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SDGs史#番外編 セヴァン・スズキ世代にとってのSDGs

 SDGsへと国際社会が合意に向けた一つの山場は、1992年のリオネジャネイロ地球サミットだったことは、疑いようのないことだ。その意義については、別途、記事にするがここでは、リオと私の個人的なつながりに着目したストーリーを書く。これは、後程、このnote寄稿する『私のサステイナビリティとの、出会い①』の最初のシーンを解説するコラムである。気軽にご覧いただきたい。

SDGsにつながるRio+20を書いた経緯

 「直し方のわからないものを壊すのはやめて」1992年、リオ地球サミットでの少女の訴えは2012年の現在でも色あせることはない。「伝説のスピーチ」はYouTubeでこれまでに1700万回以上再生されている。このスピーチを行ったのは,当時12歳、1979年生まれのセヴァン・スズキだ(本稿では以後セヴァンと呼ばせていただく)。私(1978年生まれ)はセヴァンと同世代であり、彼女の成長と草の根運動の広がりを眺めることで、Rio+20への希望を論じたい。なお、Rio+20とは、2012年に行われた地球サミットの通称で、ここで2002年のヨハネスブルグ地球サミットで合意されたMDG(ミレニアム開発目標)を統合し、SDGsを国際目標とする重要な場であった。この文章は、2012年のRio+20を前に、『環境と文明』に寄稿したものである。なので、多少、時代が経っているが、ほぼそのままを掲載することをご承知いただきたい。

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セヴァン・スズキのスピーチ リオネジャネイロ地球サミット、1992
©Youtube

セヴァン・スズキ氏の紹介

 セヴァンはカナダのバンクバーの海辺にある町に育ち、子供時代は、釣りや野菜作りに夢中になった。父親のデイビッド・スズキ氏は、有名な環境科学者で人気のあるキャスターでもある。そのため、セヴァンは多くの経験を積むこととなる。クイーンシャーロット島(ハイダグワイ)の森を守る運動、南米でのストリートチルドレンとの出会い、アマゾンでダムの反対運動をしていたカヤポ族との出会う。これらの経験がセヴァンを突き動かし、カナダの学校の仲間と子ども環境運動(Environmental Children Organization、エコ)を設立する。環境問題を学ぶにつれ、セヴァンは一つの思いにいたる。「いろいろなことを決めている大人たちは、わたしたち子どもの未来のことをちゃんと考えようとしない。」、「行動をおこすしかない」。リオでのスピーチの基盤にはこうしたセヴァンの経験と思いがある。
 気づき、学び、行動する。草の根運動で社会問題を解決するうえでの基本的な行動原理が見て取れる。セヴァンは特殊な環境に育ち、自然とそれを身に着けることができた。自然豊かな先進国に生まれ育ち、途上国の抱える問題を目の当たりにすることができた。そして、体験に学びを加えることで、環境問題の本質を腑に落ちて納得することができた。さらに、自ら団体を立ち上げ、行動に移した。
 私たちの世代は、子ども時代から地球環境問題を耳にした最初の世代だった。ここで生まれたいくつかの気づきが、現在の草の根運動を支えている。

1992年のリオネジャネイロ地球サミットでの行動

 「世界中から政治家が集まって、わたしたちの未来について話しあうってわけね。(中略)子ども代表として、わたしたちがその会議(リオサミット)に出席するっていうのはどう?!」セヴァンは、この思いつきを粘り強く人に伝え、多くの人を惹きつけた。そして、募金により、リオ行きの資金を手にする。NGOブースの一角を与えられたセヴァンたちエコは、参加者たちに地道にメッセージを送った結果、最終日に6分間のスピーチをする機会を得る。ロックである。スピーチの原稿は、会場に向かうタクシーの中で練った。そして、各国首脳を前にスピーチを始める。
 「今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。」
と決意を表し、シンプルな願いを問いかける。

争いをしないこと
 話し合いで解決すること
 他人を尊重すること
 ちらかしたら自分でかたづけること
 ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
 分かち合うこと
 欲張らないこと

