見出し画像

鉄道開業150周年。ということで、これまでに見た、ココロに残る駅を並べてみます②。

前回、続きを書くとは言ってみたものの、意外に写真が残っていない。青森県とか、いい写真があったんだけどなぁ、という言い訳はともかく。
その代わり、いきなり添付映像で恐縮ですが、このような映像をみつけたので貼っておきます。まだ青函連絡船が現役だった80年代前半、函館〜釧路間に登場したディーゼル特急のPR動画の昭和っぷり。
函館から釧路まで10時間15分。外は吹雪。窓にはみかん。当時の車内のようすやレールの音が沁みます。

ここに映ったほとんどの人は、この数年後には国鉄が解体されることなど知る由もなかったことでしょう。この新型車両に寄せられた期待が、痛いほど伝わってきます。時間がある方は、ぜひご覧ください。
後半の50系は西日本の人には懐かしいかも。中国山地では、今でも古い車両が頑張っている姿をたびたび見かけます。

まず初めに三陸鉄道から。

あの震災が起こる一年くらい前から、仕事のご縁により岩手県には知り合いが増え始めました。三陸鉄道に初めて乗ったのもその頃で、なんともかわいらしい鉄道だな、と驚いたものでした。久慈駅の『うに弁当』をいただき、防風林に囲まれた海沿いの線路を走りました。眺めの良い鉄橋では減速して運転する鉄道なんて、それまで乗ったことがありません。最初はただ二駅ほど移動するために乗ったローカル線が、やがて乗ることそのものが楽しい鉄道であることを知ります。
そして震災。あの時に眺めた防風林が、線路もろとも津波に流された映像を繰り返し見ました。震災後、仕事が立て込んでいてすぐには駆けつけられなかったけれど、夏頃からは復興のお手伝いや取材でも行けるようになり、短い区間のみで運行を続ける三陸鉄道に乗る機会も増えました。
だからこそ、2013年春に始まった『あまちゃん』の初回には、タイトルバックでいきなり三鉄の車両が出てきたので驚いたのなんの。

絶景の中を走る三陸鉄道の中でも、特に絶景を誇るのがこの堀内(ほりない)駅。2013年のNHK朝ドラ、『あまちゃん』では、たびたび登場していた『袖ヶ浜』駅です。ここで日の出を見てみたい。


堀内駅は崖の中腹に建てられているので、たどり着くのが意外に難しい。徒歩であれば国道から階段を下りればいいけれど、クルマで行くとなると、海側の「堀内駅」という小さい案内表示を通り越して、漁港方面に入る道を入らなくてはなりません。この入り口を見落とさないように。


陸中野田駅。震災後、たった5日で、久慈駅とこの駅の間で運転が再開された。
この写真は2014年。男女の職員さんが何やら話しているようすが、まるで『あまちゃん』のシーンのようでした。駅の外から撮影していたら、「どうぞ、駅の中に入ってお撮りください」と駅員さんから声をかけられた。なんて優しいんだ。


陸中野田駅は道の駅が併設されており、その道の駅で売られている『のだ塩ほたて弁当』が劇ウマです。うにの炊き込みご飯の上に、丁寧に並べられた野田村名物のホタテ、あわび、ウニ。かなりの人気なので、今では前日に店頭に行き、予約しておかないと買えません。10年前くらいに、iPhoneで撮影。この頃、まだ解像度はこんなもんだった。


今はもう引退してしまった、おなじみの車両。この撮影は2014年の冬でした。まだ三陸鉄道北リアス線が久慈〜田野畑で折り返し運行していた頃の田野畑駅です。


島越駅。向こうのトンネルと、すぐ反対側にもトンネルがあり、その間を流れる川を津波が遡った。そのためこの区間は駅も線路も流された。『あまちゃん』では、橋本愛さんが、あのトンネルの出口で呆然と立っているシーンが印象的でした。こうして復活したのが2014年7月。震災後、クウェート国からの支援により、この駅が再建されたことへの感謝のメッセージが貼られていました。


震災前の島越駅にあった、宮沢賢治の詩碑。津波による流失を免れた。

僕が最後に三陸鉄道に乗ったのが2015年。多くを語るには、いささかご無沙汰しすぎですね。
あの後、北リアス線と南リアス線の間にあったJR山田線を引き継ぎ、日本最長の第三セクター路線となったのが2019年。北の終点である久慈駅から、南の終点、盛駅までの全線163kmに伸びました。しかしその年の台風19号により、再び線路は寸断され、2020年の3月、ようやく全線での運転再開にこぎ着けます。早く、全線まとめて乗りに行かねば。

ところで、タダでは転ばない三陸鉄道。最近は鹿に衝突する被害が多いとは聞いていましたが、なんと、その被害を逆手にとって、この夏、こんなイベントを開いていました。

もちろん子どもたちに大人気だったそうだ。やるなぁ。

駅舎がホテルだったら、どんなにいいだろう?

