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'90年代の青春を生きてきた諸君!グローバル化にみるアイデンティティの揺らぎその(2)

大学に入って何がしたいか?大学入学それ自体の動機は曖昧でしたが、「どんな学問をしたい?か」「具体的に何がしたいか?」この問いについて僕は明確でした(これは愚鈍な私が2年間という浪人生活を経験したからこそ考え。得られた結果かもしれません)。答えは「4年という期間の中で、報道等で見聞する「対岸の火事」をこの眼で実際に見たいというもの。

だから夏休みなどの長期休暇になればバックパックを背負って格安航空券と当時はまだバックパッカーにとって使えるものであった『地球の歩き方』の必要箇所をコピー(あるいは切断)して十数カ国を歩くことにしました(それぞれの詳細はまた後に)。

よくよく考えれば1995年に高校を卒業したボク。'90年代とは、

情報・ヒト・モノが、資源・労働者・留学生などに変換してグローバル・レベルで移動・飛び交うようになった時代です。しかも猿岩石は南米やらを歩いていました。

「移動」は従来以前に自由なものとなり、極端に言えば「俺って、何処へでも行けるやん?」という自分が想定されます。だから「世界の現実をこの眼で見たい」「見なきゃ死ねないでしょ」ぐらいの強い想いがありました。ある意味では「グローバル化とアイデンティティの揺らぎ」に対して無意識であれ影響を受けていたと言えます。現地で出会ったパッカー仲間内では「ロバ1頭を連れてシルクロードを踏破したフランス人」が伝説になっていました(笑)。

僕が旅をしていた当時でも海外で出会った日本人は大勢いました。いまだに忘れられないのが、僕がNATO軍による空爆後のユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルチェゴビナ)からチューリッヒ(スイス)まで渡ったユースホステルで出会った東大生に「明日、明後日はチェコのプラハでビールを味わうんだ」と喋ったとき、「東大まで入って危ない目に遭うことは避けたい」と返されたことです。チェコの何が危ないのか?肝試しじゃあるまいし。そんなものは確率の問題で、日本でも運が悪ければ同じ。旅を経験した多くの人が感じると思いますが、99%の人間は優しく親切。人生大抵のことはどうにかなるのと同じです。彼の表情と言葉は今でも強烈な印象を残しています。まぁ、彼はスマートですけど、じゃあそもそも来るなよって話です。

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そんな中、今でもよく憶えているのが2004年10月27日、香田証生さん(当時24歳)がイラクで「イスラーム過激派」によって殺害された件です。当時、僕と顔が似ている(らしい)ということもあって色々な方(実姉を含む)から電話連絡を頂いたのを憶えています。

「お前じゃなかったんか」

と・・・。

一人旅やバックパッカーを経験した人ならすぐわかると思いますが、

「○○○まで@○○km」

「○○行き」

という道路や駅にある “標識” 

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それらを眼にした時に全身に走る衝撃。標識は衝撃。

「これに乗れば・・・、車を拾えば、あの○○に行ける・・・。見れる。体感できる」

という感覚。遂に僕は情報から一抜けした。世界の一部になった、という実感が全身を震わせます。香田くんの結果は残念なものでした。

でも、香田くん、僕は君の気持ちの一端が理解できてしまう。僕も香田くんも同じような、「何処へでも行ける」と叫ばれた時代に生きていた。香田くんの場合は、報道によれば道端で「バグダッドまで@何km」という標識を眼にしたと聞いた。おそらく、僕が同じ場所に立ったときも、君と同じ選択をしていた可能性が非常に高い。いや、同じ行動をしていただろうと思います。世間的(政治的)には彼の行動と結末を「自己責任論」ですんなりと片付けてしまいました。背景には自衛隊のイラク派遣もありました。

ただ、90'年代というハザマに生きてきた彼にとっては、情報だけで全てを収束させ・理解しようとは到底思えなかったのでしょう。体感しなければ。それもバーチャルではない次元で。

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突き動かす動力は「安定性」とは間逆の感覚です。狭い世界での損得勘定・立身出世とはかけ離れた世界です。僕は彼ではないので彼の全てを理解しているとは言い切れません。だけど、彼の行動を当時の小泉内閣が政治的に言い切った「自己責任論」だけには終始させたくない。それは政治的な文脈であるテロとの戦い以前に、個々人の内発性に依るものだ。ここは強調したい。

グローバル化が益々進展した現在ですが、昨今では、外国に向かう学生が減少傾向にあります。簡単に言えば危ないと。確かに当時の世界もイスラーム過激派によるテロ、内戦、戦争などもあり、世界情勢としてはややこしい時期でした(近代以降でややこしくなかった時期などあるのか?)。

しかし今日では無差別な犠牲を伴うテロなどが実行されたその結果、海外は、より危険な場所と認識されたことも一因でしょうか。世界へ出られる時代に、世界を「まなざさ」ない若者たちの増加。そのための措置として航空券や宿泊費を提供する日本学術振興会による「若手研究者海外派遣」などが創設されました。条件的にOKだったので後年になって、僕もそれを使わせて頂きました。「なんじゃそりゃ?」と思いましたが有難い話だったのでね。しかしそこまでしなきゃならん状況に危惧します。

海外への目線は減少し、代わりに「安定性」が志向される。僕のような「公僕」が就職希望で上位に浮上している今日(アホみたいな話です)。

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