仕事を辞めて一年半ニートしてみた④
地元に帰ってきてからは最初、外に出るのも怖くなってしまっていてとにかく文字通り顔が死んでいたらしい。
親が言ってくれた。
ひたすら寝て起きての繰り返しでとにかくぼーっとした。
仕事を辞める手続きなどは恥ずかしい話だが上司と話すと過呼吸が出てしまうので親がしてくれた。
「もう何もないから大丈夫やで」
何回も何回も親が言ってくれた。
何日も涙が止まらなかったり急に過呼吸になった時も毎回「大丈夫」と隣にいてくれた。
母は強しとはよく言ったものだなぁと実感。
地元の心療内科に通うようになり、徐々に外に出れるようになった。
ここはあの土地とは違うと認識するまで少しかかった。
地元の友達と遊んだ。
とても久しぶりで人の暖かさを思い知った。
誰も責める人は居なくて友達に恵まれたなぁと思った。
「ゆっくりゆっくり休んだらいいよ」
何回もその言葉に救われた。
前の仕事の夢を未だに見ることがある。
最初は悪夢だった。ひたすら怒鳴られる夢をみて起きて泣いて過呼吸を起こしていた。
でも今は見ても泣かないし怒られる夢ではなくなった。
3年間できなかったことをしようと思った。
墓参りさえ行けなかった3年間。
有給なんてないし健康診断すらない会社。
休みは月4あればいいほう。
働く時間は朝から夜中まで。決まっていない。
そのくせ低賃金で最初の三ヶ月は八万円しか貰えなかった。
貯金を崩して生活していた。
その後13万ほど貰えるようになったが一人暮らしではなかなかキツかった。
そのくせ上司は高い車に乗り高いご飯を食べ現場にも来ず旅行に行きまくっていた。
今考えても腹がたつ。
一度胃を壊して胃カメラまで飲んだ。
親がすっ飛んできてくれた。
元々胃腸は弱いのだが、あの時はずっと痛くて歩けなくなってしまったのだ。
結果は精神的胃炎
あの時に辞めていたらよかった。
今考えると腹がたつ事しかないので話が逸れて言ってしまうが
人を大切にすることは大事だなと思った。
友達に恵まれて親に恵まれて帰る場所がある自分は本当に感謝しなければと思った。
3年間できなかったことをしようと思ったことは今もまだ続いている。
些細なことから旅行やライブまで。
この一年半でものすごく充実した生活をできたと思っている。
それは家族と友達がいたからで、一人ぼっちだったら何もできずあのまま死んでいたかもしれない。
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