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【短編小説】農家の嫁さん

「たっだいま~」

 田畑が広がる田園風景の中に、元気よく虎太郎が帰ってきた。
 吉岡虎太郎(よしおか こたろう)、32歳。いつもは一人で田舎の実家に帰宅するのだが、今回は違っていた。将来の嫁さんを連れて帰って来たのだ。

 嫁さんと言っても、都会で共働きになるから、パートナーと言った方がいいかもしれない。田舎の両親に合わせて、パートナーのことを「嫁さん」と呼んでいるのである。

 将来の嫁さん、すなわち、婚約者の名前は岡重早苗(おかしげ さなえ)さん、28歳。

 早苗は、吉岡から4つ下の気立てのいい女性だった。よく気がつき、他人のことを思いやれる人だった。

 ついこの間もスーパーで財布を落としたというご婦人がいたので、1時間も一緒に付き合って探してあげた。結局は、ご婦人が自宅に置き忘れただけだったが、早苗は嫌な顔一つせず、「よかったですね」と、笑顔で声を掛け、その場を後にした。
 相手のことを思いやれる人、だからこそ、虎太郎はこの人だと思ったのかもしれない。

 そんな虎太郎と早苗がはじめて、虎太郎の実家、吉岡家に足を踏み入れたのである。
 吉岡家は兼業農家で、田畑を所有している。最近は、農業以外の仕事が主になってしまったが、以前は農業も収入の大きな柱だった。
 しかし、農業は体にこたえるという理由から、どんどん土地を減らし、縮小させていた。

