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#48『ネオカル日和』(著:辻村深月)を読んだ感想

辻村深月さんのエッセイ『ネオカル日和』

僕はエッセイを通じて、その人の考え方や感じていることなどが言語化されたものを読むのが好きです。エッセイをきっかけに旅行をしたりと影響も受けています。今回は僕の好きな作家さんである辻村深月さんのエッセイを読みました。

このような方にオススメの本です

  • 辻村深月さんが好き

  • ドラえもんが好き

  • 作家さんのエッセイが気になる

あらすじ

小学生の頃、図書館で出会った本の記憶。夏休み、訪れた田舎で出会った古い土蔵。放課後、友達と買い食いした駄菓子屋。すべてはこの世の物語を紡ぐために。日本の新文化を徹底取材したルポを中心に著者が本当に好きな物だけを詰め込んだエッセイ集。掌編&短編小説4本も特別収録する贅沢すぎる玉手箱。

「BOOK」データベースより

感想

  • 辻村さんの玉手箱を覗いているような感じで、僕の心も満たされた

  • 辻村さん自身も一人の人間、一人の読者

  • 本や映画を読んで・観て感じたことを大切にしようと改めて思った


辻村深月さんのエッセイ集。 ドラえもん、本や映画、ネオカルチャーの取材など辻村さんの「好きなもの」が詰め込まれています。それは辻村さんの玉手箱を覗いているような感じ。好きなものについて熱く楽しそうに書かれており、読みながら僕の心も満たされました。

ドラえもんについて書いてあるのが1つの章になっているように、辻村さんのドラえもん愛はすごいです。ドラえもん、そしてその作者である藤子・F・不二雄氏から受けた影響は大きいことが本作を読んで改めて分かった気がします。辻村さんの作品の中にドラえもんが1つのテーマになっている『凍りのくじら』がありますが、他の作品にも反映されている箇所が随所にある。登場人物が各作品でリンクしているのもその1つです。

僕が初めて映画館で観た映画はドラえもんの映画。小さい頃は「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」を楽しみにしていて、毎週金曜日の19時からはテレビに張り付いていました。そんな小さい頃の記憶と重ね合わせて読んでいました。


辻村さんの作品を読むと「自分のことが書いてある」と感じて「幸福な勘違い」をしていることが多々あります。そして、辻村さん自身もそういった経験をしていたことが書かれてあります。辻村さんの作品は感情が揺さぶられる印象的な作品ばかりですが、それを書いている彼女自身も一人の人間、一人の読者である。作品はその好きなものの結晶だと思い、さらに愛着がわきました。

僕にとっては尊い存在でもある辻村さんですが、チョコレートの誘惑に負けたり、本の帯は大切にする所など共感できることもありました。


好きな本や映画についての話を読んで思ったのは、作品をしっかり味わい、自分がどう感じたかを大切にしていること。僕も本や映画を読んで・観て感じたことを大切にしようと改めて思いました。

また、「読書とは、その人物を等身大に映し出す鏡である」と辻村さんは誰かから聞いたと述べていますが、すごく印象的なフレーズでした。同じ本を読んでも、自分の年齢や状況によって映し出されるものは変わっていく。自分にとって大切な1冊は、その時々で読み返したいなと思います。


短編小説も掲載されていて「七胴落とし」が特に面白かったです。

これからも辻村さんの作品を読んで「幸福な勘違い」をしたいですね。

印象的なフレーズ

文章を書く仕事をしていると、自分だけの表現を探すことよりも、つい、誰にも後ろ指をさされることのない無難な表現に寄りかかってしまいそうになる時がある。しかし、そうやって選んだ借り物の言葉では、人の心を打つ文章を書くことはまずできない。

『ネオカル日和』
時代の気分、言葉の温度

読書とは、その人物を等身大に映し出す鏡である、と昔、誰かから聞いたことがある。まったく同じ本、同じ内容を読んでも、その前に立つ自分がどんな現実を抱えるかによって、そこに映し出されるものは常に変わっていく。

『ネオカル日和』
私をまっすぐ映すもの

世代も、歩んできた背景も違う著者の書いた作品を、「自分のために書いてもらった」「私のことが書いてある!」と、もちろんそんなはずはないとわかってはいるものの、"幸福に勘違い"しながら、自分だけのもののように胸にしまってきた。

『ネオカル日和』
幸福な勘違い

「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」と。
最初に読んだ子どもの頃には、意識しなかったこの言葉。だけど、年を取るとともに、これがどれだけ難しいことなのか、実感できるようになってきた。

『ネオカル日和』
OH! マイ・ヒーロー・野比のび太

そんな私は当然「帯を取っておく派」だが、これも一つのこだわりなのかもしれない。帯やシールまで含めてその作品の完成形のような気がして――というこのこだわりは、「捨てる派」にとってはどうでもいいことかもしれないが、我々には譲れない一線だ。

『ネオカル日和』
こだわりいろいろ

せっかくの旅行なのだからもっと外の景色を見ればいいのに、とか、わざわざ海外まで来て読書しなくても、と同行者に言われることもあるが、バスや電車の中で物語に没頭し、ふっと顔を上げた時に車窓に異国の風景が開けているのを目の当たりにする唐突な感覚も、それはそれでいいものだ。旅行から戻る頃には、だから実際に行った場所以上にたくさんの景色をそこに重ね合わせて観てきたような気持ちになれる。

『ネオカル日和』
遠くへいけるもの

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