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四つ葉のクローバーの申し子

 子供の頃、父の事はよく分からなかった。

 いわゆる昭和のモーレツ社員という人種だろう。帰りはいつでも夜中で、子供たちとは平日に顔を会わせる事が無かった。

 休日は夕方近くまで、ずっと眠っていた。起きてくると、何かを取り戻すかのように、集中的に子供たちと遊ぶ。

 遊び方は少々乱暴だ。高い高いをしたり、飛行機と称して、子供たちを振り回したり、お馬はみんなを歌いながら、膝の上で子供たちを揺すったり。

 だけど、体力を使う遊びばかりなので、子供三人を相手にすると、すぐにへとへとになるのだろう。自分が疲れると、子供たちにせがまれても、自分のペースで遊びを切り上げてしまう。

 若い頃はヘビースモーカーだった。今の時代では考えられないと思うけれど、子供たちの前で、普通に煙草を吸っていて、その事でよく母とは言い争いになっていた。

 けれど、子供たちは、父が煙草の煙で輪っかを作ってくれるのが大好きで、よくせがんだ。父もリクエストに応えて、しょっちゅう輪っかを作ってくれた。いやあ、ほんと、昭和だなあ。今では考えられないよなあ。

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 つまり、子供の頃、私にとって父というのは、普段は家に居なくて、家に居る時は、ほとんど眠っていて、たまに自分のペースで乱暴に遊んでくれる人、という認識だった。

 自分の父親ながら、人となりを理解したのは、多分、十代後半か、ひょっとしたら二十歳前後になってからかもしれない。

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 だけど今でも、父の事は、やっぱりよく分からない時がある。

 何かのスイッチが入ると、突然機嫌が悪くなる。何がスイッチになるのか、未だによく分からない。

 多分それは、家族以外には見せない顔だろうし、家族は皆、ああ、はいはい、と、あしらう。あしらわれるのが気に食わない時には、ぷいっと席を立ってしまう。

 あしらった家族は少しだけ気を揉むけれど、基本的には放っておく。戻って来た時には、父は自分が機嫌が悪かった事を忘れて、にこにこしている。家族はこっそり溜め息をつく。

 年齢を重ねて、だいぶ丸くはなったけれど、若い時は癇癪を起こして、母と口論になる事もあった。

 父が良く分からない理由で急に怒り出す。しかし、私の母という人は、決して言われっ放しになっているタイプではないので、理路整然とやり返す。父は段々感情的になって、「うるさい、うるさい」と言いながら、席を立ってしまう。

 子供だった頃は、父が席を立ってしまうと、このまま二人が仲直りしなかったらどうしよう、と、身をよじる思いだった。

 しかし、少し時間を置くと、父は口論した事を忘れて、にこにこしている。私はいつも拍子抜けして、大人になる前に、身をよじるだけ無駄だという事を学習した。

 何がスイッチになるのかも、何をきっかけに機嫌が治るのかも、よく分からないけれど、父に悪気が無い事だけは、よく分かっている。

 父と自分がとても似ているから。

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 私も内弁慶だ。家族、特に夫に対しては遠慮が無い。

 外面は良い癖に、夫に対しては、ちょっとした事で、すぐに拗ねる。時には癇癪を起こしたりもする。

 夫は私のあしらい方を熟知しているので、口論になる事はない。「妻から電波が出ている」と、私が拗ねているのを、どこかで面白がっている節がある。そんな夫に感謝しながら、でもその場では素直になれない。

 自分の拗ねるスイッチが何なのか、本当に自分でも良く分からないのだ。しょっちゅう自分を持て余す。自己嫌悪になる。

 でもすぐに色んな事に気が散る。拗ねていた事も、自己嫌悪になった事も忘れて、気がついたら笑ってる。大切な人をいつも振り回してしまう。

 あーあ。どうしてこんなところが遺伝しちゃったんだろ。

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「お前は話が長い。要点から先に言いなさい」

「分かった、分かった。もういい。要するに、こう言う事なんだろう?」

 父には良く注意される。

 まあ、私の話が長いのも、省略が苦手で、頭から全部話そうとして、話が良く分からない事になるのも、事実ではある。

 事実ではあるんだけど……、お父さん、話が長いって、あなたもですよ。

 いや、話題が豊富で、話が面白いのは認めるけどね。でも、長いよ。どんどん脱線して、話が終わらないのが、いつもの事でしょ?

