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作られた分断:第十四部 国策の犠牲になり続けた沖縄 基地問題への無関心はこうして作られた

24日投開票を迎えた辺野古新基地建設の是非を問う県民投票は、移設反対票が賛成票を大きく上回り、あらためて「辺野古ノー」が示された。

沖縄県民投票の結果 投票率52.48% 開票率:100%
・賛成:114,933票(18.99%)
・反対:434,273票(71.74%)
・どちらでもない:52,682票(8.7%)

県知事の玉城デニー氏は移設反対票が県内有権者の4分の1を超えたとして投票結果を日本・米国両政府に通知した。結果通知を受けた日本政府は結果にかかわらず移設工事を進める考えをあらためて示し、米国防総省も辺野古が移設先の「唯一の候補」だとして取り合わなかった。

負担を押し付けられる沖縄県の民意が国策にのまれていくその構図があらためて浮き彫りになった。

◇本土防衛のため 住民をも巻き込んだ凄惨な地上戦

太平洋戦争末期、絶対国防圏を破られ敗色が濃厚だった日本は、少しでも米軍との本土決戦を遅らせるため、日本軍だけでなく、沖縄県民を総動員した徹底抗戦に出た。軍部に住民だけは安全なところに移動させようという考えはなく、いわば住民もろとも「捨て石」にされたのだ。

沖縄戦戦没者の名が刻まれた慰霊碑=平和祈念公園


その結果、45年4月1日の米軍上陸から日本軍の反撃が潰えた6月23日までの間に、沖縄県民約12万人(県出身軍人含む)、県外出身者約6万6千人、米軍約2万人、あわせて20万人を超える死者・行方不明者を出した。

従軍看護の女子学生が県南端まで追い込まれ、戦死、自決を遂げた=ひめゆりの塔

◇「基地問題の不可視化」密約 作られた無関心

戦後、沖縄県は72年までGHQの支配下にあった。日本が主権国家として独立を果たしたサンフランシスコ条約締結から数年後、本土に駐留していた米軍(海兵隊)が続々と沖縄へと移駐されていく。在日米軍基地の約74%が集中する現状へとつながった。

しかし、なぜ沖縄県にこれだけ米軍基地が集中しているのか、その背景を知らない人は多い。実は、よく語られる「沖縄県は軍事上の要衝である」は間違いだ。2014年10月22日付西日本新聞で米国務省の機密文書の存在が報じられた。記事によれば、この文書は1956年12月21日に作成され、北九州市に住む日米外交史の研究者が入手したものだという。そしてそのなかには、「米軍基地の存在を本土の世論の目にとまりにくいようにして、日本人の反基地感情を減らすべきだ」といったことが英文で記されている。沖縄に基地がこれだけ集中しているのは軍事的要衝なのだからではなく、本土から離れた場所に置くことで基地問題に目が向かないようにするためだったのだ。そしてそのねらいは見事にはまり、本土の人は「基地問題は沖縄のなかの問題」で「自分たちには関係ない」と多くが思っている。

このねらいは、日本の政治家も認めている公然たる事実。2012年当時の防衛相森本敏氏は「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」と述べている。昨年九月にも日米同盟の強化を訴えている自民党・石破茂氏が沖縄県の基地集中を政治的要因によるものだと発言した。

◇基地問題とどう向き合っていくべきか

本土、特に米軍施設が一カ所も存在しない大阪府に住む人たちにとって産業の場である海を埋め立てられ、毎日騒音に苦しめられる人の気持ちは分からないかもしれない。しかし、自分たちの住む場所に米軍基地が造られるかも知れないとなって初めて反対するようではあまりに想像力が欠けていると言わざるを得ない。私たちにできることは、沖縄県民の「基地はいらない」という民意を日本全体の民意に持ち上げていくこと。つまり、民意を無視して工事を強行する安倍政権を民主的な方法(選挙)で引きずり下ろすことだ。そうすることですべてではないかもしれないが、沖縄県民にとって報われるものがあるかもしれない。それでも、「米軍基地は必要」というのならば、米軍基地の近くに住んでみるがいい。

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