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文学脳

どうも、こんにちは、Simamuuです

恒例の挨拶を崩したくなるほど今の脳みそは文学脳になっている。ここ最近本を2冊読んだのが原因である。どちらも不幸な女の子の話だった。たまらなく面白かったので書評はいつか書きたい。

最近の振り返りをしたい。

とりあえず、今日は気づいたら赤羽駅すぐ近くの書店的なところの地下のアダルトコーナーにいた。自分でも驚いた。こんなにもアダルトコーナーってすごいのかと。だって、作品数半端ないし、知らない可愛い女優に囲まれると何をして良いのか本当にわからなくなった。

事の顛末を話すと本当は今日のうちに群馬に帰る予定だったが妹と母が実家でインフルエンザに罹患したので実家に戻ってサッカーのコーチをしにいくのを諦めた。とにかくインフルにはかかりたくなかった。コーチにも行けない事情を話した。珍しく人は足りてるらしい。とりあえず来週が休めないので今週は休むのが懸命だと思う。

ということで、週に一回は入ることにしているサウナに向かった。赤羽にもいくつかサウナがあり、その一つであるところに行った。いつもは群馬か所沢で済ますのだが、どうにも群馬には帰れないし所沢だと値段が高い。90分で1200円。どう思うだろうか。とりあえず所沢と比べると安いので赤羽のところに徒歩で行ってみた。これがとてもよく文句なしだった。授業の調査もここでしようかと思う。

帰り道、特にすることもないので駅を経由して家に戻った。途中高崎にある万代書店のような店に吸い込まれていたのでアイドルのグッズを見ていた。ここで持ってるアイドルグッズを全部売ろうかと思うレベルだった。そういえば高校生の時から続けているアイドルオタクは就活の忙しさの中でいつの間にか存在が消えていたのでやめようと思った。引っ越しもするし、推しも卒業したし、頃合いだと思った。そろそろリアルな出会いを求めねばと自分では思っている。ただ必要性はないとも思っている。出会いを求めて行動するのは自分にはハードルが高い。

アイドルグッズの横にアダルトグッズがなんとなく並べていたのでそれを見ていた。見ていたらその下に続く階段があった。降りてみたらめちゃくちゃたくさんAVのパッケージがあった。自分でもびっくりした。そういえば成人してから入ってみたかった蔦屋の18禁コーナーにはまともに入ったことがなかった。18禁コーナーというのは面白い。ドンキでも進んで入る。ただ、今回の量と質には驚かされるばかりであった。

というのが事の顛末であるが、そのまま何もなかったかのような顔でマックとスーパーに寄って家に帰った。なんとなく買ったTENGA eggがカバンには入っている。

今日話したかったのはアダルトコーナーにいたということもそうだが、出会いを作れないという問題である。大学にはつまらない奴しかいない。早稲田なのにだ。どいつもこいつも普通すぎる。背負っている不幸が自分と並ぶ学生に出会ったことがない。多分いるのだろうけど彼らもまた自分と同じく出会いに恵まれていないのであろう。

不幸にも種類がある。自分が抱えているのは病気という不幸である。考えられる不幸として以下のものがあると思う。金がない不幸。親がいない不幸。家族が欠損している不幸。恋人が問題を抱えている不幸。友人が問題を抱えている不幸。仕事が辛い不幸。以上に挙げた不幸の種類はなんだか優しい不幸な気さえする。今の自分には不幸度合いが見合った友人が少ない。

自分は金銭面はかなり恵まれていると思う。家も親の名義で借りているし仕送りもある。学費も出したことないし奨学金ももらっていない。実家に帰ればタダで掃除、風呂、洗濯、食事がついてくるし、コーチをするのにかかるガソリン代を請求されたこともない。それでもそこらへんの人よりも自分は不幸だと思う。

20歳の時に医療保護室に入れられて2度の入院をして症状がどこか落ち着いて以来、なんだか毎日が苦しい。双極性障害というのは治らない病気であるという。今の状態が小康状態であるのもわかっているし、服薬も再発防止のものであるのもわかっている。それでも毎日苦しい。言語化できないこの苦しみはnoteにでも落としておくしかない。

別に毎日めちゃくちゃ死にたいかと聞かれればそこまで死にたくない。ただ漠然と明日も生きなきゃ行けないのかという絶望とともに布団に入り、朝今日もあるのかという絶望とともに起きる。そういう日々を過ごしている。どちらかといえば毎日死にたいのかしれない。

生きることに責任があるのだとしたら何が根拠になるのだろうか。家族が愛してくれているから?友人がたくさんいるから?好きな人がいるから?どれもなんだかそれを説明するには違うような気が最近はしていて、結局自分はなんのために生きれば良いのかわからなくなることがある。

こないだ読んだ小説に「自分のために生き続けるのって限界がある」という指摘があった。確かにそうだ。20歳になるまでの自分はまさしくそうだったと言える。色んな歯車が壊れたことで誰かのために生きることが必要になったのかもしれない。

話がめちゃめちゃそれたがこういうことを考えてしまうくらい今の私は文学脳なのだ。哲学脳という方が正しいかもしれない。

そういえば、さらっと2000字書くことのできる人間に2万字以上で卒論を書けというのはいささか無理があると思う。内容が全部書き切る前にすでに所定の2万字という文字数はクリアしてしまっている。卒論どうしよっかなーーーーー。

書くことに抵抗がない。ていうより昔から考えることに抵抗がない。むしろずっと考えている。最近は寝る前などはぼーっとするためにTikTokをずっと見ているのだと思う。ついでに言うとyoutubeは見たいものは見尽くした気がしていて最近見るものが本当にない。SNSに思考を奪われるのは私にとっては自慰行為に近い。

めちゃくちゃ書いたと思う。

読んでくれた人ありがとうございます。

それでは。

またね。


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