《これを楽しむ者に如かず》 誰のためでもなく、この旅路そのものを楽しみ、あるがままに生きよう。 はじめに 旅するスーパースター、蕎麦宗です。 2023年3月14日〜3月21日に、西の出雲大社から東の玉前神社まで、レイライン上の7つのパワースポットを繋ぐ1170kmの自転車旅にチャレンジした。それがこちら↓ 計画を始めた2022年の春はコロナ禍真っ只中で、閉塞した社会の空気感の中、何かをやらんと企てた挑戦がレイラインツアーだった。その時、掲げたテーマが と
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 物事を終える時、きちんとケジメを付けるのが僕の流儀だ。 たとえ疎遠になっていたとしても、もし仮に喧嘩別れしたとしても、その時に世話になった事には変わりないのだから、出向かないまでも、せめてたった一言のLINEなりメールなりをする方が良い。と思っているけれど、それはあまり一般的ではないようだ。 ここ数日を使って4カ所へ閉店の挨拶に出向いてきた。 最初は亡き妻の両親。ちょっと遅い時間だったこともあり、 『話したいことがあって』
旅するスーパースター。蕎麦宗です。 昨日、彩雲を見た。 ずいぶんと昔から空を眺めるのが好きで、通勤の自転車からも、出先の街を歩いている時も、ひょっと気がつくと天高く見上げることが多い。 2020年の新型コロナウイルス騒動で、世界中の経済活動がストップした時があった。あの時の空はこの上なく青く美しく、僕が生まれてからの半世紀の間で一番美しかった。 そのコロナ禍も落ち着き、地球上の人々の活動は平時と変わらぬ状態には戻った。しかしながらそれでも空は美しい。空の青さは相
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 今回のこの記事、なんと100週連続投稿だ。 実際には2020年1月11日にnoteを始めてから毎週一回以上の投稿をずっと続けているので、連続230週を超えていると思われる。 この表示が出るようになったことはnoteを書き続ける意欲にも寄与してる。そして、一つの嬉しい区切りのそんなタイミングに、【区切り】のお知らせをするのもまた奇妙で興い。 さて、2005年5月9日に伊豆の三島に開業した手打ち蕎麦屋《蕎麦宗》は、2024年9月9
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 引き続いて手放し断捨離中で、さて鉄道模型をどうするか!?となった。 根っからのアウトドア&スポーツ人間の僕が、唯一のインドア趣味として小学5年生から続いているのが鉄道模型。社会人になって復活の後、すっかり意気消沈して片付けたのは9年前。若き友人コウノスケにあげたその話は【サンタクロースは本当にいる】に書いた。 その後再復活して4年ほどになるが、この度また手放すことにしたのは、人生が大きく舵を切ることになるからで、詳しくは近く書
旅してないスーパースター、蕎麦宗です。 還暦を潮に、ここしばらく勤めていた仕事先を辞めたというお客さんがいた。未だ会社に残っている元同僚との食事で、蕎麦宗を使ってくれたのだった。 予約で来て下さったその日は、伊豆に線状降水帯の警報が出て実際に大雨が降っていた。 『大変でしたね、こんな日に。ありがとうございます』 そんなだったので店内は閑散としており、ご挨拶のお天気話を終えた後も、僕はその色々な会話に耳を傾けた。どうやら定年より前に勤め先を辞めたようだ。 『
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 袴田事件をご存知だろうか。1966年に静岡県清水市の民家で味噌製造会社の専務一家4人が殺害された事件の通称である。 その犯人として逮捕・投獄された袴田巌さんが無実を訴え、60年近い長期に渡って闘い続けた再審の結論がいよいよ下されんとしている。 味噌樽に隠し漬けられた血痕の付いたTシャツが、一年後に真っ赤な鮮血のまま証拠として現れ、それが決め手となったという。実にあり得ない話だが、そういった不可解な検察の捜査や捏造疑惑、あるいは裁
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 このところ、ずいぶんとスピリチュアルにハマっている、と思われている。実は今に始まった事ではないのだが、それならばスピリチュアルの本質に触れたいと思いこんな記事を書き始めた。 はじめに、どこで見聞きしたのか覚えはないのに、妙に印象深く覚えている事はあるもので、そんな小話の一つを紹介するとこから始めるとしよう。 神は姿を露わにして助け来るものでは無く、様々な形でその祈りに応え助けるべくメッセージを送ってくれる。なるほど、目に見えて即
