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なぜ、ディオール・オムやサンローランは「ダサく」なったのか?

ディオールとサンローラン。ふたつのスーパーブランドに共通しているのは、メンズラインの立ち上げに一人の伝説的デザイナーが関わったこと。

そして現在はかつてのような輝きを失ったように見えること。

一世を風靡したメンズモードブランドがなぜ「ダサく」なってしまったのか。きわめて個人的な視点から考えてみると、より大きな論点が浮かび上がってきた。

エディ・スリマンの功績

ディオール・オムとサンローランを語るうえで、エディ・スリマンというデザイナーは外せない。簡潔に言えば、彼はディオール・オム (DIOR HOMME) とサンローラン (Saint Laurent) の生みの親だ。

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エディ・スリマン (Hedi Slimane)
1968年パリ生まれ。父はチュニジア系、母はイタリア系フランス人。超名門・パリ政治学院を卒業後にファッションの道へ。ロック音楽と少年性を洗練させた唯一無二の世界観で熱烈な人気を誇る。

まずは2000年。イブ・サンローランで働いていたエディは、モード界の巨匠クリスチャン・ディオールに見いだされた。

「ディオール・オム」のクリエイティブディレクター=デザインの最高責任者として、新しいメンズラインをゼロから立ち上げる。

スキニーデニムや細身のテーラードジャケットなどを全面に押し出したコレクションを発表すると、まだフォーマルで骨太なシルエットが主流だった当時のモード界は一変した。

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エディは2002年の「CFDA Designer of the Year」に選ばれた。15年以上経った今でも初期のコレクションはプレミア価格で取引されている。

モード、テイラリング、カジュアルの完璧なバランス。そしてエディのアイデンティティでもある「少年性」。すべてが若者を虜にする。

それまでモードブランドのコレクションといえばショー用の服というイメージが強かったが、ディオール・オムのコーディネートは今すぐ街に着ていける「リアルクローズ」だった。

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「モード界の帝王」カール・ラガーフェルドは、ディオール・オムのスーツを着るために40kg以上のダイエットを決行した。

デビッド・ベッカムをはじめとしたファッションアイコンからも熱烈な支持を集め、ディオール・オムは誕生間もなく絶対的な立場を確立する。いま巷の男達がスキニーを履いているのは、ひとえに彼の影響と言っても良いだろう。

2006年にディオールを去った彼は、しばらく写真家として世界を旅した。Hedi Slimane Diaryという個人サイトに白黒写真をアップ していく様子を見ると、エディのデザイナー人生は終わったかのように思えた。

しかし2012年、今度はイブ・サンローランの若者向けラインの設立を担うために復帰。偉大なムッシュ・イブ (Yves) の名前を大胆に削り、「サンローラン」と名付けた。

レディースも統括してプロデュースしたブランドは、またも爆発的なヒットを記録する。

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ディオール時代よりもさらにさらに細いシルエットと色濃いロックの影響。

サンローランは若者の憧れになり、スキニーデニムに加えてレザーライダース、スモーキングジャケットやチェルシーブーツなどが飛ぶように売れていく。女性の間ではハンドバッグや化粧品がステータスと化した。

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左はエディ就任前年のシーズン。右が彼のファーストコレクション。全く雰囲気が違うことがわかる。

大きすぎるほどのインパクトを残し、2016年の4月1日付けでサンローランのクリエイティブディレクターを辞任。再度写真の世界に戻っていった。

ひとりの若者が生み出した、ふたつの大人気ブランド。しかしアフターストーリーは安泰ではなかった…

二人の後継者

エディ・スリマンの最大の欠点は後進を育てなかったことだろう。もっとも、それは長所の裏返しでもある。

誤解を恐れずに言えば、エディのデザインは「幅が狭い」。

一般的なブランドはシーズンによってある程度テーマを変えるが、彼の手掛けるコレクションは「エディ・スリマン」こそが主題。良くも悪くも一貫していた。

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ディオール・オムの2004年秋冬広告。今見ても古さを感じない。

