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旅先で予期せず出会う、居心地の良い居酒屋の数々、一軒め 〜 東京都大田区穴守稲荷。

初めて降りた駅前からの帰り道。少しお腹が空いたので、電車に乗る前に軽く食べて帰ろう。ふと思い立ち、初めての店に入ると、注文がタブレット入力だったりすることが多くなった。
10年と少し前、この方式を初めて知ったのは回転寿司だったと思う。今になってようやく慣れてはきたけれど、タブレット相手に長居をしたいとは思わない。
人手不足とか人件費削減とか、理由はいろいろあるのでしょう。だからこういう店には、意外なことに地方都市で出くわすことが多い。

一方で、初めて来た街でひとり、恐る恐る入った居酒屋がとても心地よく、その店があるだけで、再びその街に行きたくなることもある。
この居心地って何だろう? 店の雰囲気、他の客との適度な距離、もちろん料理は言うまでもないけれど、それだけではない。それに加えて店で働く人たちとの、当たり前の会話にあるのではないか。
店のスタッフが賑やかなら賑やかなりに、無言であれば無言なりに、注文から支払いに至るまでの、決してタブレットにはできない人と人とのやり取り。最近は”居酒屋勘”のようなものが冴えていて、いい店に当たることが多くなりました。
そんな居酒屋の話をしてみます。何回かに分けて不定期に書こうと思いますが、今回は一軒め。羽田空港のお膝元、京急羽田線穴守稲荷の駅近くから。

羽田空港のお膝元には漁師町があった。

これは今年の4月のこと。羽田発の早朝便に乗るために、空港近くの穴守稲荷の街に前泊しました。本当は飛行機を眺めながら眠りにつきたかったのだけど、ホテル代が飛行機代よりも高くついてしまうので、少し離れた穴守稲荷へ。

京浜急行を利用して、京急蒲田から羽田空港に向かうときに、いくつかの駅がある。急いでいるときには、この各駅停車がもどかしく思うこともある。その中の小さな駅、穴守稲荷。空港周辺の殺風景なエリアを走る間、ほんの一瞬、人の暮らしを感じる駅でもあります。あまり期待していなかったけれど、いざ降りてみるとどうだい、なかなかいい街じゃありませんか。

空港の周りのような、人を寄せ付けない無機質な街並みを想像していたので、この下町っぽさには大いにトキメキました。
駅名の由来となった穴守稲荷。もともと羽田空港の敷地内にあったものの、戦後、空港がGHQに接収されたときに、ここに移転したらしい。
羽田空港の目の前とは思えないほど、静かな境内。

時刻は夕方の4時くらい。小さな街なのに飲食店が多い。だったら晩ご飯に備えて、少しでも良さげな飲食店を探してみるかな。どこも5時開店のようなので、ついでに街を散策してみました。
羽田はもともと江戸の小さな漁師町なのだという。そう言えば、江戸前の穴子と言えば羽田が有名だった。そうかそうか。その割に、和食の店は少なく、ラーメン屋、中華料理屋が目立つ。中に、とても美味しそうな中華料理屋を発見。しかしそこも準備中だったので、もう少し歩いてみることにした。

餃子の屋台、そそるなぁ。

穴守稲荷には初めて来た。とは言うものの、僕は小学校1〜4年の間、多摩川河口をはさんで対岸の川崎大師の門前町で育ちました。だからわかるんです。雑然とした中にも、何らかの秩序を持った、こういう街の雰囲気。
こっちに歩けば住宅街しかないはず。美味しい店は駅から少し離れた、住宅街との境目あたりにあるんじゃないかな。あっちに歩けば人を寄せ付けない倉庫街。治安のよろしくないエリアは… この駅周辺には無さそうだ。
そしてここは門前町。だったらそこには表参道があり、そこには何軒かの老舗があるはず。

再びお稲荷さんに戻り、短い参道を歩いていたら、ほら、ありました。
看板には割烹とある。いかにも老舗という感じの入り口なんだけど、飾り付けはややくたびれている。値段はどうなのだろう?
時計を見ると、ちょうど開店時間。高かったら定食でも頼んで、さっさと済ませばいいか。ということで、店の引き戸をがらりと開けてみました。

そして、昭和のど真ん中へタイムスリップ。

「あのぉ、予約していないんですが、ひとり入れますか?」
恐る恐る尋ねてみたら、「どうぞ、いらっしゃい!」という、張りの良い声。
出迎えてくれたのは70代くらいと思われるご主人で、奥にはご主人の奥さまと思われる女性。そしてもうひとり、ご夫婦の娘さんと思われる女性。皆さんに笑顔で迎えられた。ご家族で営まれる割烹料理屋のようだ。

