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闘う田舎暮らし。棚田の稲刈り編〜岡山県美作市上山の千枚田。

前回は、耕作放棄地となった日本最大級の棚田の再生活動と、棚田を支える水路について説明しました。しかも、10年以上もその活動を続けているのは農業経験など無かった20〜40代の移住者たちで、応援しているのは地元のお年寄りたち。
話に聞くだけでは楽しそうだけど、実は決して甘くない田舎暮らし。それでもチームで続けていればやはり楽しく、やがて秋には美味しいご褒美が待っているという、”闘う田舎暮らし”の後編、稲刈り編をまとめてみたいと思います。

”夏の闘い”をおさらいすると。

前回見た”水落とし”の後、水と土とをなじませる”代掻き”を終えた棚田は、一面の地面から一面の水鏡へと変身します。この時期の田んぼの美しさは多くの人が賞賛する通り。これを「日本の原風景」と呼ぶ人が多いけれど、その原風景は水路の保持によって辛うじて守られていることも前回見てきた通り。地域によって、お米の品種によって多少は時期がずれるけれど、水鏡の時期はおよそ一週間。のんびり眺める間もなく、すぐに田植えが始まります。

この日は曇っていて残念でしたが、晴れれば青空。夕日、あるいは月が映し出されます。そしてこの頃を見計らってカエルたちが集まり、盛大な、ウルサイくらいの大合唱が始まる。
春の早いうちから育て始める苗。これに一日二回、充分な水を与えなくてはならない。そんな地道な作業も、移住者たちが交代で行っています。こんなこと、チームじゃないと簡単にはできない。

田植えとは、上の写真の苗の3〜4本をひとつにまとめて植える、植える、の繰り返し。お年寄りではなくても腰が痛くなります。ちなみに稲は、ひとつの種から70〜100粒くらいのお米が収穫できる。そして株も増える。これが麦の場合は15〜20粒くらいとのことだから、お米がいかに効率の良い主食であるかがわかります。大切にしなくてはイカンのです。

急峻な斜面に小さい田んぼが集まる棚田では、大きな農機で一気に田植えをすることができず、小さい田植え機で地道に、あるいは手植えでコツコツと行われる。とは言え、休日には移住者たちを応援する企業の人たちや学生たちが集まり、一気に進むこともあり。およそ一週間くらいかけて、初夏の一大イベント、田植えは終わります。が……

田植えを終え、稲が根付いた頃の田んぼも美しい。これは岡山県の温泉地、湯郷地区の田んぼです。

田植えが終わって息つくヒマも無く、次には水草との闘いが始まります。こればっかりは機械で一気に片付けることはできず、地味に人手で取り除いて行く。畦の草は刈払機で注意深く切り払う。しかも時期は真夏の暑い中ですよ。
実を言うと僕はまだ、真夏の時期には行ったことがありません。しかし、二ヶ月にもわたる過酷な闘いぶりは、彼ら移住者たちのSNSから充分に伝わってきます。何より、彼らが日に日に痩せて行くようすがわかるから怖い……

そこまでして守り抜いている田んぼに、動物たちの乱入が始まるのもこの季節。田植えの後、間もない頃からイノシシが、やがて稲の出穂が始まる真夏には鹿も加わり、一夜のうちに田んぼを壊滅させてしまうことがあります。
そりゃぁ、やる気なくしますよね。これを理由に耕作放棄せざるを得なくなる農家も多く、放棄された農地はやがて人の背丈を大きく越える笹藪となり、そこに動物たちが下りてきて住み着くという悪循環。この、いわゆる”獣害”による被害金額は、岡山県だけでも年間3億円というから驚きます。

今では狩猟が奨励され、免許を取る移住者もいるけれど、罠による狩猟だけではとても追いつかない状態。今のところ、最も有効な方法は写真のような電気柵のようです。うっかり触らないように注意。

そして行ってきました。風景を作る稲刈りのお手伝い。

以上のような、過酷な真夏を乗り越えて、稲は出穂(「しゅっすい」と読みます。僕も最近知りました)。やがて実が色づく頃、今年の稲刈りはいつ頃かな、と予定が立ち始めます。時期は稲穂の9割が色づいた頃。あるいは田植えの日から、毎日の最高気温の総和が1000℃に達する頃という説もあります。
いずれにしても、今年は9月20日頃ではないか、と予定が見えてきたのが8月の下旬。この頃には田んぼの水も抜かれ、天気も稲の成長も安定し、いくぶんのんびりできる期間を過ごします。

そしてちょうど9月20日頃、稲刈りを目前にしてイヤがらせのような台風が来たものの、どうにか被害を免れたとの知らせ。再び上山の千枚田に行きました。
どうですか、この黄金のような稲穂たち。刈るのがもったいないくらいに美しいのですよ。