完成されすぎたスタイルや世界観が逆に仇となり、後任のデザイナーは究極の二択を迫られる。「エディのマネをする」か「他の道を模索する」かだ。

前者を取ればファンをキープできるが、自分の色は出せない。しかも天才の模倣ほど難しいことはない。後者はブランドイメージを破壊するリスクと隣り合わせの道。どちらを選んでも大変だ。

エディの眩しすぎるほどの輝きは、大きな影とセットだった。

この話を念頭にディオール・オムとサンローランのその後を見てみよう。

まずはディオール・オム。2008年に引き継いだのはベルギー出身のクリス・ヴァン・アッシュ。エディの右腕と言われた正統後継者だ。

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クリス・ヴァン・アッシュ (Kris Van Assche)
1976年ベルギー生まれ。エディ・スリマンの初代アシスタントとしてイブ・サンローラン時代を支えたのち、ディオール・オムにも多大な貢献をする。個人ブランド等も含めて精力的に活動中。

彼は師匠のレガシーを尊重しながら、自身が得意とするフォーマルな方面へと舵を切った。

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クリスの個人ブランドにも通じる美しいシルエットの服を送り出し続けたが、雰囲気としては他のフォーマルブランドと大差がないと言われることもあった。

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晩年はストリート要素がかなり強くなっていた。

それでも彼は11年間メゾンを守り抜き、ビジネス面では大きな成功を収めた。就任時に年間1億ユーロだった売上を3.5倍にしたことは正当に評価されるべきだろう。

クリスはディレクターを2018年に退任する。

次にサンローラン。こちらの二代目もベルギー人のアンソニー・ヴァカレロだった。現在もクリエイティブ・ディレクターを努めている。

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アンソニー・ヴァカレロ (Anthony Vaccarello)
1982年ベルギー生まれ。ヴェルサス・ヴェルサーチの責任者を担った後、サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任。カール・ラガーフェルドやフェンディでも働いた輝かしい経歴を持つ。

きれいめでモードな雰囲気のクリスと違い、ヴェルサーチで経験を積んだ彼はエディのロック魂を「ウェスタンカルチャー」へと昇華させた。

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スキニーさはそのままに、西海岸の派手さとリラックス感を取り入れたスタイル。

まるでカウボーイのようなチェックシャツやペイズリースカーフ、ピンバッジがついたライダースジャケット。

コアなファンを取り込むことに成功したが、「ミュージシャンのステージ衣装」という悪評も付いてきた。

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しかし彼も同様に数字で周囲を黙らせる。CEOのフランチェスコ・べレッティー二と二人三脚でブランドを急成長させ、メゾン全体の売上を2億ユーロの大台に乗せた。

重いプレッシャーを感じながら自分が信じる道を貫いた二人のベルギー人。先代を超える「伝説」は作れなかったが、優れたビジネス感覚でブランド規模を発展させた。

ん…?なんでエディより服を売ってるのに彼らにはスポットライトが当たらないんだろう…?

売れる=カッコいいとは限らない

「カッコいい服は売れる。だから売れる服がカッコいい。」これが真実なら、クリス・ヴァン・アッシュやアンソニー・ヴァカレロはもっと称賛されるはず。

しかし現実は違う。なぜなら、エディ・スリマンなしでは現在のディオールやサンローランは存在しないことを誰もがわかっているからだ。

これはファッションに限ったことではない。どんな業界でも「ビッグバン」を起こした人物は神格化されやすい。

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ティム・クックはAppleの時価総額世界一の企業に成長させたが、人々の憧れは今もスティーブ・ジョブズにしか向いていない。

創造主が作った世界をどれだけ拡張しても、二代目以降はあまり評価されないことも多い。

話をもとに戻そう。冒頭で触れた通り、ディオール・オムやサンローランは人々を熱狂させるような社会的インパクトを与えるブランドではなくなったかもしれない。それは時代に合った「売れる」服を作るという戦略の副作用だと思う。

