夢をあきらめない
高校三年生の時のクラスは、ひとことで言うと熱かった。
私は人から「熱い人ですね」と、言われる事がある。だけど、あのクラスの中では、ドライな方かもしれない。熱いと言われる私でも、あのクラスの熱さには、ついていけずに、ぽかんとしていて、少し浮いていた。
とにかく、担任の先生が、とても熱い人だった。
歴史の先生で、自分の研究にも情熱的で、その情熱をどうにか生徒たちに受け取ってもらおうと、前のめりで授業をしていた。前のめりでホームルームも行っていた。
先生にとって、私達のクラスが、定年退職前の最後の担任のクラスだった。きっと、手渡せる全てのものを、私達に手渡そうとしてくれていたのだろう。先生が、どれだけ私達に愛情と思い入れを持って接してくれていたのか、当時はあまり理解出来ていなかったけれど。
同級生は同級生で、みんな熱い人達だった。
個性はそれぞれ、ばらばらだったけれど、みんな、素直でまっすぐな人達だった。十代らしい反抗心で、前のめりな先生に、真正面から反抗している人も多かった。だけど、十代らしい柔軟さで、先生の前のめりを、真正面から受け止めていた。みんな、先生の事を、十代らしく少し嫌いで、そして、大好きだったのだ。
学校行事の際には、いつも当然のように大騒ぎになっていた。文化祭にしても、合唱コンクールにしても、同級生は、全員が一丸となって、前のめりに、真剣に、取り組んでいたから。
誰かが少し、醒めた感じの事を言ったり、マイペースな行動を取ったりすると、誰かが必ずこう言って、行事に真剣に向き合うように促していた。
「来年から、こんな風に、クラスで何かする事なんて無いんだよ!」
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私は、正直に言って、四十代半ばを過ぎた今でも、ものすごく協調性がある、という方ではない。集団行動は苦手だ。それでも、この年齢になれば、ある程度の協調性を身に着けて、集団行動なんて、何でもないような振りをしている。
だけど、十代の私は、本当に、どれだけマイペースだった事か……。
同級生のみんな、文化祭の出し物にも、合唱コンクールにも、みんなほどの情熱を注げなくて、ごめんなさい。部活動ばかりに夢中になって、クラスの行事には、どちらかというと非協力的で、みんなには怒られたよね。ほんと、ごめんね。
でも、同級生達ほどではないけれど、私もそれなりに熱い人間だ。
高校三年生の時のクラスは、少しだけ苦手で、でも、大好きだった。
親友は別のクラスに居た。情熱を注いでいたのは、クラスの行事ではなく部活動だった。今でも付き合いがあるような友人は、ひとりもいない。クラスの仲良しグループには、どこにも属していなかった。
そんなマイペースな私を、それでも適度な距離間で、ゆるく認めてくれていた、あのクラスは、とても居心地が良かった。
あの、熱い担任の先生と、熱い同級生達が、今でも大好きだ。
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高校三年生の当時、岡村孝子さんの歌は、とても流行っていた。同級生はみんな好きだった。
でも、私は流行に疎かった。校内の合唱コンクールの曲を決めるホームルームで、岡村孝子さんの曲が幾つか上がった時、どの曲も全く知らなかった。全く知らないので、どの曲になっても異存は無かった。
クラスメイトの熱い議論をぼんやり聞いて、最終的に「夢をあきらめないで」が、我々のクラスの課題曲になった時も、ふうん、どんな曲なんだろう、と、ぼんやり思っているだけだった。
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ふうん、と、醒めた気持ちで、ぼんやり聴いた歌が、その後の人生において、こんなに大切な歌になるとは、思いもよらなかった。
「夢をあきらめないで」
輝く未来へ向けて、それぞれの道を進む、大切な人へ贈る歌。
あれから三十年が過ぎた今でも、あの歌を聴くと、一瞬で高校生に戻る。
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前のめりに熱い先生が、どれだけ素敵な先生なのかを、きちんと知ったのは、高校を卒業してからだった。
卒業してからも、何年もの間、クラス通信を作って、全員に送ってきてくれる先生と言うのは、そうそう居ないのではないかと思う。年に数度発行されるクラス通信は、卒業してから、十年近くは続いただろうか。
先生に手紙を送ると、それがクラス通信に掲載される、というスタイルが確立されると、沢山の同級生が、先生に手紙を送った。
私は卒業後もマイペースで、集団行動が苦手だったから、先生には年賀状を送るだけで、手紙を書く事は無かった。それでも、クラス通信が送られてくるのを、楽しみにしていた。
同級生が、どのように過ごしているのか、どんな風に頑張っているのか。
それぞれの道をどんな風に歩いているのか。
それが伝わってくると、自分も頑張ろうという気持ちになったから。
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四十歳を過ぎた頃、同窓会のお知らせがあった。
時候の挨拶と、開催の案内文、日時と場所と会費と、参加不参加の回答期限、それらを記した事務的な文章の案内状の他に、もう一通、ざっくばらんで砕けた感じの手紙が届いた。
「先生のご要望があります。合唱コンクールで歌った、岡村孝子さんの『夢をあきらめないで』を、みんなに歌って欲しいそうです。賛同して頂ける方は、会の終了後、少し残って下さい。是非、先生を囲んで歌いましょう!」
全くもう、相変わらず熱いなあ! 先生も! 同級生も!
