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小手先のデザイン

モノが、サービスが、コンテンツが溢れる現代では、表向きのデザイン(魅力?)の役割が大きいですね。

おしゃれ、安い、可愛い、かっこいい、綺麗、キュンキュン、お金持ち、小さい、軽い、etc...

まさにその瞬間的な魅力の偏重に、うんざりする日々です。

研究室の先生が、

「最近は、小手先のデザインが誰でもできる」

とよく言っている。

むかしの人に比べたらいまの人は、絵も歌も格段に上手らしい。
もちろんメソッドやツールを簡単に共有し利用しやすくなっているのもあるけど、InstagramをはじめとしたSNSなど、個人が容易に自分の作品を発信できる場が増えて、他人からの評価が得られるステージもたくさん用意されているからなのかなーと思う。

たしかに、その見せ方(デザインといいましょう)は、いまとなっては誰でも比較的簡単にできちゃう。

全ての画像も音も自分好みに加工できるし、他人の作品を取ってつけたりもできる。

いまでは誰もがクリエイターの卵なのだ。

一方で、先生が重きを置いていたのは"小手先の"というところだった。

本来ならこのシニカルな表現にクスッとするとこなんだけど、あまりにも的を射すぎていて何度も頷いた。

確かに一定のレベル以上の作品をつくる力は格段に上がっているんだけど、それらはどうも空っぽというか表面的なものが多いように感じてならないんだよね。綺麗だけど、本質的にはだいたいどれも同じに見えるというか。

誰でもクリエイターになれる時代ではあるんだけど、ぴゃぴゃっとやられたものの多くには、魂というか想いというか霊的なものが宿っていないんだよね~。
そしてもはやそんなものでも許されるというか認められることが多いのも、小手先のデザインが蔓延するスピードを加速させているんだろうな。

あまりにも簡単に手軽なデザインをできるようになって、たくさんの作品が簡単に流通した結果、ひとつひとつを吟味する時間がなくなり、鑑賞者の"モノを見る目"も徐々に衰えていっているように感じられますね。甘やかすんじゃないよ!
あとは口コミに引っ張られて疑う目すら持たなくなったり。

僕は真面目すぎるというか厳格すぎるので、本質的なものが失われていることを寂しく感じるんだけど、まあ時代の流れというか、そういうものなのかな~とたまに肩の力を抜くんだ。

先生はSNSをやっていないんだろうけど、"小手先"と一発で言い当てているのは、さすがだなと感心しました。

どんなものにでも、少しずつでいいから、意志も魂もこめるぞ。ふんす。

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