思いのほか奥行きのある店内。左には10名はゆったり座れそうなカウンター。真ん中には4つのテーブル席。そして右には10人2グループは入れそうな小上がりがあり、2階には宴会用の広間があるようだ。

最初、遠慮してカウンターの隅に座ろうとしたら、
「お好きな席にどうぞ。真ん中のテーブルでもいいですよ」
と再び、ご主人の張りのある声。
だったら、ということで遠慮なく、店を広く見渡せる、きれいに磨かれたテーブル席に着いた。

清潔に磨かれたテーブルや食器たち。その日最初の客になるって、気持ちのいいものですね。

けっこう立派な店に飛び込んでしまったようだ。でもこんな時には、利いた風なことは言わずに、この土地には初めてなんです、という態度で臨む方がよさそうだ。

「やはり、羽田に来たらアナゴは食べておいた方がいいですか?」
すると今度は、ご主人の奥さんと思われる女性が教えてくれた。
「今じゃもう、羽田でもあまり取れないから、毎朝豊洲で、いちばんよさそうなやつを仕入れるんですよ」
ご主人は刺身、および寿司の担当、奥さんは天ぷら担当のようで、今度は奥さんが、いろいろ仕込んでいる手を休めて教えてくれた。
「アナゴ、揚げましょうか?」
「いや、まだいいです。もうちょっとメニューを見てから」
とりあえずのビールと共に、娘さんが運んでくれたお通しの肉じゃがにほっこり。これは美味しい。この店を選んで正解だったようだ。
メニューの中から、まず「たまご焼き」をお願いした。

ビールはキリンでグラスはアサヒ。この肉じゃががココロに沁みました。良い夜が始まっちゃった予感。

「たまご焼きは、だし巻きと、甘くない塩だけのものがありますが、どっちにしますか?」とご主人。
「では、甘くない方で」
お願いすると、ご主人が奥の部屋に引っ込んだ。たまご焼き担当でもあるようだ。

ところがこのたまご焼きが、15分経っても出てこない。きっと焼きたてが出てくるんだろうな、と想像はできるものの、出された焼きたてを見てびっくり。とにかくデカいんです。

卵4個を使っているという、アツアツのウマウマ。

これだけ大きいたまご焼きがあれば、これだけで一時間近く飲めてしまいそうだ。

かつて、ここから見ても空港は沖にあった。

この店の創業は昭和30年代。貫禄のある店内の割に、意外に新しいのだ。
それでもどことなく感じる、多摩川河口の街の雰囲気。僕が子どもの頃、たまに大人に連れて行ってもらった大人の店も、ちょうどこんな感じだった。同じ昭和の割烹でも、年代によって店の作りに流行があったのかもしれない。

「お客さんは、どのホテルにお泊まりですか?」
しみじみたまご焼きをつついていたら、今度は娘さんが声をかけてきた。
「あの大通りの向こうの、大きな倉庫の隣の…」
「あぁ、あそこには昔、大きな工場があったんですよ」
娘さんは生まれも育ちも羽田なのだという。空港のお膝元である羽田。その昔の風景が、どうにも想像できない。
「その昔は漁師の街…」
今度は奥さんがつぶやいた。

僕は川崎大師の近くで育ったことを伝え、子どもの頃、広い多摩川の向こうに、飛行機が離発着していた頃のことを話した。すると娘さんが、
「ここから見ても空港は川の向こうなんですよ。今では建物に隠れてしまっているけれど、海老取川という川があって、小さな漁船がたくさん留まっていました。そして、その向こうに飛行機が飛んでくるんです」

きっと東京五輪の選手団も、ビートルズも、そうやって飛んできたのだろう。
「あの頃は船大工さんもいらしたんですよ」
かつてはアナゴ漁や海苔漁。でも、この店が創業した頃は、すでに京浜工業地帯の大気汚染が問題になり、海もいちばん汚染されていた頃でもある。今では海も水質改善が進んだけれど、それ以上に空港ばかりが横へ横へと広がって行った。

「お飲み物はどうされますか?」
ビールが空いていたので、たまご焼きに合わせて冷酒をお願いした。

お酒は秋田の『刈穂』。辛口で、とても好きなお酒なのです。なぜ羽田に秋田のお酒? と聞いたところ、かつて通ってくれていたお客さんに秋田の人がいて、彼に勧められて以来とのこと。お客さんとは、そういう繋がり方もあるんですね。