もうひとつだけ岩手県の話を。
かつて、JR釜石線、遠野の駅舎はホテルを兼ねていました。ところが2015年に閉館。ホテルの部屋から駅のホームが見えるって、楽しかったのに残念だな。と思っていたら、最近は「駅が見える部屋」が人気のホテルも多いとか。このホテルも、もう少し頑張れば、なかなか予約の取れないホテルになっていたかもしれません。

駅舎の二階がホテルでした。駅舎そのものも美しい遠野駅。壁面の煉瓦を焼く技術が今は残っておらず、もしも解体したら二度と復元できない駅舎だそうです。駅舎解体工事計画に対する反対運動も起きていたけれど、今はどうなっているのだろう? 撮影は2014年。


部屋から見るとこんな感じでした。まさに銀河鉄道ですよ。閉館なんてもったいなかった。

いま、ほかにも駅舎がホテルを兼ねる駅ってありましたっけ? 東京ステーションホテルは有名ですが、気軽に泊まるには、お値段も駅も大きすぎるかな。ほかに僕が知る限り、愛媛県の宇和島駅の中にホテルがありました。岡山駅も駅のコンコースの中に高層ホテルがあり、ホームのようすがよくわかります。しかし、これほどホームに近い駅舎ホテルは見たことがありません。無人駅ホテルとか、どこかにできないかな。あれば必ず泊まりに行きます。

海が見える駅。

この、通称”海駅”については、とても優れたガイドブックがあるので最初に紹介しておきましょう。

全国30の選りすぐりの海駅を紹介するだけではなく、その駅周辺の歴史や地理や人々の暮らし、さらには環境問題に至るまで語られています。このような視点から駅を見ることによって、駅そのものが、地域の顔であることが深く理解できます。
僕は以前、同じような本が作れないかな、と考えていたことがありました。が、この本を見て諦めました。何より、似たような本をもう一冊出す意味は無いし、この本以上の内容で作ることが難しいと思ったからです。
もちろん、今でも海のある地方に出かけるときには、その近くに海駅があるかどうか、この本でチェックしてから出かけています。

新潟県村上市。羽越本線の越後寒川(かんがわ)駅。新潟県屈指の景勝地、笹川流れの玄関口となる駅でもあります。ここから見る日没は、おそらくオミゴトなはず。


日本海側の海駅からは、きっとこのような日没を見ることができる。この写真は残念ながら、駅ではなく国道7号線から撮影したものです。


ここはあまりにも有名な、信越本線の青海川駅。午後はこのように逆光になるので、青い海を撮るのであれば晴れた日の午前中がお勧めです。


青海川駅の近くには、このような案内板がありました。この一帯の河川は、多くの鮭が遡上することでも知られています。国道8号線をほんの数キロ、柏崎港方向に戻ったところに『柏崎フィッシャーマンズケープ』という市場があり、そこのトルコ風サバサンドが美味しいのなんの。


突然場所が飛んで、瀬戸内海の海駅。かつて『青春18きっぷ』のポスターになり、海駅の存在を全国に知らしめることとなった、ご存じ、予讃線の下灘駅。この写真では無人のように見えますが、実はホームにはカメラマンが大勢集まっており、交代しながら撮影するという、微笑ましいシーンにも出会えました。


ホームの目の前は海ではなくて国道。ただし駅へのアプローチは狭い道で、駐車場も狭いです。周りは静かな住宅地でもあるので、混雑する日没時は、できればクルマの利用は控えた方がよさそう。時刻表を頼りに予讃線で行って、帰りのキハ32(だったかな?)を待つ時間を楽しみましょう。

なお、noteには以前も海駅を二駅紹介しています。よろしければご覧ください。

観光地に行くだけが観光ではない。もっと普通の街の普段のようすを見にお邪魔するのも観光ではないか。そのきっかけとして駅を訪ねるというのは、とても良い方法だと思う。……というような話です。うまく伝わっていたかな?

