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サステイナビリティを哲学する意義 #1

 SDGsとは、何なのか?その解説は、noteでも多くあり、良書も出版されている。また、自身もSDGsの合意に貢献した慶応義塾大学教授の蟹江憲史氏の『SDGs(持続可能な開発目標) (中公新書)』が、日本語で書かれた最も体系的な書籍であり、学生にも社会人にも薦めている。

 特に、リオネジャネイロでのリオ+10で採択されたMDG(ミレニアム開発目標)SDGsへと発展していった背景、そして、そこに込められた理念がとても詳しく解説されている。今すぐに対応や行動を求めている方には必読書だろう。
 では、それにも関わらず、わざわざ「サステイナビリティ」を「哲学」するという面倒なことをするのか?、その問題意識は、大きく3点ある。
 1.アルベルト・アインシュタインの言葉に向き合いたい
 2.日本人として受け止めたい
 3.地域の特性に合わせた生活の場を創りたい

 「サステイナビリティ私観」でも述べたことと重なるが、改めて整理しなおした。その動機・モチベーションへの応答が、このnoteで徐々に蓄積されていく予定だ。

「問題を解決するには、問題の原因となっている思考法を
打破しなければならない」

-アルベルト・アインシュタイン-

「世界人としての日本人のつもりでいる」
-鈴木大拙-

「景観十年、風景百年、風土千年」
-土木業界の格言-

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「哲学」をどうとらえるか?

 「哲学」という広範なテーマをどう扱うか、はそれ自体、哲学的なテーマかもしれない。私自身は、「哲学」を一度も体系的に学んだこともないため、完全な独学で取り組んできた。その点、「哲学」に対する正しい理解があるかは心もとない。

 強いて言えば、最近、出口治明氏が出版した「哲学と宗教全史(ダイヤモンド社)」を読んで、東西の哲学の歴史が大まか自分の見立てと一致していたので、少し自信をつけた。「哲学」についての全体像を学ぶには、良書であろう。それと併せ、この書に登場する好きな哲学者を読むのが、大いに役立つことは間違いないだろう。
 ただし、その知識・教養がなくとも、このnoteは読めるように工夫したつもりだ。

 この論考での「哲学」を定義しよう。まず、立場として、何か哲学的な真理があり、それを探求することを意図しない。むしろ、個人個人は、多様であり、さらにはその個人個人もその場その場、その時その時で多様な思考で行動している。それを言語によって明晰にすることがここでの「哲学」とする。ここで発ししている"note"のプラットフォーム自体が、言語化を通じた思考の明晰化、つまり「哲学」の機会だといえる。その根拠として、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉を引用しよう。

 今後は、私の個人的な知的格闘をただただ言語化するだけでなく、読者の皆様にも適宜、問いかけをしていく。少しでも考え、言語化する、きっかけになれば幸いだ。

 「哲学の目的は思考の論理的明晰化である。哲学は学説ではなく、活動である。哲学の仕事の本質は解明することにある。哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。思考はそのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし限界をはっきりさせねばならない。」
— ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁』

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©pixta
考え、そして、言語化し、行動しよう!
逆に、行動してから、考え、行動してもよいのだ!

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