 セヴァンが投げかけた問いは、本人の意思を超えてあらゆる世代に影響を与えた。もちろん、表面的な影響のみの人もいれば、行動を変えるきっかけになった人もいる。少なくとも泉に石は投げられた。「世代間公正」という環境倫理の原則が初めて声高に叫ばれた、貴重な出来事だった。
 その行動が、ガラパゴス・日本の新聞にも届き、私が目にし、ロックを感じた、そのことは本noteにて『サステイナビリティ、との出会い①』の中で触れる

伝説のスピーチからの20年

 さて、リオでセヴァンの話を直接聞き、感動を示した大人、特に各国の首脳たちは、その後の20年をかけて、セヴァンの問いかけに答えられたか?それは、疑問符を付けざるをえない。セヴァンは、リオ以降、国連との関係を築いていき、Rio+10(ヨハネスブルグサミット)でもスピーチを行っている。
 その中で、「私の各国政府首脳に対する信頼、そして個人の声が彼らの心に届くという自信は根底から覆された」と状況を憂いている。
 一方で、数々のプロジェクトが私たちの世代を中心に進められていることから、「真の環境革命は、私たち若い世代の手にかかっている」と宣言し、「各国のリーダーたちが立ち上がるのをまってなんかいられない。私たち個々人の果たすべき責任が何であるかを見極め、どうしたら変化を起こせるのか考えてみようじゃないか」と呼びかけている。
 セヴァン自身がリオからこれまで最も力を入れたのは、「ROR(Recognition of Responsibility,自分との約束)」という活動だ。それは、「自然をうやまい、大切にし、生きものの世界の調和を守ろう」、「フェアで民主的で平和な社会をつくろう」、「資源の無駄づかいをやめ、地球にやさしく暮らそう」というシンプルなメッセージを自覚して行動することを宣言するものだ。その根底には、「あなたが変わる、そうすれば世界はもっといい場所になる。」というポジティブな信念がある。その後、結婚し子どもを授かった際には、「自分の子どもを心配する両親こそ、環境問題の一番の希望だと思う」とも語り、新たに子どもを産む世代に期待を託している。
 セヴァンは心に訴えかける戦略をとったが、若者の中には、身近な生活を変えるだけでなく、社会を変えるための活動を展開している人たちもいる。社会企業家と呼ばれる人たちだ。フェアトレードを世界に広めたピープル・ツリー代表のサフィア・ミニーさん。カンボジアの児童買春を撲滅するかものはしプロジェクト共同代表の村田早耶香さん。先進国の肥満と途上国の飢餓を同時に解決しようというTABLE FOR TWO代表の小暮真久さん。そのほかにも地域の再生、環境保全などあらゆる分野で同時発生的に社会問題に取り組もう動きが活発化している。彼らもまた、セヴァン同様、気づき、学び、行動するプロセスを経て、現在に至っている。そして、現場を大切にし、既成組織にとらわれず、インターネットで仲間と結びつき、クールに賛同者を巻き込む、新しい世代の新しい戦略をとっているのが共通点だ。今の、「エシカル」につながる、重要な潮流だ。

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執筆当時(2011年ごろ)のセヴァン・スズキ氏
映画「セヴァンの地球の直し方」

リオ+20、SDGsの達成にむけて

 セヴァンの投げかけ問いかけに対し、私たちの世代は応えられるのか。そのためには、これまで個々の動きだった流れを一つの方向性に向かわせ、ひとつのメッセージとして世界に発信する必要がある。リオ+20はその大きなチャンスだ。日本では、各地で行われる対話をインターネット上でつなぎ、世界同時多発的に行われるもう一つの地球サミットを開催するジャパンボイスプロジェクトが進行中である。こうした動きも含め、地球環境問題とインターネットに子どもの時から親しんだ私たち世代のパワーが今、問われている。

 セヴァンの言葉は、以下の文献を引用しました。
わたしと地球の約束 セヴァンのわくわくエコライフ」セヴァン・カリス・スズキ著、辻信一訳
あなたが世界を変える日」ナマケモノ倶楽部編訳
紛争、貧困、環境破壊をなくすために世界の子どもたちが語る20のヒント」小野寺愛+高橋真紀編著

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