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石蔵〜時間や歴史という価値を思う

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

 ご来店して下さったお客さんとの話しの中に《石蔵》の話題があった。

 嫁いだ娘さんが実家の土地に住んでくれることになり、別棟を新築するらしいのだが、その都合で100年以上は経ているという石蔵を壊さなければいけないらしい。
 聞けば内部は2階建てなのに加えて地下室まであるという。元が農家で今となっては使えない古い農機具に埋め尽くされて、中身はたいそうなものはないと謙遜されていたが。

 それにしても、それだけの蔵を壊してしまうのはなんとも勿体無い。そこで僕が提案したのは『*抱きぐるみ』といって、信州は諏訪地方にある蔵と住居が一緒になったもの。 それをモチーフにして残存する蔵の周囲に新築の住居を作り、蔵をリビングやダイニングとして活用すれば、涼しい部屋にして、且つとってもお洒落なインテリアが出来上がる。しかしながら、時すでに遅し。

『娘夫婦は蔵には全然興味なくて、ハウスメーカーとの契約が済んでいるので、この夏には取り壊すんです』。 
 いやはや実になんとも勿体ない話だが、仕方ない。よそ様の家の話だから、僕が口を出すようなことではない。とはいえ、一言ついつい言いたくなってしまうのも悪いクセ。

 で、悪癖ついでに語っておくと、例えば【これまたシンクロニシティ】で書いた《青木工務店》さんのような建築設計士に頼んで作れば、それらも活かした形な上にローコストでより良い住宅が作れるものを、工業製品であるメーカー品を選んでしまったばかりに、更地にして正方形の規格に則った土地を用意しなければならない苦労。また、そのために、これまた銀行が最も得意とする(ボロ儲けという意味です)住宅ローンのせいで、30年40年という人生の大半を『家を買う』ということの奴隷になるという選択をせねばならぬという苦悩。
 それらを抱える若いご夫婦のことを思うと不憫でならないが、まぁ仕方あるまい、日本の学校はそういう事を教えるようには出来てない。

 それにしても、どうして日本はこれほどまでに古き良きものを大切にしないのだろう。チョイともう一つ思ったことがあるので、後半へつづく。

*抱きぐるみ…母屋と蔵を別棟とぜずに、一部を石蔵または土蔵としてはめ込んだ形での建築様式

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茅葺の古民家も絶滅危惧種

 100年以上の時を経た石蔵が残念ながらも取り壊されてしまうという話をお客さんから聞いた。タダでイイから貰ってくれないかしらとも言う。ありがたく頂きたいところだが、移築の費用を用立てるのも簡単ではないし、そもそも置く土地を持ち合わせていない。実に残念だ。
 色々と思うところも言いたいこともあるのだが、なかなかどうして、それを伝えたい人たちには届かないものだ。親御さんであるその方も僕の想いと同感のようだったが、『娘達は親の言うことなんて聞いてくれないのよ』、と嘆いていた。

…さて、

《女房と畳は新しい方が良い》

という格言が示している通りに、新品が重宝され若さ・*ネテオニーを寵愛することは日本の文化の根底にある気がする。建築物に関して言えば、災害が多く壊れ易いことや、高温多湿ゆえに腐敗し朽ち果て易い事から起因していると思われる。伊勢の遷宮が典型適だ。
 そして、おそらく建築=住居は暮らしの基礎であり、文化はそこから作られてきたゆえに、文化全体を見渡してもその傾向は根強く象かたどられている。それが新しいモノが好まれる所以だ。
 さらに、これを加速させたのは二度に渡る『革命』だろう。明治維新の際にヨーロッパ列強からの進言への歪曲理解と、戦後のアメリカからの文化的・政治的な圧力によって伝統や歴史は置き去りにされる。古いモノは壊し、新しいモノに置き換えることこそ善。

 戦前、つまり大正時代や昭和初期は日本建築が最盛期を迎えた爛熟期とみなされていて、数寄屋造りをはじめ素晴らしい建築物が沢山建てられている。しかしながらその維持管理にコストがかかることから、また相続税を理由に多くが無意味に破壊されるようになった。バブル崩壊後のデフレ的世相は《コストパフォーマンス》というもっともらしい価値観を提供したが、それが後押しして『安物買いの銭失い』的なモノが増えた。立派で瀟洒な邸宅は解体され土地は分割され、代わりにプラスティッキーで、100均ショップで売ってそうな品質の矮小な住宅に置き換わった。

 それは、先祖代々という家制度の崩壊によって、『住宅』は家が何世代にもわたっての為に『建てる』ものではなく、各世代が個々人で自分の世代のためだけに『買う』使い捨ての物となったことも理由だろう。3000〜5000万円という超高額な購買品が、わずか20〜30年という短期間で無意味に壊され、捨てられるという事実は、残念ながら多くの人の関心事とはなっていない。

…などというクソ真面目な事柄を、リーデルのグラスに注いだスコッチウィスキーをくゆらせながら思い馳せる。例えばマッカランは12年より18年、それよりも25年と、長い年月を経た方が高価である。思えば、同じ英国のコッツウォルズにある木造の茅葺き屋根の400年超の古民家が、引く手数多あまたな人気ゆえに超絶高額で取引されているのも同様だ。これらは《時間》という不可逆的で、決してそれ以外の方法では手にすることが出来ない物語に意味を見出し、経年、つまりそのモノが過ごした時間=歴史に価値を置いているからに他ならない…。

 さて、石蔵に戻ろう。

 壊すのは簡単だ。重機を使えば石蔵のひとつやふたつは2〜3日で更地となる。しかしながら、同じものを作ることはおそらく二度と出来ない。仮に作れたとしても《歴史》を抱擁した同様の物になるためには100〜200年といった時間が必要なのだ。それにモノにはそれぞれの寿命があるはず。それは本来、人間の都合とは無関係なものである…というのは以前【モノの天寿〜お礼の返信に代えて〜】に書いた。

 石蔵を救いたいという想いを抱えながら、何も出来ずにただ指をくわえて壊されるのを待つだけの自分が歯痒はがゆくて、せめてもの思いで真面目な文章に筆を走らせたけれど、それにしても残念無念。自分の身の回りの物だけでもいい、守るべきものを未来に向かって残したいと思う。

ああ。ガンバラナシませう。

*ネオテニー…幼児成熟。ウーパールーパーで知られる生物学用語。モラトリアムとして幼稚形態のまま一生を過ごすが性殖的には成熟している。

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