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こうして文章を書き始めた今だから

 目指せスーパースター。蕎麦宗です。

 noteでブログを書くようになってからお客さんや読者の方々に『宗さん文章上手いですね』と言われる。…蕎麦屋にしては、という前置きが付くことは承知な上で、謙虚じゃない僕はそのままに受け取って『あざっす!』と答えている。
 本業は蕎麦屋で文筆家ではないし、教員やってたって言ったって体育教師だ。元来じっとしていられないタチなので本もほとんど読まない。思いつくままに言いたいことを書いてるだけで、ただ《読みやすさ》には気を配っているつもり。
 そして、半世紀も生きてるけど中身は小学生。なので、褒められると調子に乗って『そのうちに《本》出すよ』なんて話している。まぁ、それはいつになることやら。

 で、そんなこんなで『どうして文章が書けるのか?』という問いに回答すべく書いたのが今回のお話。では、早速はじめましょ。

文章を書く

先日来てくれた常連さんのご夫婦が

「ブログ読んでますよ、夫婦で!」

と嬉しそうに話しかけてくれた。加えて「蕎麦宗さん文章書くの上手いね〜」とも言ってくれた。『もうじきに150記事(2020年6月時点)になりますからね、下手の横好き誰だってそんだけ書いてりゃ上達しますよ』と返答したが、そう言われるのは初めてではない。

 2019年の台湾KOMの募金の返礼に書いたレースレポートを楽しそうに頷きながら熟読してくれた年輩のお客さんもそう言ってくれた。そもそもこのnoteでのブログを書き始めたキッカケだって、【沒蹤跡(もっしょうせき)】で書いた通り、仙台までレクチャーを受けに行った時の後輩のアフィリエイターの一言だ。

 仙台へ行く前後にメールでその後輩とやり取りをしていた際、「外注している誰より上手くライター級です!、早くブログ書いて下さい」とお世辞を頂く。なんとかもおだてりゃ木に登る、その言葉を真に受けてその気になって続けただけのこと。

 でも、実は自分が文章を書くということに自信を与えてくれた一番最初の人がいる。直接の出会いはもうかれこれ32年前(1988年)。このブログを書いている上で、どうしても外せない、いや外したくない人物なので語る事にする。

 その人の名は、『ミズカミケイコ』という。

ミズカミケイコ

『ミズカミケイコ』

 担任の先生から配られた文集の目次を開いて、心の中でこう呟いた。

「またコイツだ!」

 伊豆の田方地区の小学校では『ささぶね』、中学校では『海の子山の子』という文集があった。読書感想文や日記めいたものやら様々な作文が各校から寄せられたもので、僕は小学4年生の時に『スリーバント失敗』という作文で、中学3年生の時に表紙の絵で、掲載された経験がある。

 たしか年に2回の発行だったが、何気なく目を通した時から気になったのがその子の名前。各校2名の代表者が選ばれるその文集に、修善寺小学校・中学校の代表として毎回名を連ねていたからだ。
 9年間にやっとの事で一回だけ文章が載った自分とは異なり、この子はどれだけ文才があってどれだけ色んなことを考えているんだろう。どんな内容だったかはさすがに記憶の彼方だが、当時、会ったこともないその同い歳の彼女に尊敬の念を抱いていた。

 高校受験の合格が決まったそばから、サッカーをやりたいがためにサッカー部の門を叩き、春休みから練習に参加していた中学生の僕と*史周に、二人の先輩マネージャーさんはとっても優しくしてくれた。その一人が修善寺中学の出身だった伝手で、同級生にも二人の同中学出身のマネージャーが入部した。

 そのうちの一人にふと名前を聞くと、覚えのある名前だった。しかも修善寺。入学から少したった頃、初対面に近いにもかかわらず彼女にこう尋ねた。

「ひょっとしてさ、『ささぶね』とかに毎回載ってなかった?」

「え、なんで知ってるの?」

先に、説明した下りを彼女に話すととても喜んでくれ一気に距離は近づいた。そう、サッカー部のマネージャーになった同級生のその人が、あの『ミズカミケイコ』本人だったのだ。

*史周…澤野史周というサッカー少年団時代からの同級生【フェラーリがやってきた】に登場

風の便り

 そうして『ミズカミケイコ』はすっかり親友になった。

 高校3年間はサッカー部の仲間として、大学生時代も社会人になってからも友人として交流は続いた。今の若者たちにはなんてことない事だろうけれど、当時(1990年前後)は『男女の友情は成立するか』みたいなことが、まことしやかに議論されていた時代だ。異性の交友というだけで男と女の関係しか想像しない方がよほど不埒だと思うが致し方なく、周りからしたらいぶかしく思ったかも知れない。
 けれど、僕が結婚した後も親交は続き、妻も彼女のことを『姉さん』と呼んで慕っていた。

 僕が転職して料理人となった時、彼女も飲食業に就いていたので同業者として色々語り合ったし、蕎麦宗をオープンさせた2005年、彼女は職を離れフリーだったのでアルバイト店員としてしばらくの間手伝ってもらったりもした。

 感受性の強い彼女の、感性豊かな内面から湧き出る会話はとにかく楽しかった。父親が国語教師で彼女もまた読書家だったからか、言葉の選択や例えと表現の感覚が抜群に秀逸で、真似たくても真似られないそれは『ささぶね・海の子山の子』の天才少女そのものだ。
 だから僕にとってその時間は、開業したばかりでお客の来ない店の何よりのヒマ潰しでもあり、貴重な学びでもあり、また癒されるひとときでもあった。

 そんな『ミズカミケイコ』は仕事の傍ら文筆家を目指していて、僕ら夫婦もそっと応援していた。蕎麦宗をオープンさせる前の一頃、妻の経営する『ひむ香』というリフレクソロジーを中心とした自然療法のお店のホームページに僕が文章を書いていたことがあって、それを読んだ彼女がこう言ってくれた。

『アンタの書く文章マジ面白いし、参考にも勉強にもなる』と。

 その頃は人生の目標を失って料理人としてもケッ躓いて、自信や誇りは影が落ちたように消えかけていた。だから、その一言に本当に救われた。 
 しかもそう言ってくれているのは、あの『ミズカミケイコ』なのだ。人が何かを始めたり続けたり決断する時に、その原動力となる言葉は必ずある。そして、そんな風に認めてくれる人がいるからこそ自分の存在を許せるのだろう。
 だから僕がこうして文章を書いているのは、彼女の存在無くしてはあり得ない。

 その後、彼女も結婚して遠方に嫁いでしまったので親交は途絶えて久しい。
 けれど、こうして文章を書き始めた今だから、ブログという風の便りに乗って「とりあえず元気に生きてるよ」ってことだけ、きっと届けって思ってる。終

#ブログの続け方 #アフィリエイトで稼ぐ #異性の親友 #SDGsへの向き合い方




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