 似た者親子って事でしょうかね。

 あーあ。どうして困ったところばかり、似ちゃうんだろう。

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 多くの女性には、若い頃には、父親の事が疎ましくなる時期、というものがあると聞く。実際、私も若かった頃、ひと時、父の事を鬱陶しく思った事がある。

 多分、父と自分がとても似ているからだろう。

 ふたりとも、内弁慶だし、よく分からない理由ですぐに拗ねるし、頑固だし、その癖すぐに気分が変わるし、感情の起伏は激しいし、話は長いし、朝はいつまでも起きないし、自分が遊びたい時だけ子供たちと遊んで、自分が疲れたら、勝手に切り上げるような、自分勝手なところがあるし……。

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「お母さん、どうしてお父さんと結婚しようと思ったの?」

 いつものように、父が機嫌を損ねて、席を立ってしまったある日、ふと、母に聞いてみた。

「うーん、そうね。退屈しなそうだったから」

「た、退屈しなそうだったから? ……まあ、確かに」

 ……忘れていた。私の母という人は、人生において、何事もチャレンジャーなのであった。

「あとね、四つ葉のクローバーを見つけるのが、とにかく得意でね」

「ああ、確かに。……でも、それ、結婚の理由?」

「まあ、ああいう人だから、退屈はしないんだけど、振り回されちゃうし、一生一緒にいるのはしんどいかも、と思う瞬間は、無かった訳じゃないわよ。でも、そんな時、何故か必ず、その辺の草むらから、四つ葉のクローバーを幾つも見つけて、私にくれるのよ。それで、ごまかされちゃったのかもしれないわね」

 ごまかされたという言葉とは裏腹に、母は幸せそうな顔をしていた。

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 幼い頃から、不思議だったのだけど、父は四つ葉のクローバーを見つけるのが、本当に得意だ。

 その辺の公園でもどこでも、クローバーがあるところだったら、ほんの数分で、四つ葉を見つけて、得意げに渡してくれる。同じ草むらを探しても、私には絶対に見つけられないのに。

 四つ葉のクローバーを手渡してくれる時の、得意気な、子供みたいな笑顔は、子どもの頃に一緒に遊んだ時に見た笑顔と、今も変わらない。遊び方は乱暴だったけれど、子供たちは、父と遊ぶのが本当に大好きだった。

 そして、その笑顔は、時々写真で見かける、私自身の笑顔に似ている。撮られている事に気づいていない時の、不格好で楽しそうな笑顔に。

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 四十代も後半になってくると、段々、自分自身の欠点とも、折り合いをつけられるようになってくる。

 人間の性格は、表裏一体だ。美点は裏返せば欠点となる。逆もまた然り。

 自分の欠点と折り合いをつけられるようになってきたら、若い時よりも、父に歩み寄れるようになってきたかもしれない。

 父も私も、良くも悪くも、感受性が強い。感情の起伏も激しい。些細な事で傷つきやすいし、大切な人を振り回してしまう。

 でも、愛情深く、根拠なくポジティブだ。幸せを感じたら幸せだと喜びたい。大好きなものは大好きだと言いたい。

 話が長い、と、呆れる人も居るかもしれない。それでも。

 子供みたいな笑顔で、幸せな時は幸せだと、大好きなものは大好きだと、何度でも言いながら生きていきたい。

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 今でも父は、散歩の度に、四つ葉のクローバーを見つけてくる。

 その特技だけは遺伝しなかったのが残念だけど、私は、自分が四つ葉のクローバーの申し子だと、勝手に信じている。いや、だって、母が父と結婚した理由のひとつが、四つ葉のクローバーなんだもんなあ。

 毎日の中で、小さな幸せを見つける事を、得意技にして生きていこう。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。