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キモチいいくらい暑いぜ、京都!

あれは何年か前の7月上旬、祇園祭が始まって間もない京都で、タクシーの運転手さんに、「京都の夏と冬、どっちがいいですか?」と聞いたところ、「そりゃぁもう冬がえぇですわ」と、即答された。「冬の寒さは服を着込めばどうにか凌げますが、夏の暑さはこれ以上服は脱げませんし、逃げ場がないですからね」
とは言いながら、どこかこの暑さを楽しんでいる風でもある。この暑さに誇りを持っているというか、暑くない祇園祭なんて祇園祭ではない、とでも言いたげな雰囲気で、いろいろと祭りの謂れを聞かせてくれました。

話しながら、山鉾巡行は一度見ておきたいと思った。「暑い」「混んでる」「ホテルが高い」の三重苦。しかし4年ぶりの完全開催。そこに「僕の事務所から鉾がよく見えますよ」という仕事仲間からの誘い。行くことにした。肝心の山鉾巡行の日は東京に帰らなくてはいけないのだけど、とにかく宵山だけでも眺めながら、いちばん混む時期の国際観光都市、京都の実力に浸ってみようかな、と。
(調子に乗って書いていたら5500字近くになってしまいました。おヒマな時にでもご覧ください)

祇園祭の時期には、見るべきものがたくさんある。

山鉾巡行が広く知られる祇園祭ではあるけれど、実は7月1日から31日まで行われる八坂神社の祭礼であり、この間、実に多くの行事が行われている。

前述のタクシーに乗った7月上旬の京都は、祭りが始まったとは言えまだ混んでいないし、ホテルも通常期の料金だったと思う。それでも夕方になれば四条通のあちこちから祇園囃子の稽古の音色が聞こえ、かなりお祭り気分に浸ることができた。けっこうおトクな時期でしたが、今回はあれの本格的なやつを、ついに見に行くわけです。

動く国宝とも呼ばれる山鉾は、疫病を鎮めるために作られた。

到着は前祭(さきまつり)の宵山期間に入った7月14日の夕方。京都駅で地下鉄烏丸線に乗り換えて四条駅で降りる。地下鉄の中まではお祭り気分ではないのだけど、地上に出てみると、そこはちょうど『函谷鉾』を擁する山鉾町だった。
おなじみの涼やかな祇園囃子が聞こえ、普段でさえ混雑している四条通や路地のあちこちに「山」や「鉾」が建てられている。さすが京都だな。これを東京に例えれば、銀座の中央通りや並木通りに「鉾」が置かれているようなものだろう。

四条烏丸交差点近く、「京都経済センター」の向かいに『函谷鉾』。ちょうど祇園囃子の演奏が始まったところだった。
『函谷鉾』から信号ふたつ分くらい離れたところには『月鉾』。入場料を払えば、写真の渡り廊下から鉾の中を見学することができる。見ていられる時間はあっという間だけどね。そして、上ってみると意外な高さに驚く。
友人との待ち合わせで狭い室町通りに向かったら、あらまぁ、ここには巨大な『菊水鉾』。路地は当然、観光客で渋滞している。

山鉾のある町。つまり山鉾町は一カ所に集中しているんですね。僕が仕事などなどの所用で京都に来るときは、南北は四条通から御池通の間、東西は河原町通から堀川通の間にいることがほとんどなのだけど、そこは山鉾の巣だったわけです。この景色の変わりようが楽しい。

山鉾は、たびたび「動く国宝」とか「動く美術館」などと言われています。そもそも今の山鉾が作られたのは室町時代で、その頃の部材が、毎年解体され、組み上げられ、こうして今でも使われる。装飾に使われる絨毯のような布(実際に、ペルシア絨毯や、ヨーロッパのタペストリーだったりする)も、すべて16世紀頃に作られている。実際の美術館に展示されれば国宝や重要文化財として扱われそうなものが、こうして祭りで練り歩くというから驚く。それを保存して、守り抜いてきた山鉾町の人たちもすごい。

室町時代から使われている、長刀鉾の飾り付け。《前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用》長刀鉾のウェブサイトより。

祇園祭は、かつて都を襲った疫病退散のために始まりました。中でも山鉾の役割は、都を回りながら街中の疫病を集めること。つまり巡行が終わる頃の山鉾は、人々の代わりにたくさんの疫病に感染しているわけです。なので、感染拡大防止のため(ここ数年、何度も聞いた言葉ですね)、巡行が終われば山鉾はすぐに部材のひとつひとつにまで解体され、保管される。
「そんな習慣があったから、室町時代に作られたものが、今でも現役で街を練り歩くことができるんでしょうね」というのは、前述のタクシー運転手さんの説。僕もその説に賛同します。

