リボルバーを巡るタブローの物語
LE REVOLVER
原田マハさんの、アート小説の新作『リボルバー』を読み上げたので、その感想について "note" していきたいと思います。
まず、一言で言うなら
原田マハさんのゴッホ愛が感じられる作品
であるということ...
ゴッホの "耳切事件" や "ピストル自殺" といった事件によって、ゴッホに対しては一般的に "絵画に対する情熱" とともに "狂気" のイメージが付いて回ります。
本書を読み終わると、そんな断片的なゴッホのイメージが整理されてるような気になります。
恐らく、マハさんは、本書を通じて、そんな定型化されたゴッホのイメージに一石を投じた...
そんな風に感じられるのです。
小さなオークション会社CDCに勤務する高遠冴(たかとおさえ)の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。
それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」
「殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」
ゴッホとゴーギャン。
生前顧みられることのなかった孤高の画家たちの、真実の物語。
物語は、ゴッホとゴーギャンを研究している主人公が勤めるオークション会社に、ゴッホの自殺に使われた ”リボルバー” が持ち込まれることから始まります。
主人公が、その ”リボルバー” の真贋を鑑定するために調査を進めていくのが、物語の大筋で、そこに、ゴッホとゴーギャンのエピソードが挿入されていく構成になっています。
雰囲気としては『楽園のカンヴァス』と同様のアートミステリーの体裁となっていて、ちょっとワクワクさせられるんですよね。
現代パートも多めなんで、主人公と一緒に、ゴッホとゴーギャンという孤高の画家の新たな側面を考えさせてくれました。
実は、原田マハさんは以前も『たゆたえども沈まず』という作品で、ゴッホを扱っているんですよね。
こちらは、世紀末のパリを舞台に、浮世絵を売り込もうとする日本の画商と、ゴッホやその弟のテオと出会いを描いた作品で、当時のパリの世相なんかが楽しい物語でした。
ただ、いい話な分、ゴッホとゴーギャンの関係や、晩年の様子などは簡素な扱いで、自分としては、少し物足りなかったのも事実なのです。
そういう意味では、この『リボルバー』は、その辺りを補完する物語だったのかもしれませんね。
原田マハさんは、もう一冊、『ゴッホのあしあと』という、取材ノートみたいな本を出しています。
フランス各地に残されたゴッホのあしあとを辿りながら、ゴッホというアーティストを再発見する感じの本なのですが、『リボルバー』での主人公の調査は、まんま、マハさんがたどったものでイメージされてるのだと思います。
『たゆたえども沈まず』、『ゴッホのあしあと』、そして、本書『リボルバー』を読むと、そこに感じられるのは、やっぱり
ゴッホ愛!
なんですよね~。
機会があれば、ぜひ3冊とも併せて読んでもらいたいのです。
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作中、印象的な場面で数々の名画も出てくるので、併せて紹介をしておきます。
まずは、ゴーギャンの作品から
「タヒチの女たち」
主人公が幼い頃、ゴッホの「ひまわり」とともに、部屋に飾られていた複製画として登場します。
「ひまわりを描くゴッホ」
共同生活のエピソードの中で登場します。
そしてゴッホの作品
「オーヴェールの教会」
オルセー美術館のシーンに登場します。
「烏の飛ぶ麦畑」
ゴッホの絶筆となったと言われる作品。
他にも著名な作品として、ゴッホの「星月夜」やゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」なども登場する場面があって、作品を追いかけて行くだけでも楽しめます。
また、この『リボルバー』は現代パートが中心なので、調査の中で、実在の場所が登場します。
「ゴッホ美術館」
それから、オーヴェールの「ラブー亭」
いつか、訪れてみたいものですね。
(関係note)
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