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「じぶん遺言」をつづる。

遺言。
「死後のために物事を言い遺すこと。また、その言葉。(広辞苑)」。
自身の死を想起させるこの言葉は、コピーライターの私にとって大きな意味を持つ。
「コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術」の中で、阿部先生の新人時代のエピソードを読んで同じ年頃の自分を思い出した。

日給8000円から始まったコピーライター稼業。

小さな求人広告代理店に入社したのは、二十年近く前のこと。大学時代の研究室のPCで、フォトショップやイラストレータをよくいじって遊んでいた。グラフィックデザイナーという言葉の響きに何となく憧れを抱いて、まっとうな就職はせず未経験で始められる広告の仕事に就いた。

下積み時代は「スタッフ募集!」「和気あいあいの職場です!」、小さなスペースの広告枠に、著作権侵害にもなりようのない決まり文句を埋めていく、そんな日々の繰り返し。
いわゆる「毒の仕事」だ。
でも求人広告の世界でもクリエイティブコンテストがあって、会社の先輩の中には入賞歴のある人もいた。全国区になるとTCC新人賞を獲る人もいる。自ずと「いつかはこうなりたい」と思うようになり、デザインよりもコピーを書くことに面白さを感じ始めていた。

そして入社から2年ほどが経った頃、ある企業のコンペ案件の声がかかった。その企業は近年、とある業界を革新的なビジネスモデルで席巻し、業績も右肩上がりのベンチャーだ。
社長は当時、人気テレビ番組にも出演するなど、ちょっとした有名人だった。求人広告でも頻繁に自ら顔を出して人材募集の広告塔となっていた。

2ページの雑誌広告にWebも連動させた滅多にない大型案件だ。
普段なら先輩たちの誰かが担当する案件だったが、別件で忙しく消去法で私に白羽の矢が立った。
営業担当の不安そうな視線をひしひしと感じたが「まあ4社コンペだし、ダメ元でがんばるか」と声をかけられた。半分諦めが入り混じった顔つきで。

もがいて、もがいて、言葉を生み出すということ。

目ヂカラが半端ない。オリエン当日、先方ビルの大会議室に入ってきた社長は、テレビで目にするタレント然とした姿とは一味違う。数百名の社員を率いる武将のような目つきだった。
席に着きしばらくの沈黙の後、
「あのー・・・」と、挨拶もなくゆっくりと静かに語り出す。

「今回はね、僕の後継ぎを募集したいんですよ」

皆、呆気にとられる。
年商100億円に迫る企業の社長を公募するなんて聞いたことがない。
完全に空気に飲まれた私たちは、社長の話にじっと耳を傾ける。
会社の生い立ちから、創業時の苦労話。
そこから成功をつかみ、いかにして100億円企業に成り上がったのか。
順調な経営の中、なぜ後継者を募集するのか。
話のテンポも徐々に速くなり、時には笑いを交え、聴衆を飽きさせない名演説を繰り広げる。
約2時間半のオリエンがあっという間に終わった。

カンプ提出期限は2週間後。
しかし1週間経っても、とにかく情報量が多くて一向に軸となるコンセプトが思いつかない。
やはり今の私には荷が重かったのか。
1週間後、営業が進捗を確認しにきた時も原稿は真っ白だった。
それでも毎日通勤電車で録音したオリエンの音源を聞き返した。
期限まであと3日ほどに迫ったころ、
これまで頭を埋め尽くしてきた膨大な情報から、一本の筋道が見えたような気がした。

・目前に迫った年商100億円は一つの区切りと考えていた。
・業界内での地位も確立し、社長がいなくても事業は回るようになった。
・社長の興味は既に次を見据えている。
・全くの異業界でゼロから新会社をつくりたい。
・金儲けよりも、経営者として革命家であり続けることに生きがいを感じる人だ。
・しかし数百名の社員に対しての責任は全うしないといけない。
・だが今の社内に後継者に見合う人材がいない。
・だから社長候補を募集したい。
おおよそこんな要件だ。

でも何かが引っかかる。
社員への責任を口にする経営者が、外部の人間にすんなり会社を明け渡すものだろうか。
オリエンの場では、ほとんど口を開かなかったが数名の役員も同席していた。
あの話を聞いて彼らはどう思ったのか。
社長が彼らのことを口にする時には「コイツ面白い奴でさぁ」と、今でいう“すべらない話”を聞かせるようにその人物のエピソードを饒舌に語っていた。
そこには厳しさとともに愛情と期待が同居していたように思う。
彼らも、社長に心酔している。
おそらく気に入らなかっただろう。

・ ・・そうか!
あの時の話は役員たちへの檄でもあったのでは。
広告にすることで、社員たちにもそれは伝わる。
「社長におんぶに抱っこだったけど、オレ辞めちゃうよ。どうする?」

この案件の根本的な課題は「カリスマ経営者の後継者問題」。
社長がいなくなるという事実を突きつけ、役員や社員の発奮を促すのが真の目的なのではないか。
私が立てた最終的な仮説だった。

そこからは早かった。
社長が辞めるなら、社長に辞表を書かせるか。
・・・これじゃ弱い。

あの目つき・・・命を燃やして社長業をやっている、そんな印象だった。
普通の経営者なら、ここまで育て上げた会社を赤の他人に明け渡すことは死ぬようなものだ。
死・・・そうか遺言だ。

社長業を退く覚悟を決めた人からの社員への遺言。
その日、社用デジカメを持ち帰り、文房具屋で真っ白な封筒を購入した。

No Life, No Mistake.

