Krumizawa

愛のある毎日を!

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ぼくのせかい

ぼくはおとうさんとおかあさんのこどもだ。 ぼくはおかあさんからうまれた。 ぼくがうまれたとき、ぼくのいえにはおとうさんとおかあさんしかいなかった。 ぼくのせかいは、おとうさん、おかあさん、そしてぼく。3にんだけだった。 ぼくは、とてもかわいがられた。ぼくはおとうさんとおかあさんをひとりじめできた。  ぼくが2さいのとき、おとうとがうまれた。 おとうとがうまれて、ぼくはおとうさんとおかあさんをひとりじめはできなくなった。 たまに、おとうととけんかした。  5さいのとき、いも

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    • 長いものにはまかれたほうがいい?

      たとえば、ぼくが道を歩いていたとする。 前からぼくより大きい人がこっちに向かって歩いてくる。 すれ違いざまに、その人がいきなり「カネをだせ」と、ぼくを脅してきた。 どうしよう。 そのとき、いくつかの選択肢が頭に浮かぶ。 1、きびすを返してダッシュして逃げる。 2、「いやです」と言って相手の出方を待つ。 3、「なんで?」と質問し、相手の出方を待つ。 4、「勘弁してください」と言い、相手の出方を待つ。 5、「命だけは助けてください」と言い、財布を差し出す。 た

      • 俺は強い人間なのか

         いわゆる「つるむ」のが好きじゃない。  どうしてそうなったのか自問してみる。  「ヒトは群れで行動することで今まで絶滅することなく生き抜いてきた」的なことをえらい学者様方はおっしゃるが、たぶんこれは当たらずとも遠からずで、現在の人類の繁栄を見ると、そうなんだろうと思う。であるとしたら、俺の「団体行動が苦手」という性質は、婉曲的に言えば絶滅に繋がるのだと思う。  それはさておき、「一人でいることが好き」ともいえる俺。できればあまり人と関わりたくないと思う。人は誰かに支え

        • つながり

           なんとなくだけど、印象として、幼少期や思春期の体験ってその後の人生に大きな影響を与えているんじゃないかって思ってる。たとえば、有名なシンガーソングライターとかは、大好きだった家族や友達が、思いがけず早くに亡くなってしまったときの衝撃とかを歌にしたりしている。それとか、思春期の大人社会に対するやり場のない怒りとか反抗心とかも創作の原動力だったりする。多くの評論家の方々が語り尽くしているようなことかもしれないけど、改めてなんとなくだけど考えたりして気付いたりするのって、不謹慎な

        ぼくのせかい

          sukima

          ぼくは隙間に嵌まってる。 何も考えずに隙間に嵌まってる。 隙間は案外快適だ。 隙間は案外目立たない。 隙間は案外誰とも話さなくてもいい。 隙間は案外誰とも目を合わせなくてもいい。 隙間は案外何も聞こえない。 隙間は案外誰も気にしない。 でも、たまにだけど隙間風とかはたまに気付く。 一見完璧な部屋に少しでも隙間があると、ん?って思ったりもする。 そんな隙間が意外と好きだ。

          「こうすればいいのに」

           みなさんは、毎日湯水のごとく流れるニュースを見て、「こうすればいいのに」って思ったことありませんか?  例えば、交通事故とか。何故無くならないんだろうって思いませんか?例えば「人が歩くところ」と「車が走るところ」を完全に分けたらいいのにって思ったりしませんか?役所とかに問い合わせたりすると「そんな予算ないよ」とあしらわれるんですが、そもそもなんのための政治ですかね。私たち市民がよりよく生活できるように、あれこれと考えてくださり、実施してくださるのが本来の政治の目的ですよね

          「こうすればいいのに」

          このトンネルの先にあるものは

           今私たちは、出口の見えない真っ暗闇のトンネルの中を何の考えもなしにさまよっているような状態であるように思えてならない。「金持ちがさらに金持ちに、貧乏人がさらに貧乏に」なるシステム。いわゆるブラック企業と言われる、労働基準法で規定されている労働時間を普通に遵守すらできていない企業が多くを占め、労働者はいつのまにか酷使され、使い捨てにされている、まさに「国民総奴隷化システム」が構築されている。一方で、たとえ法を犯したとしても、その者がいわゆる「上級国民」の部類に属してさえいれば

          このトンネルの先にあるものは

          とりあえずやってみる

          「だめもと」とは、誰でも知っているように「だめでもともと」の省略されたものである。この言葉の深層部には、「やっても無駄かも知れませんが、やってみます」という周囲の人たちの同情を自動的に買いつつ、自らの欲求を満たそうとするニュアンスが含まれていると考える。この言葉を口にしたものは、たとえ自らの行動が失敗しても、周囲の人たちからのひんしゅくを最小限度に留めることができる。お得感のある言葉である。「やったもんがち」を横行させる危険性もはらんでいる。が、私はこの言葉を世間がいや政府が