僕が到着した日には、棚田の上半分の稲刈りが終わり、美しく”ハゼ干し”(稲を天日で乾燥させる。この呼び方は地域によって違うようです)されていました。左に残った部分を刈り終えるのに、まる二日間。
棚田は狭く、こんなカタチなので、大きな農機は使えないのです。
まさに稲穂の海。ダイブしたい。刈るのがもったいないくらい。

大きな農機は使えない、とは言え、手押し型の小さい機械は使えます。ここではバインダーという、「刈って、束ねる」機械が欠かせません。手で刈って藁で束ねるよりもナンボ楽なことか、と思うけれど、今ではあまり使われていないらしい。

稲刈りの時期にしか使わないので壊れやすく、しかも古い機械なのでパーツは少ない。しかし今年、何と農機の開発、設計、販売まで経験がある、いわば農機のプロが移住してチームに加わった。こうして、さらにチームは強くなるのです。
こんな感じで、バインダーが通過した後には稲の束が並んで行く。

この棚田の大きな特徴は、刈った稲を天日で乾燥させること。ここに通うようになるまで、そもそも僕は稲を乾かすことさえ知らなかったけれど、稲の種は一度乾燥されてから米になる。そして、その米の水分含有量が味の決め手になるとのこと。

今では多くの農家は機械によって乾燥させるようですが、ここでは天日干し。「天日干しのお米は水分含有量が適度で美味しい」とはよく聞く話で、数年前、日本で最高品質と言われていた新潟県のお米は、スキー場のリフトを使って干していましたっけ。

これが稲を干すための土台。身近なところにある木材や竹を組み合わせて作ります。ところが稲が積まれた後に折れたり、風で倒れたりすることもあるので、どこに、どのような長さで組むのか、それを決めるプロデュース能力が問われます。いわばベテランの仕事。木材や竹ではなくて、もっと丈夫な材料を使う手もあるだろうけど、あくまでも身近な材料で、使えるものは何でも使う、というのが、このチームのポリシーでもあります。

この”ハゼ干し”という方法。地方によって様々な呼び方があるようですが、いずれにしても手間がかかるので、今ではあまり行われていない。しかしこの棚田の再生が始まって10年あまり、自分たちが食べるお米は美味しく作りたい、どうせやるんだったら昔ながらの方法で、と続けてきたことにより、彼らは地元でも一目置かれるチームになっているようです。

そしてついに、稲刈りもハゼ干しも終了。

すべて終えた後には、このような風景を残していました。壮観です。

この”ハゼ干し”が行われているのが一週間から10日ほど。その後は脱穀や籾すりなどの作業を終え、晴れて新米ができあがります。
引いて見るとこんな感じ。干された稲の影が美しい。

ハゼ干しの間は、地元の人たちも嬉しそうにこの風景を眺めています。昔ながらの棚田の風景を見るために、やって来る観光客もちらほら。今では地方に行くと、様々なアートイベントなるものが地域おこしの名の下に行われています。しかし、都会でも見ることができるアートを、わざわざ地方で見せても一時的に人が集まるに過ぎないのではないか? とも思います。一方これは、ここに行かなくては見ることができません。だから人は見に行く。見せるためにハゼ干しを行っているわけではないけれど、これこそ、その地域ならではの、生活の中から生まれたリアルなアートとは呼べないでしょうか?

ここ、中国山地は雲海の名所でもあります。明け方、昨日まで稲刈りをしていた田んぼは、今は雲の中。
畦に彼岸花を植える理由は、この根をモグラが嫌うから、という話を聞いたことがあるけれど、確認したわけではありません。
ここは雲海の下。この寒暖差や湿度の変化が、美味しいお米を育てるのです。

今年の6月、棚田に水を配る”水落とし”の時には満水だった溜め池、大芦池の水も、農繁期を終える頃にはだいぶ減っていました。そして稲刈りを終えた日には、このようにオミゴトな夕焼けが。
水落としから稲刈りまで、昔ながらの方法を受け継ぎ、頑張った人たちへ、棚田の神さまからの贈り物だったのかもしれませんね。

なお、僕の稲作についての知識は、作業の途中でふと耳にしたものばかり。きちんと取材した話ではないので、間違いがあればご指摘歓迎です。お米についての素朴な疑問について、農林水産省のサイトを読んでいると楽しいので、ご参考まで。

上山の千枚田で棚田再生活動を行う、「英田上山棚田団」のサイトも貼っておきます。彼らの活動をサポートしたい。何なら仲間に加わって一緒に農作業を手伝いたい。などなどの方には、毎年春に「稲株主制度」の募集があります。ぜひマークしておいてください。









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