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【短編小説】幸せを感じるために

 絶望。
 この言葉が当てはまるだろう。
 私は25年間、勤めた会社をクビになった――。

 最初は小さな波だった。
 この会社は本当に大丈夫だろうか?
 社員の中で湧き上がった小さな波。
 私は何の心配もしていなかった。
 大丈夫、会社も私も。

 押し寄せる波は早かった。
 すぐに私のところへ来て、私を飲み込んだ。

「話があるから来てくれ」

 言われたまま、私は社長室を訪れた。

「昇進だ! しかも、社長から直々に!」

 私は小躍りした。
 聞いてみれば、何のことはない。
 退職勧告だ。

「うちは今、厳しいから頼む」

 社長から直接、頭を下げられた。
 社長は尊敬できる人物だった。
 強い人だと思っていた。
 あんなに卑屈な顔を見たことはなかった。
 何も言えなかった。
 私は退職を受け入れた。
 
 そこに、25年の重みなど、微塵も感じられなかった。
 ただ、1ヵ月以内に荷物をまとめて辞めてくれと言われただけだ。
 私の25年間はあっさりと片付けられた。

 従業員50名ほどの小さな会社だった。
 私の仕事は事務職で、頻繁に外国と取引を行った。
 英語でのやりとりが主で、水産物を輸入・加工していた。
 会社には何千万もの利益をもたらしたと自負している。
 その結果がクビという始末。
 私には怒りが込み上げていた。

 このご時世、転職は厳しい。
 貿易事務なら転職も有利かと思いきや、難しいらしい。
 ハローワークには何度も訪れたが、これといった職は見つからなかった。
 私の中にふつふつと不安が湧いてきた。
 冷や汗が出てくる。
 夜も眠れなくなった。
 私は路頭に迷った。

 私は独身ではあるが、両親がいる。
 一人暮らしなので、生活に困るのは私だけだが、この歳になって両親に泣きつくのも申し訳ないし、情けない。

 絶望。
 私の頭の中を何度もかすめてはよぎる。
 働かなくては明日はない。
 しばらくは貯金を切り崩して生活できる。
 では、貯金が尽きたら?

 定期的に給料というものは入ってくるものだと信じていた。
 大きな誤算だ。
 浪費癖のある自分を呪った。
 もっと貯めておけば。

 だが、もっと貯めておいたとしても同じこと。
 貯金が尽きれば一巻の終わりである。
 ゲームオーバー。
 私は是が非でも働かなくてはならない。
 働かなくては明日をも知れぬ。
 元の仕事は大変だった。
 大変だったけれども、今思えば、幸せだったんだな~とつくづく思う。
 年齢的にも仕事を選んではいられない。
 私は何でもやる覚悟を決めた。

 
「何でもやる? あなた、そう言いましたね?」

 ハローワークにはさっさと見切りをつけて、私は民間の職業斡旋業者を頼ることにした。
 真新しいキレイなオフィスで、顔立ちの整った女性の担当者が対応してくれた。これは信頼できるかもしれない。
 私は期待した。