「あらあら、お帰りなさい」




 割烹着で手をふきながら虎太郎の母、郁子(いくこ)が奥から出てきた。

「母さん、この人が岡重早苗さん」

「岡重です。よろしくお願い致します」

「あらまあ、ご丁寧に。こちらこそ、よろしくね」

「父さんは?」

 思いついたように虎太郎が言った。

「まだ仕事に行ってるから。もうすぐ帰ってくるわよ」

「父さん、調子はどう? 兼業だと体がつらいでしょ?」

「あの人は農業も好きなのよ。だから心配いらないわ。さあさあ、上がって。早苗さんも、上がって、上がって」

「お邪魔いたします」

 早苗は靴をきちんと揃えてから玄関に上がった。
 こういうところは、郁子もきちんと採点していた。

「はあ~、疲れた~」

 虎太郎はくつろいだように言いながら家の奥へと進んでいった。

「どのくらいかかったの?」

 郁子は虎太郎の荷物を持ちながら聞いた。

「ほぼ3時間だね。道がすいてたからよかったよ」

「先にお風呂に入ったら?」

「いや、後でいいよ。今日のご飯は?」

「あんたの好きな親子丼よ」

「やったね」

「あ、お母様、私も親子丼は得意なんです。何かお手伝いしましょうか?」

 早苗が気を使って聞いた。

「いいわよ。疲れたでしょ? 休憩してて」

「さーちゃんの親子丼もおいしいよ」

 得意気に虎太郎が言った。

「あら、そうなの? そしたら、少し手伝ってもらおうかしら」

「ええ、喜んで」

 やや、はにかみながら早苗は答えた。

「じゃあ、後で台所に来てくれるかしら?」

「わかりました」

 虎太郎が荷物をおろして、少し休もうとすると、早苗は何か思いついたように言った。

「お肉は私が用意しましょうか?」

「え? ええ、そうね。少し足らないかもしれないから、いいかしら?」

「任せてください。私も実家は農家なんです」

「あら、そうなの! それは、よかった、話が通じるわね!」

「はい!」

「じゃあ、お願いしようかしら。場所はね・・・」

「わかってます。任せておいてください」

「?」

「私、得意なんです」

「じゃあ、お任せしようかしら 。お願いね」

「いつまでに入り用ですか?」

「うーんと、そうねえ。4時くらいまでにはほしいわね」

「今、3時なので、わかりました。すぐ用意します」

「そんな、慌てなくてもいいわよ」

「任せておいてください」

「ありがとう」

 郁子はうきうきしながら台所へ戻ると、親子丼以外のごちそうの準備をし始めた。

 
 小一時間が経った頃だろうか。
 郁子は早苗がいないことに気がついた。

「あら? 早苗さんは?」

 横になってうたた寝していた虎太郎に尋ねた。

「んん? あれ? いない?」

「スーパーに行ってくれたのかしら?」

「スーパー? 車で行かないと無理だよ」

「そうよね~。なら、どうやってお肉、買って来るのかしら?」

「俺が乗せていくよ。どこへ行ったかな?」

 そこへ、血相を変えた父親、友隆(ともたか)が駆け込んできた。

「お、おい! 大変だ!」

「お父さん、何ですか、そんなに慌てて。帰ったなら、帰ったって、言ってくださいよ」

「た、大変なんだよ!」

「何がですか?」

 すると、早苗も家に戻ってきた。

「あら、早苗さん。どこへ行ってたの?」

「ええ、お肉の準備を」

「お肉?」

「お、おい! つ、吊るされてるんだよ!」

「お父さん、こちらが岡重早苗さんよ」

「ああ、どうも。ええ? ひょっとして、あんたの仕業なのか?」

「何ですか、お父さん! ぶっきらぼうに!」

「吊るされてるんだよ!」

「だから、何の話ですか?」

「コッコちゃんだよ! コッコちゃんが吊るされてるんだよ!」

「何を言ってるのか、さっぱり、わかりませんよ。コッコちゃんがどうしたですって?」

「コッコちゃんが吊るされてるんだよ!」

「お父さん、冗談はやめてくださいよ、もう。何が吊るされてるですって? やめてください、悪い冗談は」

「げ、現に吊るされてるんだよ!」

「そんなこと、誰がやるっていうんですか? いつの時代ですか。ねえ、早苗さん?」

「あ、私がやりましたよ」

「へ?」

「私がやりました。良さようなニワトリをシめておきましたから。今日のお肉はおいしいですよ~」

「え? あなた、何を言ってるの? シめた? シめたって、どういうこと?」

「え? ただ、ニワトリ小屋にいたニワトリを1羽、シめただけですけど」

「シめたって、シめたって、まさか、こ、殺したってこと?」

「ええ、首をひねった後に首をはねて、吊るして血抜きしてるんです」

「い、いやあー! あなた、私の、私の大事な大事なコッコちゃんを殺したっていうの?」

「コッコちゃん? ただのおいしそうなニワトリでしたけど」

「いやあー! 私のコッコちゃんが何したっていうの!」

「へ? 今日は親子丼ですよね? お肉は新鮮なのがいいと思いまして、シめました。そろそろ、羽をむしらないといけませんけどね」

「うう! 殺してやる! 殺してやる!」

 郁子は台所へ行って包丁を取ってきた。

「か、母さん、落ち着いて!」

 虎太郎があせって静止した。

「おい、落ち着けったら!」

 友隆も諫めようとした。

「私のコッコちゃんを、愛しいコッコちゃんを、首をはねたですって? 殺してやる!」

「お母さん、落ち着いてください。コッコちゃん、て言うんですか? 首をひねったらすぐに逝きましたから。苦しんでませんよ」

 早苗は慌てて説得した。

「あ、ダメ、ダメ、あ、ダメ、私」

 そう言うと、郁子はめまいを覚え、包丁を持ったまま棒のようにそのまま後ろに倒れていった。何とか虎太郎が床に倒れる寸前に受け止めることはできたが。
 その場には重い沈黙が流れた。
 
 郁子を布団に寝かせつけ、家族会議が開かれた。

「うちはニワトリを食べるために飼ってるんじゃないんだ。ペットとして飼ってるんだよ。いや、それ以上だな。ほとんど、家族の一員なんだよ」

 静かに虎太郎がつぶやいた。

「家族の一員ですって? どうしよう、私。てっきり・・・」

「しかも、コッコは母親が一番かわいがってたニワトリなんだ。産まれた頃から手塩にかけて育ててきたね」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 早苗は泣き出してしまった。

「おいおい、早苗さんが泣き出しちゃっただろう。ニワトリの1羽や2羽、どうってことないだろう」

 父の友隆が早苗をかばった。

「母さんにとっては、家族なんだよ」

 早苗はさらに大きな声で泣き出した。

「おいおい、早苗さんのことも考えろ。早苗さんは気を使ってだな、新鮮な鶏肉を用意しようと・・・」

「まさか殺すとは思わなかったよ。うちも鶏肉はスーパーへ買いに行くからね」

 早苗は突っ伏して泣き出してしまった。

「こりゃ、マズイな。母さんは許してくれるかな?」

「コッコのことは俺に任せろ。俺が母さんを説得するから」

 父、友隆は頼もしく言った。

「さーちゃんとの結婚を許してくれないかも」

 虎太郎は違う意味で心配していた。

「早苗さんのことは、お前が守ってやれ。母さんのことは俺に任せろ」

「ありがとう。しばらくは、ほとぼりが冷めるまで、ここへは来ないようにするよ」

「その方がいいかもな。母さんがコッコのことを思い出すといけないから」

「うん」

 虎太郎の実家での初顔合わせは最悪の事態で終わった。
 しばらくは実家に帰らないということで、一応の決着をみた。
 虎太郎と早苗は逃げるようにして、実家を後にした。
 帰りの車の中でも早苗は泣いていた。早苗としては気を使ったつもりだったが、余計も余計、余計なお世話だったのである。

「今度、かわいいヒヨコを贈っておくから、気にしなくていいよ」

 虎太郎はそう言うので精一杯だった。
 
 それからしばらくして、鳥インフルエンザが流行し始めた。
 虎太郎の実家周辺でも鳥インフルエンザは押し寄せて、実家のニワトリも1羽かかってしまった。
 すぐに殺処分が行われ、結局のところ、ニワトリ小屋のニワトリは全滅した。
 母の郁子が寝込んだことは言うまでもない。
 だが、それからだろうか。
 郁子が本当の意味で早苗を許してくれたのは。
 ペットも大事だが、本当に大切なのは人間の家族だということに、遅ればせながら気がついたのだ。
 虎太郎と早苗はめでたく結婚した。
 虎太郎の実家にはコッコちゃんの遺影が飾られている。早苗にとっては微妙な気持ちにはなるが、家族の関係は良好だ。

「お帰り、早苗さん」

 久しぶりに帰ってきた虎太郎と早苗を、笑顔で郁子が出迎えた。

「お母さん、この間は本当に・・・」

「いいの、いいのよ。何があるかわからないのが人生よ」

「本当にごめんなさい」

「ありがとう。早苗さん、今日も親子丼だから、手伝ってくれる?」

「はい!」

「もううちにはニワトリがいないから大丈夫よ」

「本当にすみません」

「さあ、はじめましょう。おいしい親子丼を作るわよ!」

「はい!」

 虎太郎は二人のやり取りを微笑ましく見つめていた。

 

 

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