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リトルラリロレラと、台所。


(携帯電話を変えようか変えまいか。右往左往していた時期になんとなく記したものです。タイムカプセル感覚でどうぞ。)



今日(2023年7月5日)のNHKのあさイチの特集を見て。
ああ。これはたぶん、何度も再放送されるだろうなあと思って。
『台所…なんとかあ~』という特集を見て。思ったこと。頭に浮かんだもの。

リトルナイトメアの台所を思い出した。
方や朝の番組の特集、方やホラーゲーム。
関係のないものと、関係のないものの 共通点と違うところを視てあそぶ。

七つの大罪の六番目。シックスは、暴食を表すらしい。あの余りにもきたならしすぎるキッチン(というか厨房)をみて、それが今日見た特集のテーマでありメッセージだった【台所には、その人の人生が映る】というのをかさねて。モウの乗客や乗組員の人生は、どういったものだったのだろうかと、ふと思った。
部屋は自分を映す鏡とか。見た目に中身がにじみ出るとか。よく耳にする言葉だけど。そこにプラスαされて、台所も加わった。人の見た目やお部屋は、その時の心の状態に左右されることが多いけど、台所には調理器具や家具の配置、導線や食器の数や大きさ。模様。その他諸々、家族や本人の歴史が蓄積されている。

 まじめに観ていた訳でもないのに、それでも夜になってもまだ心になにかが残るというのは、きっとなにかがあるのだと思う。直感的にドラマになってほしいなあと思った。

台所では、ごはんを作っていて。
そのごはんを食べた人が、活動をする。
そこは、元気の源をつくる場所。
つかれて、くたくたでエネルギーが切れても、
思うままに補給出来なかったり、補給しすぎたりする場所。

前を向きながらも、明日に向かいながらも。
だけどそこには、ちょっとだけ悲壮を漂わす。


人生は、だれしもがままない。
だからこそ 自分自身をあいしてあげること。

みんなちがって、みんないい。そう分かっているのに、どうも自分のことだけは認められない。

なにかあった訳じゃない。
だけど何もない訳でもない。複雑さに耐えて息をする。だれしもが。そう、だれしもが。

『人生は、だれしもがままならない。』

みんなおなじだと、分かっているのに分かっているのは頭だけで、ことばそのものは、全く循環していかない。
なにかあった訳じゃないけれど、何もない訳でもないなんてことない日に観た特集だった。

普通の食事ってなかなか出来ないなあ。他者の普通を垣間見ながら、普通がいちばん難しくて、いとおしいんだなあと感じたすべての人が、だれしもがままならない人生の複雑さに耐えて生きる普通なんだろうなあと。思いながら。

これ、なんとなく、だれかさま観ていそうだなあと思いながら。
私はここに今日思ったことを、セーブしておこうと思った。




【参考思考】


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