間達にもこの旅を共有して欲しい。それらが僕のやりたいことであって、でなければ一体何のための誰のための旅なのか。
 今まで多くの*ローディー達と走ったが、速い人になればなるほど走り以外に興味を失くす。僕はいつもそれをツマラナイ事だと思っていた。レースならばそれで良いかも知れないが、レイラインツアーは旅だ。お札と参拝以外には急ぐ理由は一つとない。目の前の美しい景色や花や匂いや肌触りを楽しまなくて、何の意味があるのだ。
 それはまるで人生そのもの。旅とは人生。人生とは旅。人それぞれだから押し付けはしないけれど、人生になぞらえるならば、明日や一月後・一年後の予定よりも、今この一瞬の方がずっと大切なはず。少なくとも僕はそう思っている。

『とりあえず鳥焼きはさ、もう少し到着時間が読める頃になって間に合わないのならキャンセルしようぜ。たかが焼いた鶏だぜ、そんなもんに急かされるのもどうなんだ?!代わりにはいくらでも出会える』

僕は慌てる気持ちに対して、少し腹を立てていた。長い付き合いの気心知れた手塚だからこそ、それを何の躊躇ためらいもなく伝えられた。

『ですね、そうましょう!』

そう答えたものの、彼の顔色はあまり良くなく、まだ気持ちはいているように感じた。しかし、その訳を知るのは明日を待たねばならない。

 それにしても、どうして大変なときに限って、追い打ちをかけるように難儀なことが重なるのだろう。長距離。灼熱の気温。強烈な向かい風。長い坂道。まるで楽天的なイタリアの景色を思わせる三ヶ日ミカン畑の石灰岩の石垣を眺めながら、食いしばるようにペダルを踏んで山道を登る。長い。
 すぐそこには心霊スポットで有名な旧本坂くほんさかトンネルが迫ってきた。重なる辛苦にあらがった果ての闇堕ち。まるで人生にありがちな展開を、今ひた走る旅路たびみちに重ね、暗がりの中を駆け抜けた。

*ローディー…ロードバイクに乗る人をこう呼ぶ

奥浜名湖
三ヶ日のミカン畑
石灰岩の石垣はイタリアっぽい

山道の悪霊と、若者の光明

 旧本坂トンネルをくぐると愛知県に入る。長かった静岡県をようやく抜けた。坂道を下り切ると豊川市街。なので、ここで大岳さんのサポートは終わり。この先の愛知県内はどう考えてもクルマの並走は不可能。ここまでありがとう、お疲れ様でした。
 休憩地のコンビニで、そう3人で談笑してる様子も、どことなく手塚の顔色はすぐれない。熱中症だろうか。そこへ愛守花さんがメッセージをくれた。どうやら山道で悪霊がついたらしい。手塚はすぐに思い当たったようで、

『あのトンネルの手前の坂です。急に変な感じになった』

 マイナスの心境は良からぬ者を引き寄せる。その法則は間違いないようで、彼の心境は随分とネガティブな思考に占領されていたようだ。
 が、そこへ一つの光明が現れる。

『宗さん!久しぶりです』

『おお!本当に来てくれたのか!!』

ジャイアントのエアロロードに跨ってやって来たのは苣木麟太郎ちさきりんたろう。僕が沼津高専トライアスロン部の名ばかりの監督をやっていた時の学生で、今は社会人になって愛知県内に住んでいる。予定が合えば一部同行したいと約束してくれていて、会社を休んで来てくれたのだった。

