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良かれと思って。と言うのは都合の良い言葉




次男の中学最後になる体育祭での出来事

こっそりだけど見に行こう。

数日前から本人は見に来て欲しくないと言っていた。
でも一応プログラムが欲しいと私が言って、息子はイヤイヤ紙を渡してくれた。
親に来てほしくない年頃だから仕方がない。
そのプログラムでタイムスケジュールを把握できたので夫と一緒に見に行った。
しかし学校に着いて現在の種目のアナウンスを確認すると、もう既に本人の出る一種目は終わっていた。

同学年の子のお母さんを見つけたので「思ってるより早く終わっちゃったね」と話すと「え⁈」と言う顔をしていた。何か変な感じがしたが、
とりあえずその場で世間話を少しして「残念だけどこのあと予定があるから帰るね」と別れた。

そして周りを見てみると他の保護者達が持っているプログラムと私がもらったプログラムの紙の色が違っていることに気づく。
よくよく見てみると右端に小さく『予行特別号』と書いてあった。そこでこれは前日の予行用だ!とやっと気づき、親を試した?騙した?とショックだった。
そしてすぐに紙を見て気づけなかった自分を少し責めた。
 
それを夫に伝えるととてもがっかりした反応。
「これではっきり見に来て欲しくないというのがよくわかったね。次の予定もあるからさっさと帰ろう」と言った。
そしてその場でから立ち去ろうとした時、
次男の友達と目が合い、向こうから勢いよく話しかけられ 「あっ!〇〇(息子の名)のお父さんとお母さんだ。〇〇って頭が良いですよね。偏差値69もあるって聞きました!しかも地頭も良いし、いつも授業中寝ているのに勉強できちゃうのは凄いっすよね」
と好意的に話してくれた。

予想外に一部事実ではないことが含まれている彼の発言に夫婦で戸惑い、咄嗟に「え?そんなに偏差値ないよ…その上どんどん今成績下がってるし…」と言ったが「でもそれは1学期のテストで具合が悪くなってテスト受けられなかったから仕方ないですよ」とフォローまで入れてくれている。

実はこの子、小学校の時からケンカばかりでやんちゃ坊主で有名な子。
私は昔から次男に「あの子とあまり深く関わると巻き込まれるから距離を置きなさいよ」というような助言をしてきていた。
次男は、「分かってる。でも皆んなが腫れ物に触るような事をするからそうなるだけでそんなに悪いやつではないよ。僕なりの距離で付き合ってるから大丈夫」と返ってきた経緯がある。

ずっと『要注意の子』としてみてきたけど、
この子、私達と次男を立てるのが上手いなと。
そして彼のくったくない人懐こい性格と大人と同等に話せる姿に成長を感じた。
それと同時に今までの彼への偏見を恥ずかしく感じた瞬間でもあった。

親子で見栄を張る

我が家の次男、中学1・2年生の時は長男の大学受験に学費を費やしており塾も行かせてあげられずにいた。
それなのに自力で頑張ってそれなりの成績を取ってくれていたので勉強面では両親としてはとても安心していた。

ずっと同じ部活の子のママ達からも
「〇〇はお勉強出来て凄いね!うちも見習わせたい」と言われていました。
正直、私はそう言われる度に「そんなことないよ」と言いながらとても鼻高々でいられたのも事実。

私自身は勉強ができず劣等感だらけ。
だから中学生活ではそう見られないように見栄を張って過ごしていた。
高校受験の時はどこを受けるのか?どこに受かったのか?を知られらるのが嫌で聞かれてもはぐらかしていた。

自分に子供が生まれた時、私に似て勉強できない子にならないと良いな。って思った。
でも幸い夫は勉強が得意なので勉強面の育て方は夫に頼るようにしていた。

夫は子供達へ将来について、早いうちからやりたい事が見つからないなら、なるべく勉強だけは出来ておいたほうが選択肢を広げやすい。そして大学までは行くべきだ!と言い聞かせていた。

そして子供達は両親から無意識の圧を受けてきていたんだろう。
私も周りから子供達をしっかり育てているとみられたかった。
実際、「〇〇君(子供達の名前)お勉強出来るから良いね」と言われていた時の心中は自分の事のようにとても嬉しい。
2人とも割と親の言う事を理解して従ってくれていてとても育てやすかったからだと思う。