羽田の変遷、お客の変遷、そしてコロナ禍を乗り越えて。

「だからお店ができた頃は、工場で働く人たちがお客さんでした。年末になると、二階の部屋は忘年会続きで」
「でもほら、工場がどんどん遠くに引っ越しちゃったから、一時はお客さんも減ったけど、今度は航空会社の人たちが来てくれるようになったよね」
奥さんと娘さんが続けていた昔話を楽しそうに聞いていたご主人も加わって、まるで昭和居酒屋物語の様相になってきた。

工場で働く人から航空会社の会社員。二階での宴会は相変わらず。昭和から平成へと時代が変わっても、うまく客層も入れ替わってきたわけだ。
そしてコロナ禍。
「あの頃はねぇ、飛行機が飛ばなくなっちゃったからね」
それでも休まず店を開けていたという。
「お客さんが一人もいらっしゃらない日が続きましたよ」
「それでも食材は仕入れるんですよね? 余ったらどうするんですか?」
「捨てるわけには行かないから、自分たちで食べるの。あとは親類に配ったり」

どうにかコロナ禍が去った後も、それほど客足は戻らなかった。リモートワークが定着して、会社員が大勢で飲食店に繰り出すことがなくなったからだ、と、ご主人は分析する。
「でもね、今度は外国人のお客さんが増えたの」
と奥さん。
「とは言ってもね、外国人のお客さんは突然大勢でいらしたり、まったくいらっしゃらない日もあったり、数が読めないんですよ」
僕は予約を取らない店が好きだけど、外国人観光客相手だと、そういう問題も起きるんですね。仕入れが大変だろうな。

卵焼きだけでけっこうお腹がいっぱいになってきたけれど、もう一品頼んでからご飯にしようかな、と。

お酒に合わせて、今日の焼き魚はアジがお勧めとのこと。これもまた、大きなアジでした。

こんな会話が小一時間は続いたかもしれない。するとガラッと引き戸が開き、若い男性2名のお客さん。オーダーは流ちょうな日本語だったけれど、会話は英語だった。アジア系の、どこかな。香港あたりの人たちかな。

平和だった店内が、突然戦場になる。

すると間もなく、数が読めないと言っていた大勢のお客さん。ただし外国人ではなくて、若い会社員と思われる日本人のグループだった。
「あの、10人なんですけど…」
娘さんが小上がりに案内した。
よほどお腹が空いていたようで、全員が矢継ぎ早にオーダーする。さっきまでのんびり話していた、寿司および刺身担当兼たまご焼き担当のご主人も、奥さんも、揃って臨戦態勢に入った。その前に、先に入ってきた2人組の定食もまだだ。
「スミマセンね、急に忙しくなっちゃって…」
と娘さん。そう言っている間にも、追加のオーダーが入る。もはやとても話しかける空気ではなくなったけれど、この展開が昭和のドタバタコメディのようでおもしろいの何の。

「今から定食なんて頼んだら、だいぶ先になっちゃいますよね?」
娘さんに聞いてみたところ、そうですねぇ… と困ったように答えた。
僕は、もうこれで充分だと思った。メインのご飯はまだだけど、とてもいい飲食店を知ることができた。いちばん楽しいところをいただくことができた。後はお腹を満たすだけなら近所の中華料理でもいいし、何ならコンビニご飯をホテルで食べてもいいのだ。
実を言うと、僕は地方の美味しい店に行ったときにも〆まで進まずに、楽しいところだけで切り上げてしまうことが多い。一見さんとしては、常連さんがやって来る時間までに席を空けた方がいい。それでも2時間あれば、充分に楽しめます。

ということで「お会計をお願いします」。
うわ、こんな金額でいいんですか? というくらい良心的なお値段。
「どうもスミマセンね!」
と、カウンターの中の戦場から、ご主人も声をかけてくれた。奥の方からは天ぷらを揚げていた奥さんもにっこり。娘さんが店の外まで出てきて見送ってくれた。

なんて気持ちのいい店だろう。東京にもまだまだ、こんなお店があるんだな。
ただし、突然の大勢さん対策は必要かもしれないけど、こういうお店として50年。コロナ期もこうして乗り越えてきたのだから、これでいいのだ。
このお店だったら、羽田に前泊の日ではなくても、電車に乗って普通に来てもいいかもしれない。ただし次回、ご飯のオーダーは先に済ませることにしよう。

いいお店を自分の足で探すのも旅の楽しみのひとつ。ということで、今回も店名や場所は紹介しません。が、本文中にヒントはいくつか残しています。目印は、下の写真です。羽田前泊でおシゴトに行く方は、ぜひ探してみてください。


















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