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夜明け前のドカティ

 目指せスーパースター。蕎麦宗です。

その1  哲っちゃんは仮面ライダー

 この夏に友人の息子さんが船橋から自転車旅をして来伊豆してくれた時のことは【ふなっしーが届いた】に書いた。自分自信も若い頃、いや今だに友人知人の家にヒョッコリと現れては泊めてもらったりしているので、人から頼まれた時には勿論喜んで引き受けている。
 そうした《文化》は我が家にはずいぶんと古くからあって、その影響が色濃いからだが、それもある意味【始めるスイッチ】で自身が幼い頃の記憶に由来する。

『おばちゃん、仲間と伊豆へツーリングへ行くからその時泊めて、雑魚寝で良いから』

 末娘である母親の長女の姉が織田の叔母さんで、その息子が哲ちゃんである。オートバイが大好きで仲間と一緒にツーリングで何回か我が家に来ていた。
 従兄弟であっても一回りほど離れているので、哲ちゃんが社会人になりたての頃でも、幼稚園児か小学生だった僕には随分と大人に見えた。

 来るたびにオートバイが大きく立派になって、仲間達のモノと共に何台ものマシンが庭先に並ぶと、それはもうヒーローのようで大興奮したことを覚えている。
 昭和生まれの僕らにとって、オートバイといえば《仮面ライダー》。石ノ森章太郎原作のあの名作は昭和・平成から令和になってもシリーズは続いており、子供達を魅了している、いや、今はママさん達を…と言った方が正しいかも知れない。『イケメン』の語源はおそらく平成最初の仮面ライダークウガを演じたオダギリジョーだ。

 そう、僕にとって哲ちゃんとその仲間たちは仮面ライダー全員集合のようなものだった。だから、子供がヒーローに憧れる気持ちそのままに、オートバイに乗るということに所有や操縦とは異なる憧れを抱くのだ。

 あれから40年が経つ。乗りたいと思いつつ何度かその気持ちは立ち消えた。
 自転車好きの自分にとって少々被る乗り物であったり、クルマ好きの自分にとっては選択に迷う乗り物だったり。自転車はトレーニングにも使えるし、クルマは移動や運搬の道具でもある。つまり手段にもなるわけだが、オートバイは目的、つまり、それそのものを楽しみ慈しむ趣味性が主たるモノだ。
 今、僕はそこに惹かれているのだろうと思う。仮になんの役に立たなくとも、楽しく豊かな時間を共に過ごせるモノやコトやヒト。『遊び』ってなんて贅沢なんだろう。そしてそれは人間にとって必要不可欠な存在だ。

 だから、《club sobaso》にオートバイ部も作ったこのタイミングに、ぜひともこの機会を逃さず今度こそ乗ろうと思った。免許取得のハードルもオートバイ購入の敷居も高いが、なんとかなるだろう。

 約半世紀を生きた今にして、ようやく憧れの《ライダー》に近づいた。つづく

その2 族車のプラモデル

 子供時代に従兄弟の《哲ちゃん》達オートバイ乗りに憧れていた割に、僕の気持ちがなかなかオートバイへと向かわなかったワケがある。それが《暴走族》だ。

日本の高度経済成長がオイルショックによって終わり、そこからバブル景気・崩壊へ向かうまでのこの間(1973〜1991年)、ヤンキー文化の一つとして《暴走族》が若者に流行った時期があった。クルマやオートバイをド派手に違法改造して集団で道路上を練り走る。深夜の爆音、縄張り争いの喧嘩、触法行為への陶酔…。それらは、戦後色濃く残る軍国主義と経済を立て直す為の仕事中毒ワーカホリックや、若者・子供達への威圧的または及び腰な態度といった、そんな大人達に対峙する、若者達の反抗だったのだと思う。

中学2年生の時。週一のクラブ活動という3学年合同の授業があって、僕は模型クラブに入っていた。学校でプラモデルを作って良い!なんとも素晴らしい時間。その際、先輩の数人が《族車》のプラモデルキットを製作しており、*竹槍を付けたりロングシートを紫に塗ったりカウルをそっくり返して喜んでいた。それを見てつい口走った僕の一言が彼らに聞こえてしまった。

『ダサっ』。

今でこそ美意識は人それぞれの嗜好があるので、『その趣味趣向に口を挟んではいけない』と分かっている。しかし、若かりし頃の僕はそれら族車はなんとも異形過ぎてカッコ悪いと思っていた(この辺りを《美術=アート》の視点から見ていくと面白い気がするので、誌面をまた別にして語ろうと思う)。しかも、イタズラ小僧のクセに何故だか倫理観が強かったので、暴走族や不良が嫌いだった。がんじがらめの中学生生活は彼等の破廉恥が原因だと逆恨みしていたからだ。

さて、大変。後日、*体育館の便所に呼び出される。先輩達は怒り心頭だ。一髪触発。でも、そこへ助け舟が入る。少年サッカー時代から仲が良かった先輩の衛まもるちゃんが、用を足しにたまたまそのトイレに来たのだった。彼は仲裁に入ってくれ、僕が謝って事なきを得た。僕も安堵した。殴やられなかったからではない。自分が暴発せずに済んだから。

中学生になって大人にならなきゃって思っていたあの頃、腕力は強かったけれど暴力は好きでなかった。なので【サッカーはやめてしまったけれどその3】に書いたように、学校での抑圧された窮屈さをなんとか暴発しないようにいつも手懐けていた。でも『キレたらヤバイ』と自分でも辛うじて感情をコントロールしていた。思春期だった。

そんなわけで、オートバイ=族車=暴走族=非行少年という図式がすっかり出来上がってしまい、それらは一緒くたに嫌悪の対象になった。なのでしばらくの間、オートバイに興味を持つことはすっかりご無沙汰となった。

*竹槍…マフラーを長〜く伸ばして立ち上げて取り付けること。

*体育館…しばく・ボコる、しばしば暴力や喧嘩は人目につかない体育館の裏とかトイレだった

竹槍の族車

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