私は長男、次男を通してママ友達の前で自分がどうみられるのかを気にして過ごしてきていたんだ。
子供達を通して自分の在り方をよく見せようとしていたんだ。

中3になり、やっと塾へ行かせてあげようと本人にその旨を伝えると「まだ夏まで部活があるし疲れちゃうから行きたくない」と、でも私は「夏休みからでは遅いから、少しでも早く行ったほうが、遅れを取らないんじゃない」と半ば強引に行かせてしまった。

2年生までの塾へ行かなくても成績が良いという周囲からのイメージを意識しているのか友人に嘘の偏差値を言ってしまう現実。
塾に行き始めたからもっと成績を上げねばと強めのプレッシャーを抱えて心と体はバラバラ。
やろうと思ってもなかなかやる気が起こらない状態が続いてギリギリになって睡眠を削っての勉強。
かなり追い込まれていたようだ。

それが仇になったのか、中間もイマイチ…
期末に至ってはテスト中に具合が悪くなり早退し、翌日のテストは欠席。

これは母親である私の因果応報。
私のやり方が間違っていたからこうなったんだ。
と自分を責める日々。

⁡心の学びから得た事

いやいや、子供自身が因果応報と思うならまだしも、私自身がそうなんだと思っている自体、自分の事にフォーカスがいっている。

成績が悪くて困るかどうかは彼の問題なんだよ。

以前お世話になっていた鴨頭明子さんの主催するオンラインサロンで教わったとても印象的な教えがある。
自分の野原(心の中)と相手の野原の境界線をはっきり作る。

先日、とても久しぶりに明子さんのVoicyを聴いていてそれを思い出した!
私はその野原理論を忘れて次男の野原にズケズケと入ってしまっていたんだ。
「塾は夏休みからじゃ間に合わないんじゃない?」
「自力で勉強は絶対難しいと思う」
良かれと思って…と相手に言う言葉はだいたい、自分に対しての不安を込めて話しているということ。
これは相手を信頼、尊重していないことにも繋がる。

でも私からしたら相手を思う気持ちには変わりないのに…そこが厄介なポイント。

しかしやはり深く自分に問うと心の矢印は自分にあった。

これも現在参加しているあやぱんのオンラインコミュニティ『mamacore』で心の矢印が今どっちに向いているか?を認識するワークや感情を言葉にするワークがあったので、自分で確認する事ができた。

実は相手を心配するふりして自分の不安を解消する為に押し付けていたんだ。

でもこれは自分責めや反省しただけでは解決しない。

自分を否定しないで受け入れることが出来るのか?
その問いの答えがやっと出た。
「やっと心の中の自分の内側の黒い部分を見つけ出せた!放置してたら親子関係が悪化してたかも。気づいてあげられてホッとした」と自分を受け入れる事が出来た。

ここ数ヶ月感じてきた後悔や自分の情けなさ、愚かさ、恥ずかしさが徐々に消えてきました。

次男は私が学校行事に出向く事で自分の事をあれこれを人や先生に言ったり言われたりするのが嫌なんだと思う。

次男が外に言ってほしくない事も私は言ってしまっていただろう。
そして外から次男の情報が私に入ってくる事、今回のように同級生からも私に情報が入ってくる事も多々あった。
それを恐れる気持ちはよくわかる。

それまでの私は
子供は私の所有物ではない。
わかってはいるけど…
自分の体裁ばかり気にして子供の気持ちを汲み取れなかった。どうしたら相手の気持ちを汲み取れるのか?

それはきっと自分自身の気持ちや心情を深く読み込んでいく力が弱かったからなのかもしれない。

親子関係だけでなくどんな相手に対しても言える事。

相手の気持ちを汲み取ったり思いやるには
まず、自分の感情を味わって心をよく内観してジャッジしないで受け入れる事から始まるんだ。

この体育祭を機会に自分がどんな心情、感情が湧いてきたのかじっくり向き合ってみた。
次男よ、色々私に教えてくれてありがとう。

これが少し見えた光となる事を信じて。













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