          とりあえずやってみる

          おもいつき

          免許取り立てのころは、いい車に乗りたいって思ってた。 先輩は「いつかはクラ○ン」とか言ってましたが、それもいいなとも思ってた。いいもの=高いものとかブランドものとかいう変な方程式が、若い時分には成り立っていた。 いい服を着たい いい人とデートしたい いい家に住みたい とかも。 でも、それなりに長く生きていくに連れ、それなりに経験値も増えてきて、何となく次第にいろいろな欲が無くなってきている。 いい車より、自分が好きな車。 いい服より、自分がかっこいいと思う服、

          おもいつき

          YUGAMI

           緊急事態宣言とか、まんぼうとか、3密とか、変な「縛り」が多くてつらい。ダメ人間になる、いやもうなっとる。 「縛り」をいいわけにして「しょうがねー」と本音に嘘をついて生きてると、だんだん顔が引きつってくる。 で、自問する。お前の本音って何よ?  そうやな、前は何ものにも縛られない自由みたいなものがあった。どこ行くにも多少の勇気とカネがあればだいたい叶ってた。プチやけどな。  旅が好きだったんだ。思い立ったときに愛車に乗って、疲れてきたら車中泊してさ。いろんなとこ行った

          じぎゃく

          外出してはならない 人と会ってはならない 買い物してはならない お上の要請を守らなければならない だから外出しない だから人と会わない だから買い物もしない お上の言うことには従わなければならない みんなも同じだと思ってる。 お上は、正しい お上は、私たちを守ってくれる お上を信じなさい ・・・愛のある日々を。

          じぎゃく

          ひげの方向性

           4月から髭を生やし始めた。これまで勤務してきた職場から一定期間離れることになり他者からの干渉を受けないため、気楽な気持ちで始めた。約3ヶ月が経ち、大分伸びた。場所によるが、あごの下の髭は約5cmほどまで伸びた。外出時にマスクをしているので、どうしても「マスク癖(ぐせ)」が付いてしまいまっすぐには伸びず、丸まっている。  髭を伸ばし始めてから気が付いたことのひとつは、髭にも髪の毛と同じように生える方向があるということだ。私の場合は左から右に向かって生える傾向にあるようだ。

          ひげの方向性

          自分

          自分だけを信じてここまで生きてきたと思ってた。 だけど、この年でやっとわかった。 自分っていうやつは、自分一人では成立しない。 人という漢字が示すように、人は一人では生きて行けない。 誰かと支え合いながら生きている。 分かってるつもりだったけど、当たり前すぎて忘れてた気がする。 自分は、生まれてからこれまでに多くの人たちに支えられてきた。 その自覚をいつまでも忘れないでいたい。 だから今、言いたい、ありがとう。 そしてこれからもよろしく。 愛にまみれた日常

          Change your mindset 'Why to How'

          新しい生活が始まった。 これまでとは違う環境 閉鎖的集団生活。 知らない奴らばかり。 向こうもそう思ってる。 「あいつは何者?」 マウントの取り合い。 うんざりする。 敬語の応酬 うんざり。 仲良くなりたいのに、うまくいかない。 あぁ、思い返すといつものパターン。 なんで?なんで?なんで Why? そんな気持ちだれにでもある、はず。 そう考えるのは当たり前。 だって、俺は俺だから。 部屋から見える高速道路 ぼーっと見てたら血管に見えた。

          Change your mindset 'Why to How'

          悟り

          ぼくは悟った。 世の中の仕組みを理解した。 自然淘汰 強いモノが生き延び、弱いモノは滅びる。 だだそれだけ。 とてもシンプル。 変に難しく考えたくなるのが人間。 生きる意味とか、存在意義とか、生命とは何かとか、幸せとは何か、とか。。。 だから、今よりもっとシンプルに生きたい。 自分は自分、他人は他人。 世の中の仕組みや価値観は、その時代時代で変わる。 つまり、どれだけ「あぁ、楽しいな」と思える、感じられる人生を送るか、なのだと思う。 独りよがりの勝手な

          「キャンプめし」は何故うまいか

          コロナ禍は未だ収まるところを知らない。 ステイホームという標語も定着した観がある。 「ちょっと外出しようかな」、という気分が戦後最大級に落ち込んでいる様相。 キャンプもなおさらである。 今日の昼飯はレトルトカレーだった。 普通にうまかった。 が、思い出してみてほしい! そんな普通のカレーさえ、キャンプで食べると激ウマになることを! 上記を「アウトドア補正」と筆者は定義する。 キャンプをするためには、それなりの準備を整えなければならない。 まず、キャンプ場の

          「キャンプめし」は何故うまいか