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 このところ休みの度に片付け・断捨離に精を出している。 以前【断捨離と旅の荷物】に書いたように、片付けは得意なので基本散らかってはいない。 しかしながら、いくら【断捨離神】だとしても、暮らしや考え方の変化によって不要なモノは出てくる。 ずっとシンプルライフをして来たからか、人生という旅の荷物はすこぶる少ない。CLUB SOBASOの活動で増えたモノも、まるで取り上げられるかのように無くなった。【哀しみにさよなら】に書いたように亡
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 【4年ぶりの青虫アゲハとサンショの木】に書いたとおり、我が家の庭先でアゲハ蝶が飼われることになった。そうすると当然、家族の会話に虫の話題が増えることとなる。だからか知らぬが開いたネットに関連動画などが上がることはままある。 先日もそうだったけれど、明らかにSiriは会話を盗み聞きしてるんじゃないかと訝しい。定かではない。しかし、かなり疑わしい。 そうしてAIが判断したからかどうかは分からぬが、養老孟司氏の動画が現れた。東大の解剖学教
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 もう4年前の記事になるが、自宅の庭に生えているサンショの木にて、アゲハ蝶が成長する様子を書いた。それが↓こちら。読んでない方も覚えてないなーって方も、ぜひ先に読んで頂きたい。 そのアゲハ達は、ここから巣立った後も毎年毎回繰り返し我が家の庭にやってくる。帰巣本能だろう。その影響か、2本のうち片方のサンショの木は枯れてしまった。 しかしながら、天敵などの厳しい自然に揉まれたゆえに、決してアゲハの数も増えはしない。だからか、残ったサン
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 2024年5月9日に19周年を迎えた。あっという間過ぎた日々は、開店準備が昨日のように懐かしい。その歳月の流れは、入り口の前庭の木々に表れている。殺風景な田舎の街の風景に、少しでも潤いを与えたいと、僕のランドスケープアーティストとしての一面がそうさせた。おかげで蕎麦宗の正面はずいぶんと茂った緑のおかげで潤いに溢れているけれど、この通りは残念ながら相変わらず無機質のまま。良かったらこちらを↓ さて、コロナが完全に無関係になったGWが
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 今となってはすっかり過去となった2020年。あの4年前のGWは、例の流行り病のせいで11日間蕎麦宗を休業して、人生で初めてGWを堪能した。そちらは↓などに書いた。 僕は恨み節なのでいつまでもしつこく覚えているけれど、世の中のほとんどの方々は記憶喪失なのではないかというくらいに《あの一件》はなかったことになっている。 お客さんと話した際にすぐに思い出して話してくれるのは、貴重な青春時代の3年間を棒に降ってしまった若者達で、『その分
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 先だって、引っ越し蕎麦を食べに来て下さったお客さんがいた。三島が大好きになって、勤務先は横浜のままこちらへと移住したという。僕も大学生の頃横浜に住んでいたので、ご当地トークで盛り上がったついでに就活時分の話もした。その一つに、ドイツ留学を目論んでいたけれど、就職氷河期の教員採用試験の狭き門を現役合格(自慢でしかない)したことで流れた、なんて事を披露。 その翌日、星読みをキッカケにして蕎麦宗に興味を持ったというお客さんが来てくれた
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 このところ歴史にどハマりしている。もともとはサイキックチャネラー愛守花さんと組んで行った【歴史&スピリチュアル神社巡り《伊豆韮山から三島】のために、キーパーソンとして据えた郷土の偉人《源頼朝》の事を調べていた。 すると源氏→八幡神→神社→天皇家→秦一族→秦始皇帝→ユダヤ→シュメール→モーゼ→エジプト→ピラミッド→巨石文明→海洋民族→スンダランド→縄文人と言った感じで繋がり、な、なんと世界の文明の起源は日本にあるのかも知れない!と相な
旅するスーパースター、蕎麦宗です。 『山ちゃんご無沙汰!』 いらっしゃいませ!の声と重なって、屈託のない笑顔が暖簾をくぐった。そう言われたものの、一瞬誰だか分からなかった。けれど、分厚い首元と広い肩幅の、ガッチリとしたラガーマン風情の体躯が直ぐに思い出させてくれた。 『おお!スケさん久しぶりやな』 なんと大学時代のクラスメイトで、ラグビー部に所属していた村尾俊介だった。 『卒業して以来かな?せっかく遠くから来てくれたのにすまんけど…予約含めて満席なんだ、待てる