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Pufumeの『謎解き 秘密の至宝さん』に出てきた昔の抹茶

油滴天目茶碗の回、おもしろかった。茶器の特集は器そのものについてで終わるから、その器を使って飲んでいたお茶の話が出てきてうれしかった。時代劇や再現VTRで見るお茶は、今の抹茶、煎茶が使われててホントかな?と思ってたし。

この回は、国宝の油滴天目茶碗がメイン。実物を見るとまた違うのかな。迫り来る何かがあるとか。見られる展示があったらもっと見に行かないとだ。

油滴天目 茶碗(大阪市立東洋陶磁美術館(住友グループ寄贈/安宅コレクション)
写真:西川茂 NISHIKAWA Shigeru)
http://jmapps.ne.jp/mocoor/det.html?data_id=25

番組のナレーションも引用しておく。

宗の時代、今のように茶碗に抹茶を入れ、お湯を注いでかき回す飲み方が定着します。

画面に出ていたのは番組が用意したのだろうけど、昔の中国人が黒い抹茶碗の中の緑の液体を匙でかき回しているイラスト。昔のお茶は緑じゃないのでは?と思うのだけど、だったら何色なの?とずっと気になっていた。

ここから茶の湯の文化が花開いていき、油滴天目茶碗の人気も高まったのです。

“茶の湯”が中国から来た言葉のような言い方だった気がする。確かに龍団茶も芸術品の域だし、喫茶が文化として確立されていたのだろうなとは思うけど、”茶の湯”は日本独自の単語で文化だと思う。茶の湯=抹茶はこの後中国で廃れてしまうし。たまにテレビを真剣に観ると細部が気になるな。

当時のお茶についても出てきた。宗の喫茶を見てきた栄西が書いた『喫茶養生記』、それと彼が留学した南宋の前の北宋の徽宗皇帝が書いた『大観茶論』にも抹茶らしい描写がある。

瓶に入れ密閉して保存する
匙に二、三杯程度を使用する
筅を振って点てる

こんな感じ。これは一応知ってる。確かに抹茶を彷彿させる内容なのだけど、液体の色は緑ではなさそうだと思ってた。

毎日緑茶を飲むようになって、お茶は言うほど緑ではないと感じるようになった。美しい緑のお茶とされるお茶ができたは江戸時代中期のこと。たぶん庶民の間で飲まれてたらしい赤黒いお茶の上に茶筅でできた泡が浮いている液体ではないかと思ってた。泡は白っぽい。

で、茶人の木村宗慎さんが登場。彼は文献を研究して、天目茶碗で飲まれていたものに近いお茶を模索してくれたらしい。碗の中に入れていたのは、現代の中国のお茶だそうで、白に近いグレーの粉末茶だった。黒い粒々がない蕎麦粉みたいな感じ。

点て方は現代の抹茶と同じだかな。ふんわりした泡がきれいで、おいしそうだった。色は薄いベージュ。きなこを泡立てたらこんな色になりそう。

木村さん曰く『大観茶論』に以下の文があるらしい。

碾茶の色は、白をもって最上として真の格

その白を引き立て、より美しく見せることが天目茶碗が黒い色をしている理由なのか。なるほど。日本の大名たちが狂喜乱舞した高価な茶碗には黒以外もあると思うけどどうなんだろう。

あと、番組の中でパフュームに出されたクイズが気になった。

宗の時代、お茶で大切だったのは「味」の他何であったか

私は覚醒かと思ったのだけど、正解は見た目だった。

もともとお茶は、禅宗の厳しい修行を行う僧たちが眠気と戦うために飲んでいたはず。中国においても僧とお茶の役割が変わっていたのかな。

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