おもしろい日本酒に出会いました。

人混みと暑さからいったん撤退し、友人が予約してくれた寿司店へ。
夏の京都といえば鱧ということで、さっそくビールとともにハモりつつも、そこで勧められたお酒がおもしろかったので、いったんお祭りから離れ、紹介しておきましょう。

京丹後市の木下酒造さんによる『玉川 アイスブレーカー』。なんと、オンザロックス専用の純米吟醸。

氷を入れて飲む専用の日本酒。そんなバカな、とか、邪道だ、とか言う前に、とりあえず試してみた。氷を入れずに冷やで飲むと、やや重い感じの純米吟醸、加熱処理なし。そこに氷を入れると甘みが開放され、柔らかい口当たりになる。などと、酒の味の表現は難しく、こっ恥ずかしいからやめておこう。

冷酒の場合、すぐに飲まない限りは温くなるものだけど、こっちは氷が溶けてくれるので、常に温度が一定で心地よし。これも、暑い夏を乗り切る工夫なのでしょうか。杜氏はイギリス人とのこと。歴史や伝統の上にあぐらをかくことなく、常に新しいものも生み続けてきたという意味で、これもまた京都らしいお酒。一応、賛成しておきます。

そして翌日。昼間は出歩かないことに決める。

僕は普段、京都での宿は素泊まりにして、朝食は近所の喫茶店に行ってモーニングセットをいただきます。が、この日はやや二日酔い気味なので寝坊し、朝の9時くらいにいつもの喫茶店に行ってみると…
が〜ん、です。な、なんと、店の外まで行列ができています。ほんまかいな。
ほかにも2〜3軒回ってみたけれど、どこも行列。京都には喫茶店が多いのに、この界隈は、すでに観光客を収容しきれなくなってしまったのか。試しにコンビニを覗いても同様で、これはもう、少し離れた場所に行こう、ということで、御池通まで歩いて一軒みつけました。この暑さの中、みんな行列の中にいて大丈夫なのだろうか?

この日は朝から快晴。気温は35℃に迫る勢い。こんな中、行列に並ばない方法を考えたいもの。

ということで、遅めの朝ご飯の後は一時撤退。河原町三条に午後3時から開いているおばんざい屋さんがあるので、予約を入れて、それまでは涼しい場所で過ごす。

涼やかな料理、涼しい鴨川の風。

少し昼寝をしてから午後の2時。まだ早いかなとは思いながらも宿を出て、三条方面に歩き始める。するとまぁ何と、室町通りには昨日まで無かった屋台が建ち並んでいます。こうして、少しずつお祭り気分を盛り上げるわけですね。
界隈の旧家では、表の格子をはずして、秘蔵の屏風や家宝などを飾り付けた座敷を開放する「屏風飾り」が始まっている。中には円山応挙筆など、名だたる京都画壇の絵師による作品もあるらしい。この辺りはお金持ちが多いんだな。覗いて行きたいけれど、いかんせんこの混雑。あきらめて先を急ぎます。

案の定、三条通まで出ると人通りはいつものまま。でも暑さは変わりません。寺町通りのアーケードに逃げ込む。ここまで来れば人もまばら。鳩居堂の入り口に置かれていた札に誘われて、涼しい店内へ。

冷たいほうじ茶と、マカロンがひとつ。親切なサービスです。370円だったかな。

レターセットや聞香の道具を眺めていているうちに時間が来たので、待ち合わせのおばんざい屋さんへ。午後の3時から開いてるなんて、うれしいですね。

取り急ぎビールと、おばんざいの盛り合わせ。冷たい湯葉とか煮こごりとか。カラダが心地よく冷えてくる理由は、冷房のせいだけではないようです。冷製の料理はいずれも美味しく、火照ったカラダに染み渡る。
ふと、東京で、こういう涼み方ってあったかな? と思った。暑い日の夕方、とりあえずビールは頼むけれど、メニューにそれほど酷暑を癒やすものは無く、せいぜい冷や奴や枝豆を頼むくらい。少し高級な店に行けば違うのかもしれないけどね。しかし、近所の常連さんで賑わう、とても庶民的なお店でもこの涼やかさ。千回以上も繰り返された夏によって、このようなおもてなしが育まれたのでしょう。

とりあえずハモる。梅肉にワサビを合わせるも良し。そしてふと思った。鱧に梅肉を合わせる理由は、古くから伝わる熱中症対策なのかもしれないな。
いちばん安いメニューはイワシの生姜煮だったのだけど、これが美味しいんですよ。イワシは関東でも美味しいし、生姜煮も作るけれど、いちばん安いメニューでもこの味。アズマエビスは降参しました。
2時間ほどで店が混み始めたので、お会計を済ませて三条大橋へ。この風が心地よし。