十代だったら、恥ずかしいなあ、と、思ってしまっただろう。二十代や三十代の頃も、あ、熱い……、と、苦笑いするだけで終わったかもしれない。
四十代になると、全くもう! と、笑いながら、是非歌っちゃおう! なんて、張り切ってしまうものだ。クラスの中では、ドライな方かもしれない私でも。まあ、あのクラスの中ではドライな方、と言うだけで、充分熱いのかもしれないけれど。
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同級生と久しぶりに会ってみると、高校を卒業して二十年やそこらでは、人は変わらないという事が良く分かった。面影が無い人は誰もいない。基本的には、皆、高校生の頃と殆ど変わらない。もちろん、皆、年齢なりに大人にはなっている。それでも。
だけど、先生の変わらなさには、驚かされてしまった。髪が白くなっただけ。あとは本当に、何も変わらない。お元気そうで、お顔の色も艶々としていて。
何人かの同級生から「はこべちゃん、全然変わらないね」と、声を掛けられた。当たり前だけど、そんな筈は無い。でも、先生が変わっていないように、同級生が変わっていないように、もしかしたら、私も変わっていないのかもしれない。マイペースだけど、それなりに熱くて。
「皆さん、お元気でしたか。私も元気です。八十歳を過ぎましたが、今でも研究を続けております。最近はですね……」
先生は、相変わらず、前のめりに近況と研究について語った。相変わらず、熱い。懐かしさが押し寄せて、同級生は皆、同じ顔で微笑んでいる。
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「それでは、皆さん、もう少し先生に近づいて下さい。先生を囲むように。そうそう。はい、これが歌詞カードです。1枚取って、隣の人に回して下さいね」
うちのクラスは、歌いましょう、と言ったら、本当に歌う。
気恥ずかしそうにしている人も、勿論いるけれど、そんな人も回ってきた歌詞カードを受け取って、次の人に回していく。気恥ずかしそうにしている人も含めて、みんな笑顔だ。
私も自分が笑顔になっているのが分かった。回ってきた歌詞カードを一枚取って、次の人に回した。
卒業後に届いたクラス通信に、先生は時折、この「夢をあきらめないで」という歌について、書いている事があった。先生にとっても、懐かしく、思い入れの深い曲だそうだ。
実は、私達がこの歌を歌う事で、先生は、他の先生から責められていたらしい、という事は、卒業してから、風の噂で知った。合唱コンクールで流行歌を歌うなんて、何事か、と、職員室で議論になったらしい。
でも、先生は、「私は、生徒達の意思を尊重します。彼女達がこれを歌いたいと決めたのですから、それを支持します」と、私達を庇ってくれたらしい。そんな事、在学中は全く知らなかったけれど。
大切な歌を、みんな笑顔で歌った。先生も笑顔で聴いていた。
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あの同窓会からも、だいぶ時間が過ぎてしまった。同窓会の直後には、何人かと連絡先を交換したけれど、私自身も引っ越しをしたり、相手の電話番号がいつの間にか変わっていたり、付き合いは途切れてしまっている。
それでも、この先、また集まる事があったとしても、あるいは、一度も会えずにいたとしても、それぞれの道の先で、熱い心の持ち主たちが、頑張って生きている事を、知っているし、信じている。
熱い先生の教え子たちだから、きっといつまでも熱く。前のめりに、夢をあきらめない先生の教え子たちだから、きっと幾つになっても、それぞれの道の先で、夢を胸に抱いて。
人からは「熱い人ですね」と、言われる事がある。だけど、あのクラスの中では、ドライな方かもしれない私だ。
それでも、私も私の道の先で、夢をあきらめない。
先生と、同級生と、歌で約束をしたから。
2021年3月26日 追記
岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」を歌わせて頂きました。
音楽コラボアプリ nana に投稿しています。
https://nana-music.com/sounds/05e6d8d5
コーラスアレンジは、合唱曲風にしてみました。
残念ながら、高校時代の合唱のパートを覚えておらず、自分アレンジになってしまっているのですが、気持ちは載せています。
ピアノは、mayuさんの演奏をお借り致しました。ありがとうございます。
岡村孝子「夢をあきらめないで」
作詞・作曲:岡村孝子
原曲歌唱:岡村孝子
ピアノ:mayu
https://nana-music.com/sounds/012282c9
歌唱・コーラス・写真:清水はこべ(箱)
お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。