カンプ提出を翌日に控え、制作マネージャーと営業にラフデザインを見せる。
見開き2ページのうち1ページ全面は、畳の上に「遺言」と書かれた封筒が置かれているメインビジュアル。もう1ページに社長の写真と遺言文が書かれているという構成だ。
営業は取引先の社長に「遺言状」を書かせる提案なんて、失礼ではないか。そう言いたげな表情だ。
それを察した制作マネージャーが「私は思い切りが良くていいと思う」と背中を押してくれた。

返事は早かった。
カンプ提出から数日後の夕方に、外回り中の営業から電話がかかってきた。
歩いているからか、興奮しているからか息が荒い。
「はぁ、はぁ、なる早で、撮影の見積もり、お願い。あと筆も買っておいてくれ」
よしっ!!

制作部のフロアが、ワッと盛り上がった。上の階から同年代の営業たちが降りてきて祝福してくれた。自分の広告がこれだけの人に認められたのは初めてだった。

募集の結果は、200名以上の応募があったものの、最終的に採用には至らなかった。
しかし、後から聞いた営業の話では、カンプ提出後にあのラフ原稿を持って、会社中を練り歩いて社員に見せびらかしていたらしい。
社長の目的は果たせたのだと思った。

このコンペ以降、人材採用の仕事は一貫して私がこの会社の制作担当となった。
さらに3年後、社長は本当に退任し、新会社を設立することになり、起業メンバーの募集広告も私に声がかかった。
その頃には私も求人広告のクリエイティブコンテストでは、少し名を知られるようになっていた。
全ては「遺言」の一言を導いた瞬間からだ。
そして、あのオリエンで聞いた社長の話で一番心に刻み込まれた言葉

「なにもせずに失敗しない奴より、
 行動して失敗する奴のほうがエライよ」

あれからの私はいつもこの言葉を胸に秘めていた。
求人広告でもTCCを獲っている人がいる。だったら自分も獲れるはずだと、いつも考えていた。
しかし、何度か転職を繰り返し、歳を重ねるにつれてその信念は徐々に薄れていた。

失敗しない生き方を選んでいたじぶん。

現在の仕事は、制作プロダクションの制作チームのマネージャーだ。
専属の営業スタッフはいないので、マネージャーが仕事を獲ってくる、仕事を広げていく役割がおのずと求められる。
チームの人件費から目標数字も決められていて、毎月それを達成するために奔走している。
正直、コピーワークにかけられる時間は、昔と比べて随分と減っていた。
毎年、宣伝会議賞の季節になっても、コピーを考える時間があったら、どう売上をつくるのかを考えろ、という思いが先に立つ。
「もういい歳だろ。組織のことを考えろよ」と自分に言い訳をして納得させていた。

これまでもコピーライターの人が出版した書籍は何冊も読んできたが、いわゆる「先生」といわれる方々の手法やテクニックを学ぶような感覚が強かった。
「コピーライターじゃなくても知っておきたい」とタイトルがつくように、一般の人やコピーライターを目指そうとしている人に向けて書かれているからだろう。
この本を読んだとき、自分に言い訳をしていた自分に後悔した。

「I LOVE YOU の訳し方」
「感動屋になろう」
「いい名付けには意志がある」

目次からぎゅっと心をつかまれた。
とどめはあの企画書だ。
「コピーライターは、こうやって仕事を獲るのだよ」
と、教え説かれているようだった。
企画書に盛りこまれている言葉のひとつひとつが考え抜かれたコピーだった。
代理店と協業して企画書をつくるときなどは、データの裏付けや情報の引用元がどうだとか、いかにも立派に見える企画書をつくるのに固執していた。
そこには自分の感情や思い入れは、ほとんどなかったことに気づかされた。
コピーライターではなく、制作会社に務める会社員の企画書でしかなかった。

だから企画書の講義の後、初めてSchooの課題に取り組んだ。
週末、普段ならテレビやスマホゲームをしていた時間を企画書課題に費やした。
Schooの講義で企画書を取り上げてくれた時の私は20代の頃に戻っていた。まるでコピー講座で「金のえんぴつ」をもらったときのように、年甲斐もなく嬉しかった。こんな成功体験が自分を高めていたじゃないか。これからも成功も失敗もしない環境で、淡々と「会社員」として仕事をしていくのか。

いや、変わろう。生まれ変わろう。
生まれ変わるために、行動しよう。

このnoteは今までの自分から、これからの自分への「遺言」だ。
ちなみに遺言の英語訳は「Will」と書くらしい。
生まれ変わろうとする自分にぴったりの言葉だと思った。

阿部先生の本のチカラをちょっと拝借します。

最近、生まれ変わるための行動として始めたことがある。
名刺のウラにある仕掛けをつくってみた。
これまでの名刺には、単純にオモテ側の文言を英文にした内容が書かれていた。
誰が見るのだろうか。

そこで名刺のウラに、

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I LOVE YOUを
「月がきれいですね」と訳した
小説家は誰でしょう?
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と、書いてみた。

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初対面の方に私という人間を記憶に残してもらいたかった。
しかし名刺交換をしても、名刺のウラの仕掛けに気づく人は少ないことが分かった。
人は、初めて対面する他人の名刺のウラなんて気にも留めていないのだ。
だから会社に帰った後のフォローメールで
「今日はありがとうございました。・・・・・
・ ・・・・ところで名刺のウラのクイズはお分かりになりましたか?」
と追伸を書いてみた。

すると相手から、
「いやぁ、名刺の裏には気づきませんでした。気になってググって調べちゃいましたよ」と返信がきた。
相手との距離がぐっと近づいたような気がした。

でも、この名刺ウラの言葉は、阿部先生からの借り物だ。
いつか自分のオリジナルの言葉をつづった名刺をつくろう。
「心をぐっとつかむ言葉」を。


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