長野県諏訪市 - 諏訪散歩 吉良と信長と明智の寺、法華寺と墨縄神社神社参拝 21.12.18_11:00
諏訪大社上社本宮の裏手に法華寺という寺がある。
武田攻めの折、織田信長が上社本宮に火をかけて焼き払った後、法華寺で武田家滅亡の論功行賞+戦勝祝を行ったらしい。
何というメンタルだろう。
法華寺は信長の武田家攻略の本陣だったそうで、今よりもずっと広く立派だったんだろうな。
信長が武田家戦勝祝の席で口が過ぎた明智光秀をボコボコにしたのは有名(史実かどうかは不明だけれど)
その二ヶ月後、京都の本能寺であんな目に合うとは、まさかこの時思うことはなかったろう。
しかし、山梨で武田家を攻めた後、二ヶ月後に京都って・・・当時の武将ってなかなかお忙しい。
大河ドラマ真田丸ではここで真田親子と織田信長が初対面したことになっている・・・ホントかどうかは知らないけど。
これは史実として、江戸時代に赤穂浪士にボコボコにされた吉良上野介の養子、吉良義周が流されていた場所が諏訪。
赤穂浪士の美談の裏で悲しい人生があったんだなぁ。
幽閉場所は高島城だったらしいが、死亡後法華寺に葬られる。
今も寺の裏手の高台に墓が・・・。
吉良義周死亡後、幕府役人の検死を受けなければならず、遺体の腐敗が大変だったらしい。
なかなか歴史を感じる寺だったんだね。
その法華寺の裏には墨縄神社という職人の神社があり、その裏の裏には武田信玄の墓も・・・。
最も今日は墨縄神社まで参拝だったけど。
江戸時代、甲州街道は高島の城下に回されたため諏訪は街道から外れた場所になっていたそう。
いろいろな史実を隠すにはちょうどよかったのかもしれない。
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