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おもいつき

免許取り立てのころは、いい車に乗りたいって思ってた。

先輩は「いつかはクラ○ン」とか言ってましたが、それもいいなとも思ってた。いいもの=高いものとかブランドものとかいう変な方程式が、若い時分には成り立っていた。

いい服を着たい

いい人とデートしたい

いい家に住みたい

とかも。

でも、それなりに長く生きていくに連れ、それなりに経験値も増えてきて、何となく次第にいろいろな欲が無くなってきている。

いい車より、自分が好きな車。

いい服より、自分がかっこいいと思う服、着たいと思う服がいいんじゃない。安ければ尚良い

いい人ってモデル美人?じゃなくてもいいんじゃない?多少の未練はあるが。自分のことを好いてくれる人、素の自分が出せる人ならいいんじゃない?。

いい家。○○ハウスとか鉄筋とか、新築とかなわけ? まあ、こだわるのもいいけど、それが決してベストとは限らないんじゃない?中古でも古民家とかでも気に入ればいいんじゃない。何十年もローンを組むの、何かおかしくない?

いい車、いい服、いい人、いい家、どうでもいいや、もう。

諦念とは違う、と思いたいが、どうだろう?

改めて思う。

自分の幸せって何やろ?人のために何かすることなんかな?

人のためだったら、どんな苦痛さえも耐えられるんやろか?ストレス溜まらへん?

究極は、自分が楽しいと思えることを洗い出し、それに没頭できる環境ならいいんじゃないかとも思うが、それはぼっちの考えやな。独りよがりの世間知らずのぼっちのたわごとやな。

ただ、わいは誰も悲しませたくないんや。誰にも迷惑をかけたくないんや。

静かに暮らしたいだけなんや。ほっといてけろ。いや、そっとしといてください。

・・・やっぱ愛情指数、下がっとるかも知らんな。

どこかで注入せんとあかんな。

ほな、失礼します。



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