「は、はあ、何でもやらせていただきます」

「わかりました。では、ご紹介させていただきますね」

 担当者はすぐに受話器を取った。

「ええ、50歳男性です。ええ、あ、大丈夫ですか? あ、そうですか。ありがとうございます。では」

 担当者は受話器を置くと、開口一番、こう言った。

「たった今、採用が決まりました」

「へ? もうですか?」

 あまりにも唐突だったので、私は思わず笑みがこぼれた。

「おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます」

「回収業者ですが、よろしいですか?」

「回収? 何を回収するんですか?」 

「申し上げにくいんですが・・・」

 私は一瞬、尻込みし、イヤな予感がした。

「アゴロストです」

「はい?」

 私の声は上ずっていた。

「アゴロスト」

「アゴロスト!」

「その回収です。簡単ですね」

「アゴロストって、あのアゴロストですか?」

「ええ、まあ」

「吸い込んだら致死率80%を超えると言われる、あのアゴロスト?」

「その通りです」

「一旦、体内に入ると、アゴの骨が溶け出すという、あのアゴロスト?」

「おっしゃる通り」

「バカな!」

「大丈夫ですよ。防護服が支給されますから」

「・・・」

「ただ、ゴーグルと防塵マスクだけは、ご自身で用意して頂かないと」

 担当者は悪そうな顔をした。

「そんなことは問題じゃないんですよ」

「では、何が問題なんでしょうか?」

 担当者は真顔だった。

「よりによって、アゴロストとは・・・」

「他に選択肢はありませんよ」

「じ、時給は?」

「2千円です」

 私はすぐさま計算した。1日8時間労働として、日給1万6千円。月20日間として月32万円。

「給料は前の会社の6割ってとこか。まあ、致し方ないか」

 いやいや、何を簡単に考えている。
 相手はあのアゴロストだぞ。
 大量に吸い込んだら、まず、命はない。
 ここは、失業保険とわずかな貯金で食いつないだ方がいい。
 その後で、職を探しても遅くはない。
 そうだ、その方がいい。
 みすみす、自ら死に近づくことはない。
 私はそう決めた。



「おい、そこ! 何やってる! 死にてーのか!」

 現場監督が叫んだ。
 ダンプカーが勢いよく通り過ぎていく。

「すいません! すいません!」

 あたふたとしながら私は動いていた。

 ここは建設現場である。
 以前の建物は崩れ、廃工場となっているが、ここに大量のアゴロストが不法投棄されていたのだ。
 依頼を受けて、我々は駆けつけた。

 我々? 
 そう、私はアゴロスト回収業者に就職した。
 迷いに迷ったあげく、

「今を逃すと、次はないかもしれませんよ」

 斡旋業者の脅しに私は乗ってしまい、やむなく従った。

 土煙を上げながら、ダンプカーが何台も通り過ぎていく。
 我々は、アゴロスト回収業者として、この建設現場に入った。
 建設は待ったなしの状態だった。
 止めることはできない。
 ただ、我々は寄せ集められたアゴロストを素早く回収していけばいいらしい。

 綿のようなアゴロストを黒いビニール袋に詰め込んでいく。
 防塵マスクが外れれば命取りになる。
 全身は防護服を着ているからいいが、冬とはいえ、暑さで蒸れてきた。

「急げ! さっさと回収しろ!」

 急いでビニール袋に詰め込んでいく。
 詰め込むたびにアゴロストが舞い上がるが、構ってはいられない。
 たんぽぽの綿。
 そんな感じだ。
 それもきれいな白色ではなく、グレーがかったくすんだ色だ。

「急げ、急げ、急げ!」

 我々、下っ端連中は、殺人廃材を回収しているとは思えないほどのスピードで回収していった。
 ひたすらビニール袋に詰め込む。
 下っ端の実行部隊は5名。
 5人で40袋のアゴロストを回収した。

「よーし、次の現場だ! 行くぞ!」

 休憩する間もなく、我々は防護服を脱いでゴミ袋に入れると、車に乗り込んだ。
 一現場ごとに防護服も捨てていくらしい。
 防護服といっても、ビニール袋に毛が生えたようなものだが、息つく間もなく、次の現場へと向かった。



「よーし、ご苦労さん。今日はここまでだ」

 我々は集団で乗ってきた小型バスから降りた。
 すでに5人共、へろへろになっていた。
 本日、回った現場は6か所。
 アゴロストもどれほど吸い込んだかはわからない。
 病気になっても補償はない。
 しかし、私は後悔していなかった。
 久しぶりにこれが働いていることかと、実感できたのだ。

 いつものビールが史上最もおいしいビールに変わりつつある。
 このために働いているんだと。
 幸せを幸せと感じるために私は働いている。
 もしかしたら、死ぬことになるかも知れない。
 アゴロストは人類が生み出した最強の殺人建材なのだ。

 しかし、誰かがやらなければならない。
 私はその仕事に選ばれたのだ。
 使命感を持って臨むほかはない。

 なみなみと注がれたビールジョッキを見つめながら、そう思った。



 終
 


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