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「写真」近況 2021.7.27

2021L1250806insta円山

撮影は、カラスの子育て期が来たことで、中断したまま。カメラを構えたところで、カラスに威嚇される。その場所で、違う日に自転車で撮影場所を目指し漕いでいるところを、突かれる。
さらに熱い日が続くのもあり、一休みしている。以前のアパートで、小鳥のひなを搔っ攫っていくカラスを見たが、自分らが矛盾していることをどう思っているのだろう。それが、分からないのが動物というものだろうか。

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ベランダから夕空を撮り、北海道の高い空を見て未だ以前のシリーズの余韻を感じている。夫婦で作曲家グスタフ・マーラーの交響曲を指揮者別で聴き比べ等もしていた。自分は昔、マーラー本人の自伝的映画を見た記憶があったのだが、そこではニーチェを読むことを薦められていたマーラーが、悪書だ!と、一蹴した記憶があったのだが、不思議なことに妻はそんな映画見た記憶はないという。しかも交響曲3番の第四楽章にはツァラトゥストゥラの一部が歌われている。他にも、ジャン・パウル、ショーペンハウアーの影響もマーラーにはあるとか。その辺はやはり好きになる訳だ。

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昨日は、夏目漱石の門を読み終えた。貧しくも幸せな夫婦が、共に過去に疚しさを抱え、妻はある時、占いの門をくぐり、誰かに恨まれているから、子供が出来にくいのだと言われ、ぎくりとする。そこは、たかが占いだと夫に一蹴されるも、其の疚しい思いがある日高まった時、夫は禅寺の門をくぐる。しかしそこは一般人。現実的に行動に起こして何とか避けようと、門を後にする。何とか月日を経て、生活も安定するのだが、夫は巡る季節に想いを馳せ、ふとまた来るだろう冬を思う。

近所の北海道立近代美術館でも夏目漱石の描いた絵が展示してあり、素晴らしく思った。現代美術にありがちな緊張感はなく、デイドリーム的な、永遠のようなものが広く取られた空に感じられた。直観的に観るものに直接的な安息を感じ、思考をめぐらす空間が残され、それが漱石の思考を巡らすもののようで楽しさがあった。
そして創作(生活)し、生きられた生そのものが、教養、時代というものとして、今も未だ私達現代人にも共通に認識出来るものだという気がした。


作家活動としての写真撮影や個展、展示の為のプリント費用等に充てさせて頂きます。サポート支援の程よろしくお願いいたします。