0→1の立ち上げ時は、トレンドを無視して我が道を行くエディのようなデザイナーが必要だ。

しかしビジネスを継続・拡大させるためには、クリスやアンソニーのように柔軟なスタンスの人材が適しているかもしれない。

時代の変化とこれからのファッション

2019年、エディ・スリマンが二度目のカムバックを果たす。それまで女性用のブランドだったセリーヌ (CELINE) のクリエイティブ・ディレクターに就任した。

発表したコレクションは、サンローランよりも初期のディオール・オムに近いエレガントな雰囲気だった。しかしデニムは少なく、シルエットもそこまで細くない。

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はじめて見たとき、僕は率直に物足りないと思ってしまった。確かにエディらしいデザインだけど、驚きや感動はなかった。

彼は歳を取って丸くなってしまったのか?そうとは言い切れない。

・ストリート系ラグジュアリーブランドの台頭
・中国市場を意識したデザイン (ゴテゴテ、ロゴ前面押し出し)
・ロックミュージックの衰退

この10年間で上のようなトレンドが顕著になり、求められる服も変わっていった。エディはセリーヌのロゴアップデート (CÉLINEからアクセント記号を取り、母国フランス語を侮辱していると批判を集めた) についてこう語っている。

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「すべての基本的なことは、長期的な視点を失わずに考える必要がある。優先順位の話だよ。<中略>大きなメゾンも生き物だ。絶えず自分たちの正体を探し続けて進化しないとね。

何人もの首相を輩出したパリ政治学院を卒業した彼らしい、実に冷静な意見。今の時代にふさわしいメゾンを模索した結果ではないかと思う。

同じように、時代に合わせてブランドを180度変えたデザイナーがいる。

クリスの後を任されたキム・ジョーンズだ。ルイヴィトンで一時代を築いた彼はディオール・オムを予想外の方向へ導いた。

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キム・ジョーンズ (Kim Jones)
1973年ロンドン生まれ。ファッション界の名門・セントマーチンを卒業し、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターとして頭角を表す。
2018年にクリス・ヴァン・アッシュに次ぐディオール・オム3人目のクリエイティブ・ディレクターに就任。

ライン名からオム=メンズの字は消え、中性的で優しい色調を多用。洗練された男らしさを提唱したエディの思想とは真逆の「ゆるふわ系ブランド」に様変わりする。

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楽しみしていたキムのコレクションが「盛り盛りガーリー」だった時には、怒りを通り越して悲しかった。以前からディオール・オムやエディのファンだった人たちの目にも同じように映ったかもしれない。

しかし客観的に見れば別の側面もある。
たしかにロゴを多くあしらったデザインは人気だし、キムには必殺技があった。コラボだ。

コンバースやナイキなど、ネームバリューのあるブランドと協力して「売れる」限定商品を定期的に生み出す。ヴィトン時代の伝説的なSupremeコラボしかり、彼の天才的なモード×ストリートの感覚がなせる技だろう。

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今年6月に抽選発売されたAir Dior (Air Maxコラボ) には500万人以上が応募した。

さらにレディースと同じブランド名になったことで、世界観の統一がしやすくなった。ディオール全体のブランド価値を高める高度な判断だったと思う。

このように、絶えず時代の流れを捉えたり、自ら変えたりしながらファッション業界は進化している。個人的な好き嫌いはありつつも、背後には怖いくらい合理的な判断が働いている。

僕の目には「ダサくなった」ように映った二つのメゾンは、あくなき挑戦を続けていた。
「丸くなった」ように見えた天才デザイナーは野心を燃やし続けていた。

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そう理解した瞬間、ディオールやサンローラン、そしてファッションのことがもっと好きになった。

みなさんも、憧れていた人やブランドなどが路線変更をしてがっかりすることがあるかもしれない。

そんな時はぜひ、彼らの本質を見つめてみてほしい。きっと新たな発見があるはずだ。

参考情報

この記事を書いた人

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Neil(ニール)
ecbo (荷物預かりプラットフォーム) とプログリット (英語コーチング) でUI/UXデザイナーとしてインターン。現在はIT企業でデザイナー。 ハワイの高校。大学では法学を専攻。もともとはminiruとしてnoteを運営。
高校時代に父親からもらったDIOR HOMMEのシャツがきっかけでファッションが好きになる。

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