鑑賞に値する、木造の駅舎。

僕が子どもの頃には、まだ首都圏にも木造の駅舎が普通にありました。それが次々と建て替えられて行くのを気にとめないうちに、やがて今のような、全国どこにでもあるような街並みができあがった。
そのような中、旅先で不意に木造の駅舎に出くわすと、突然子どもの頃の感情が蘇ってきます。懐かしさよりもさらに繊細な、いつの間にか失っていた感情。
そんな時、このような駅舎を残してくれた人たちに感謝しながら、一時間も二時間も、駅の隅々まで眺めてしまいます。周りから見るとヘンな人かもしれません。
ここでは三駅を紹介します。いずれも過去にnoteで紹介していますが、改めて見直しておこうかな、と。

つい2ヶ月前に紹介したばかりですが、長良川鉄道の郡上八幡駅。日本一、夏休みが似合う駅。あの後で知ったのですが、この駅の駅舎およびプラットホーム、跨線橋などの施設は、2015年に国の登録有形文化財として登録されているとのこと。2017年には、開業当時の外観に復元されたそうです。なるほど。


郡上八幡駅の跨線橋も通路も木造。この数字の書体も美しく思えてくる。


長良川鉄道越美南線の車両の威風堂々。美濃太田駅から、関、美濃市、郡上八幡、こちらも踊りで有名な美濃白鳥、などの駅を経由して終点の北濃駅に至ります。


駅長室とありますが、これはかつての駅の名残。屋根裏にむき出しとなった配電用のケーブルを見ると胸が熱くなる。そんなわたしはヘンタイなのでしょうか。なのでしょうね。


駅にいる間は退屈なので、きちんと淹れたコーヒーがあるとなおよろし。駅蕎麦もいいけれど、すぐに食べ終わってしまうところが難点。次の列車まで二時間待ちなんてことも多いので、ゆっくり本でも読めそうなカフェや、地元の歴史や文化が学べるライブラリーもあればありがたい。郡上八幡の駅には、そのような思いに答えてくれるカフェがあります。観光案内所も兼ねているなんて、実に合理的。


岐阜県から飛んで、ここは鳥取県。若桜鉄道の隼駅です。ご覧の美しい木造駅舎は、昭和5年に開業した当時そのままの姿とのこと。SUZUKIのオートバイ『ハヤブサ』のライダーの聖地でもあり、若桜鉄道にはSUZUKIとタイアップしたラッピング車両も走っています。こういう形で、いろいろな人たちが鉄道を支えている話を聞くと、またまた胸が熱くなります。


隼駅の待合室。そうだった。昭和の昔、宅配便が登場するまでは、こうして小包を駅まで送りに行ったもんだった。窓の向こうの事務室が、図書館やカフェだったらいいだろうな。


隼駅のプラットホームの昭和っぷり。このような木造駅舎を維持するのは苦労も多いことでしょう。若桜鉄道には、JR九州のクルーズトレイン『ななつ星』のデザイナーがリニューアルを手がけた若桜駅、映画『男はつらいよ』にも登場した安部駅などなど、沁みる木造駅舎がたくさんあります。もともと林業が盛んな地域だからでしょうか? お近くに行った際には、ぜひぜひ乗りに行ってください。


そして最後は九州に飛んで、JR九州、大村線の千綿駅です。どうですか、この木造駅舎。この駅は大村湾を臨む、有名な海駅でもあります。ところで、ここで紹介した三つの駅舎の前には、いずれも赤い郵便ポストがあります。これはおそらく、駅が街の情報の拠点だった頃の名残と理解しています。


待合室を抜けて、階段を上ると。


ほら、この通り。千綿駅の駅舎には、カレーが美味しいと評判の『千綿食堂』がありますが、残念ながらこの日はお休みでした。

まとめ。

このような駅を見ていると、「観光資源」なんてまだまだいくらでもあるな、と思います。「この地域には何もない」と言うのであれば、一度、その地域の駅を見直してはどうでしょうか。新しい施設など建てなくても、そこにある無人駅が地域の歴史を語ってくれるかもしれない。観光客が一息つくカフェになるかもしれない。商店ができるかもしれないし、それが地域の人々にとって交流の拠点になれるかもしれない。多くの駅は無理だとしても、日本のどこかで、小さな無人駅が一駅だけでもそのように生まれ変わることを想像すると楽しくなります。
一方、観光客としても意識を変えておく必要がありそうです。観光客にとっては初めて見る小さな駅でも、その土地で暮らす人にとっては、とても思い出の深い駅かもしれない。それを見抜く、あるいは想像する力さえ備えれば、どこにでもありそうな普通の駅が、神社仏閣と同じくらい輝いて見えてくるはずです。

まだまだ紹介したい駅はあるのですが、長くなったのでこのくらいにしておきます。そして、お気づきの方も多いとは思われますが、ここに紹介した駅は、いずれも鉄道ファンにとっておなじみの駅ばかり。それどころか、「だったらなぜあの駅を紹介しないんだ」と思われる方も多いはずです。銚子電鉄にも乗りたい。ひたちなか海浜鉄道も忘れてはいけない。北陸、信州、中国地方や九州には、素敵な駅がたくさんありそうですよね。そのあたりは、これからも旅を続けながら、ちょっと寄り道しながら増やして行きます。ではまた!













この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

38,665件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?