【短編小説】前掛け
「うぜーんだよ!」
川田八助(かわた はちすけ)は、前掛けを投げ捨てながら言った。
「こんな商売、やってられっか! 古くせーんだよ!」
八助は店を出て行こうとした。
「とっとと、出てけ! この親不孝もんが!」
父親の七造(しちぞう)も負けじと叫んだ。
親子ゲンカは今に始まったことではない。親子は前々から意見が対立し、何度となくぶつかり合ってきた。
ここは川田商店。
みりんを製造している小さな醸造所である。
現在、みりんの売り上げは完全に頭打ちとなっている。どう頑張っても、これ以上は売れない状況だ。
このままではジリ貧なので、ネット通販で販路を広げようと言った息子に対して、父親はそんな、どこの馬の骨ともわからないものに、手を出してたまるか! と、怒鳴り散らしたのである。
「今時、ネットもやってない業者なんてないんだぞ!」
と、息子は応戦したが、父親は全く聞く耳を持たなかった。
「俺の言うことが聞けねーなら出て行け!」
こうなったのである。
息子は家業を継いでくれた。みりん製造に興味を持ち、一緒にやると言ってくれた。
そこは単純にうれしかった。
だが、それとこれと話は別だ。自分の目が黒いうちは、自分が大将だ。息子のいいようにはさせん。
父、七造はそう考えていた。
息子は夢を見ている。ネットで売れば山のように売れると思い込んでいる。世の中そんなに甘くはない。販路は足で稼いでなんぼだ。
七造は自分に言い聞かせていた。
一方、息子の八助は父の古くさいやり方にうんざりしていた。
今時、ネットやSNSを使って宣伝しなければ、お客はつかない。足で稼ぐのは前時代的で、限界があると考えていた。
それでも、二人とも理解はしていた。相手のやり方も一理あると考えていた。
だが、お互いにバランス良く折り合いをつけることができなかった。どうしても、自分の意見ばかりを主張するあまり、相手の意見を否定してしまうのだ。
親子は悩んでいた。
「まあまあ、またケンカですか?」
騒ぎを聞きつけ、奥の部屋から母親の真紀子(まきこ)が出てきた。
「ふんっ、青二才が。知ったような口を聞くからだ」
「まあまあ、老いては子に従えですよ、お父さん」
「それに、あいつ、店の前掛けを投げ捨てやがった。前掛けっていうのはなあ」
「命なんでしょ? 前掛けは店の命。もう千回以上聞いてますよ」
「そうだ。俺で7代目。1代目から脈々と受け継がれてきた前掛けだ。バトンなんだよ。次の世代に引き継ぐバトンだよ」
「はいはい、それも何度も聞いてます」
「何度でも言うぞ。川田商店にとって、俺はただの通過点に過ぎないんだよ。川田商店はもっともっと発展させるんだって、先祖の願いが前掛けに込められてるんだよ」
「ええ、ええ、わかってますよ」
「それに俺はまだ現役だ。まだまだ俺のやり方で行く」
「でも、売り上げが伸びないんでしょ? あの子はそれを心配して」
「まだ早い! みりん造りのなんたるかもわからんやつに、経営の何がわかるってんだ」
「それが古くさいっていうんですよ」
「何がだ? どこが古くさいんだ?」
「だったら、もっと売れてるはずでしょ?」
「お前もキツイこと言うね。わかってますよ。このままじゃ、値引き値引きで終わりだってことは」
川田商店のみりんは値引きしなければ売れないという現実があった。安いみりん風調味料に押され、値引き合戦に巻き込まれていた。
もっと付加価値をつければ売れるかもしれない。
だが、そんな器用なことはできない。七造は昔ながらのやり方にこだわり、昔ながらの本みりんを作ることしかできなかった。
「ここは、八助の意見を聞きましょう、お父さん。若い人の意見も取り入れていかないと」
「何を言っとる。俺はまだ現役バリバリだぞ。まだまだ負けん」
「うまくいけばいいですよ。うまくいってるんですか?」
「う・・・だがな、下手なものに手を出して、今以下の売上になっても困るだろう?」
「それは困りますけど、やってみなければわからないじゃありませんか」
「やってみて、ダメだったら取り返しがつかないってことだ!」
「まあまあ、何でこんなに臆病な人なのかしらね」
「俺は昔ながらのやり方に命をかけてるんだよ。昔からのやり方なら、間違いはないんだよ」
「時代が違いますよ、時代が」
「ふんっ、なんとでも言え。俺は俺のやり方を貫いてやる」
「ほんと、困ったものねー」
このままでは、父子の意見は平行線のままだ。一体、どうすればいいのか、母の真紀子も考えあぐねていた。
思い起こすこと、30年前。
七造が23歳、今の八助と同じ年齢の頃の話だ。
店が火事に見舞われた。朝、店に出勤してみると、もう手がつけられないほどに燃えていた。