橋から下りて、鴨川沿いを歩く。ホロ酔い加減の鴨川って最高ですね。気温はまだ30℃を越えているのだろうけど、涼しさは数値よりも環境なんだな、と思う。
ロンドンにはテムズ川があり、パリにはセーヌ川があるように、京都には鴨川がある。街には川が必要です。僕は東京でも隅田川沿いに住んでいたのでわかります。

何より最初に、八坂神社にお参りしなくてはいけない。

ところで祇園祭は八坂神社の祭礼です。だったら最初にお参りしておかなくてはなるまい、ということで、四条大橋から再び通りに戻り、八坂神社へ向かう。特に夜の8時から行われるという、宵宮祭を見ておきたい。
これは多くの神社のお祭りと同様に、神輿に魂を入れる神事。境内の灯りをすべて消して行い、この間は写真撮影も禁止となります。ただし、始まるまで2時間。

西日の当たる四条通。見るからに暑そうでしょう? 警備の人がタイヘンそうでした。
四条通は歩行者天国の時間帯に入る。いつも見慣れた八坂神社にはスポットライトのような日が当たり、神々しいではありませんか。
境内に入ると、まだ身動きができないほどの混み方ではなかった。
この日、舞殿では、今様歌舞楽、一絃琴、琵琶などの伝統芸能が奉納されたとのことだったけれど、時間を間違えていて間に合わなかった。めったに見ることのできない儀式も、ぜひ見ておきたいもの。

さっきのお店でのんびりし過ぎたせいで、いろいろ見逃してしまったようだ。しかし、とにもかくにも拝殿までたどり着いてお参りは済ませた。よかった。

四条通のホコ天は心地よく始まり、やがて怒濤の混雑に変わる。

この暑さと混雑の中、宵宮祭まで待つことをあきらめ、再び歩行者天国の四条通を室町通りまで歩いて戻ることにした。このホコ天は開放感あるなぁ。

普段はクルマが行き交う四条大橋の真ん中を歩くのは、とても心地のよいものです。

このまま夕方の風に涼みながら散歩、と行きたいところだけど、河原町交差点のあたりで、歩みはピタリと止まった。言うまでもなく、四条通は宵山を見に来た群衆で埋まっていたからです。
何本か脇の道を戻れば空いているんだろうけど、こんな機会もめったにないだろうから、このまま群衆につき合うことにする。

ゆ〜っくり前進しているうちに、空はすっかり暗くなる。
毎年、巡行の先頭を行く長刀鉾。稚児が乗ることでも知られている。

地元の人たちは、こんな混雑の中を歩かないだろうから、僕も含め、ほとんどの人たちが観光客なのでしょう。これが国際観光都市というものか。これまではオフシーズンの京都ばかり見ていたので、この街の実力には改めて驚きました。
それにしても、去年の今ごろは「密」と呼んでいた状況を、みんなすっかり忘れていて可笑しい。祇園祭は疫病退散のために始まったお祭りなのだから、これでいいのだ。

一時間以上かかって、振り出しの室町通りに戻った。
それぞれの山鉾には、室町時代から続く歴史といわれがある。次回は、もっと予習してから来よう。
室町通りにそびえる菊水鉾。この位置からだと、人の混み具合がわかるかな。

あとは宵山を巡りながら、近所の旧家を訪ねるまたとない機会、「屏風飾り」を見て回ろうと思っていたのだけど、どこも大混雑。ゆっくり見るには、やはり昼の時間をうまく使うべきなのか。そう言えば、お守りやロウソクを売る子どもたちの「ロウソク一丁、どうですか?」のわらべ唄を聞くこともなかった。あれは日によって違うのだろうか?
いろいろと予習不足を実感する。とは言え、千年以上も続いているお祭りを、たった2泊3日で見て回るなんてことが、しょせん無理なのだろうとも思った。もう一度、作戦を立て直して来てみよう。千年以上も続くお祭りなんだから、一年や二年くらい待ってくれるでしょう。
とか言いながら、夏の暑さをしのぐための様々な工夫は、さすが京都でした。ここで見知ったいくつかの知恵を、関東の夏でも生かしてみたいと思います。

そして7月16日の午前中、後ろ髪を引かれながら都を後にする。やはり、この山鉾が動き出すところから追いかけて、神輿渡御まで見届けたかったなぁ。

ということで、この投稿をしている今は、後祭の宵山の真っ最中です。
京都にいる皆さん、暑さ対策には気をつけて、都の夏をご存分にお楽しみください。

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