『AirTag見て、逆走しながら探しました』

『おお、ありがてぇ!お前なら引いて貰えるな』

身長180cmを超える大柄な体躯の彼ならば、見事な風除けになれる。風を切って先頭を引いてくれるだろう。

『頼りになるな!若者にすがりましょう』

出会った時は若者だった手塚も、不惑が手に掛かる歳になった。もう若くはない。

『よっしゃ、元気貰った。出発しよう!』

機関車を手に入れ3両編成のトレインになった僕等は、大岳さんの見送りで発車した。

 国道1号線へと合流するまでは姫街道をゆく。かつて東海道の要所だった浜名湖の今切いまぎれ渡しや新居の関所をかわすための道で、女性が多く利用したのでそう呼ばれた。旧道ゆえに道幅も狭く、信号と渋滞地獄がまた繰り返される。
 豊川から岡崎へ向かう道は、緩いアップダウンの広い道路ここはもう天下の国道1号線だ。向かい風に負けずに麟太郎機関車が引いてくれるおかげで、巡航速度は明らかに上がった。
 そのまま進めると徐々にバイパス道路となり、あまり信号待ちもせずにスムーズに走れた。軽いロードバイクの後ろに重い荷物の2台が連結している。3番手の僕は加速して付いて行くのに少々脚を使ったが、*スリップストリームの恩恵は譲れない。やがて三河安城が近づいたコンビニで給水休憩。ここで彼とはお別れだ。
 僕は熱中症気味になっていたので、頭からペットボトルの冷水を被った。身震いしてのけ反ったら背中を攣りそうになる。危ない。顔は笑っていても、身体は限界の悲鳴を上げている。

『ありがとう、助かったよ。おかげで、ここまで来れた。何とか間に合いそうだ』

そう3人で喜び合って、2両編成に戻った僕と手塚は名古屋へと向かって発車した。
 この頃手塚の足が回るようになつたのは、どうやら愛守花さんが霊を取り除いてくれたかららしい。

『その部分と、チャリペダルの所に、軽々と漕げる!という、ヒーリングをおくりましたのよぉ〜✌️』

とは、彼女からの後日談。

*スリップストリーム…後ろにつく人は空気抵抗が減り、楽に走れる

光る大岳さん
頼れる若者
ぐったり岡崎城

大都市名古屋と一宮

『先が見えてきたな、今は興津辺りにいて三島はあと少しだ』

今日の走行距離が200kmを超え残り50kmを切ったのを、地元の距離感覚になぞらえた。

『だいぶ見えましたね、これなら間に合うどころか予定より1時間早く着く!』

手塚も安心した表情かおを浮かべた。2人になったので、ペースは少し落としてひた走る。途中豊中ICのジャンクションで、勢いよく追い抜いていったローディーが1台。ところが間違えて高速道路へと入っていった。すぐに気がついて引き返してきたようだが、彼は僕らに着いて行くことにしたようだ。
 信号待ちで振り返ってみたら、外国からの旅人だった。話しかけたらスイス人の年配(いや、欧米人特有の老け顔なので、ひょっとしたら自分より若いかもしれん)男性で、北海道から沖縄まで行く途中だという。
 今日は浜松から名古屋までの予定らしい。しばしの間、再び3両編成に戻ったトレインは、僕が牽引した。

 名古屋に着いて彼と別れた後は、再び信号渋滞地獄となった。都市高速の下をゆく道は夕暮れ黄昏。秋分の日が近いのでずいぶんと日没が早くなった。名古屋タワーや名古屋城といった名所を横目に見て走り、国道22号線に入る。が、どうやら自動車専用道路で自転車は走れない模様。そこでグーグルマップを広げて一休み。県道190号をひた走れば一宮に着くことがわかった。しかも予定通りに。
 実は手塚に悪霊がついた旧本坂のあの山道で、間に合わないことを受け入れつつも、僕は《ヒカリの存在》に頼んであった。

『遅れたとしても、このままの道すがらを楽しんで行くけれど、出来たら丁度良く間に合わせてね』

 そんなことを思い浮かべていると、そこへ手塚の元に予約してあった鳥焼き屋から電話が入る。予約時間よりも早くきて欲しいらしい。渋滞で再び遅れがちだが、なんとか19:30には着けそうだ。

 『あと5kmくらい、すぐそこだな』

『僕は脚が回るようになりました、なんか一定の距離を越えると覚醒しませんか?!』

分かる!解る!と頷いて、今日の250kmのプランは無謀ではなかった事を共有した。
手塚が前に出て牽引してくれた。

『俺もまだ走れるわ、あと50km走って長浜まで行って泊まるプランでも良かったかもなぁ』

そんなセリフを吐いていても、実際に到着すればホウホウの体。小上がりにあぐらをかいて攣りそうになりながら、お目当てだった味噌ダレの鳥焼きに喰らいつく。

『やっぱりレバーと味噌が効くよな!お代わりしよう!』

一杯でも泥酔しそうな生ビールをグビッと飲みながら、ひたすら無心になって鶏肉を食べ続けた。

名古屋都市高速の下の渋滞
名古屋タワー
味噌だれ鳥焼肉
味噌と肉は染み入る

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