地元の消防団は到着していたが、なすすべもなく見つめているだけだった。
ところが、七造の父、六右衛門(ろくえもん)は店に到着するなり、
「前掛けを取ってくる」
と、言い出した。
「はあ? 頭おかしいんじゃないか? 死んじまうぞ!」
慌てて七造が諭した。
「バカこくな! 前掛けはな、店の命なんだよ! 命がなくなったら、どうなると思ってんだ!」
「そんな、前掛けなんてまた作ればいいだろう!」
「そういうわけにはいかんのだ! 初代の前掛けをわしの代でなくしてはならんのだ!」
そう言って、六右衛門はバケツの水を全身にかぶると、周囲の制止も聞かず、炎の中へと飛び込んでいった。
燃えさかる炎は、さらに勢いを増していた。ゴオゴオと音を立てて、すべてのものを飲み込んでいく勢いだった。
5分ほど経って、六右衛門は1枚のの前掛けを腹に抱えて勢いよく飛び出てきた。
初代の前掛けは無事だった。
多少、黒くすすこけ、周囲が焦げてしまっていたが、何とか無事だった。
前掛けの濃い藍色も健在。川と田の文字に、流れる川と田んぼを描いた前掛け。六右衛門は命がけで守ったのだ。
だが、六右衛門は大やけどを負っていた。全身をやけどし、すぐに病院に運ばれたが、帰らぬ人となった。
近所からはマヌケ呼ばわりされた。ただの前掛けのために命を落とした大マヌケと揶揄された。
しかし、七造は違っていた。
前掛けの重みをぐっと噛みしめることとなった。
後に、火事の原因は放火であることが判明すると、六右衛門の評価は180度ガラリと変わった。
最初は火の不始末だと考えられていた。自分の不始末を、自らの命をもって始末した。笑い話の種だった。
ところが、放火となると話は別だった。
六右衛門自身では防げなかった火事から、六右衛門は命がけで店を守り通したという評価に変わった。
幸い、醸造所の方は何とか全焼はまぬがれていた。のれんと前掛けを六右衛門は守り切ったのだ。
「店の命である前掛けを守るために、自らの命を捧げた男」
として、伝説のように語り継がれるようになった。
今となっては、全く話題にも上らなくなったが、当時は近所中の話題をさらっていた。
そんな前掛けである。
文字通り、父、六右衛門が命をかけて守ってきた初代の前掛けを、七造はずっしりと重く感じていた。
現在は額に入れて飾ってある。
適当に扱えるわけがない。1代目から代々、受け継いできたものだ。これまで、200年間、受け継がれてきたものだ。
身につけている前掛けは、5年もすれば新しい物に、交換しなければならない。けれども、デザインは初代が作った頃の前掛けのデザインを踏襲していた。まさに、バトンだった。駅伝でいうところのタスキに他ならなかった。
父、六右衛門の死後、七造は苦労に苦労を重ねてきた。
まだ、みりん造りが何たるかもわからないうちに、1人で店を背負うことになったのだ。
先代のやり方を見てはいたが、見ているのと実際にやるのとでは大違いだ。
先代の味と違いがあってはならない。七造は、父、六右衛門の幻と闘ってきた。父に少しでも近づくために、亡き父の背中を追いかけて、川田商店のみりんの味を追求し続けてきた。
そして、やっと父の味になったと確信できたのは、それから10年後のことだった。
昔ながらの父のやり方、昔ながらの製法にこだわるのは、そういう理由からだった。
自分でやり遂げてきたという自負もある。誰にも相談できず、1人で思い悩み、考えてきた。その結果、今があるのだ。
ただ、時代は変わってきた。
安いみりん風調味料に押され、川田商店の昔ながらのみりんも、価格競争にさらされることとなってしまった。
わかってはいる。
時代の流れだということは、わかってはいる。
しかし、次の一手になかなか踏み切れなかった。父の背中は大きすぎたが、何とか食らいついてきた。
だが、今回はどうだ。
父の背中に答えはない。追いかけるべき目標ではない。
困り果てた、という状況なのである。
かといって、息子の意見に、はい、そうですか、とすぐに従うのも癪だと考えている。
それに、息子の新しい意見に踏み込むのが恐いのだ。
昔ながらのやり方に間違いはない。どこよりもいい本みりんを作っているという自信もある。
ただ、売れない。
近所中に宣伝しても、これといった反応がない。
当然、赤字になる。経営は火の車、さじを投げたい気分だった。
「息子の様子を見てから、息子に従おう」
実は、父、七造は本心ではそう考えていた。
息子の様子を見て、真面目にやっているようなら、息子の意見に従おうと本音では考えていた。
にもかかわらず、本人を前にすると、ついつい否定してしまう。何を言っとるんだと、ケンカになってしまう。不器用な父親なのだ。
一方、八助の方も父の苦労は知っていた。八助が会ったこともない祖父を崇めてはいるが、祖父に追いつけ追い越せと、切磋琢磨して生きてきたことを知っている。立派だと思う。
だからこそ、もっと売り上げを伸ばしてやりたいと思っているのだ。
父の作ったみりんはどこにも負けないと、八助も考えている。
もっと広く、父のみりんを知ってもらいたい。
それには手売りをしている場合ではない。時代に合った売り方があるはずだ。売り方さえ変えれば、父のみりんは必ず認めてもらえる、そう確信していた。
父にどう理解してもらえばいいか。
現代は、ネットやSNSを駆使して宣伝していかなければ、誰も見向きもしない。時代に乗らなければ埋没するだけだ。その手はずは俺が整える、そう言っているのに、父親の七造ときたら。
父の言うことを聞いてばかりでは、埒があかないので、裏で八助はすでに行動を起こすことにした。
父には気づかれないように、ホームページの作成を進め、SNSで川田商店のみりんを宣伝しようとしていた。
まだ、実際の注文にはなかなか結びついていないが、これからである。これから注文がどんどん入ってくるはずだ。そうすれば、父はびっくりするだろう。自分のことも見直すかもしれない。
八助はほくそ笑んでいた。
前掛けをはじめ、古くさいやり方はやめていけばいい、これからの時代に合ったやり方でやってやる、と意気込んでいた。
2週間ほど経った頃、全国から注文がちらほらと入り始めた。
ホームページには店の様子の写真も載せていたから、家族経営で真面目にみりんを作ってますね、という感想が寄せられた。
買ってくれたお客の中には、
「こんなに濃いみりんははじめてです!」
という絶賛の声も寄せられた。
八助は喜んだ。そして、これならいける! と確信した。
父の七造には内緒にしていた。
母の真紀子には伝えていたが、父には伝えていなかった。
そろそろ父にも伝えた方がいいかなと思ったとき、こっそり父の部屋を覗くと、珍しくパソコンを開いていた。
七造はパソコンを持っていない。スマホも持っていない。
母のノートパソコンを借りて見ていると思われた。
見ると、川田商店のホームページを見ているではないか!
八助は、
「しまった! バレた!」
と思った。これは、また怒鳴りつけられるなと覚悟した。
こうなったら、父に白状しようと思って、部屋に入ろうとすると、父の背中が震えているのに気がついた。
泣いているようだった。
よく見ると、お客さんからのレビューを見て、泣いているようだった。
よほど嬉しかったのか、声を押し殺して泣いていた。
それ以上、八助は近づけなかった。そっとしておくように、父の部屋を後にした。
八助はうれしかった。父に認めてもらえる。そう確信した。
ついでに、古くさい前掛けをやめるか、もしくはデザインを一新したいと持ちかけようと思っていた。
すると、父、七造が店に戻ってきた。
「ああ、父さん。話があるんだけど」
「何だ? 俺もある」
「父さんからいいよ」
「いや、お前からだ」
「あ、いいの? なら、前掛けをやめようと思うんだ。それか、やめないならデザインを一新したいんだ」
穏やかだった七造の顔がぴくぴくとひきつりはじめた。
「俺が考えたデザインはね、これなんだけど」
そう言うと、八助は前掛けのデザインを描いたスケッチブックを見せた。
七造はスケッチブックを見るまでもなく、投げ捨てた。
「バカタレが!」
七造はキレた。
「お前はたわけか!」
床に叩きつけられたスケッチブックを見て、八助もキレた。
「な、何すんじゃあ!」
「たわけにたわけと言って、何が悪い!」
「俺は店のことを第一に考えてだなあ!」
「バカタレ! そんなもんいらん!」
「人の気も知らないで!」
「まあまあまあ、ケンカしないの! 仲良くやっていかなきゃ!」
母、真紀子が割って入った。
いつもこのパターンである。
内心では認め合っているが、表向きは決して折り合わない、困った親子なのである。
「ほらほら、仲良くしてちょーだい!」
その後、母、真紀子までキレてしまい、父子は大人しくなった。
だが、父子はなかなかうまくいかない。
今日も店には怒号が鳴り響く。
しかし、売り上げは何とか徐々に伸びっていった。
「この、ドたわけが!」
「クソじじい!」
「前掛けっていうのはなあ!」
「もう聞き飽きた!」
「いんや! お前にはわかっとらん!」
「うるせー!」
終
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