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炊き出しを続けて感じること その8

以前の文章
炊き出しを続けて感じること
炊き出しを続けて感じること その2
炊き出しを続けて感じること その3
炊き出しを続けて感じること その4
炊き出しを続けて感じること その5
炊き出しを続けて感じること その6
炊き出しを続けて感じること その7

なんとか今年4月を終え、丸4年半経ちました。丸5年まであと5ヶ月くらいです。現状は当事者とWin-Winの関係なので、毎回、何かを訴えられ、情報が蓄積され、少しずつですが当事者の理解が深まっています。引き続き当事者へ、態度や姿勢で示し続けたいと思っています。

・悔い改め、ガチ路上からお外の人
今迄、お外で生活が完結している当事者のことを、ガチ路上と呼んでいました。それは、僕の勝手な造語で、他スタッフにわかり易く説明するのに使っていました。こちら(炊き出しを続けて感じること その3)で少し書きましたMさんは、他スタッフと僕の会話を聞いていて、自分から「俺もガチ路上なんだ」と話しかけてきました。それが縁で、たまに寝床訪問する2人目の当事者になりました。常々、僕は当事者へ発する言葉に気をつけていて、当時はガチ路上で良いと思っていたのですが、交流が生まれた当事者に、路上状態なのか確認しないとならない際の投げかけとして、「失礼ですけれど、お部屋の方ですか? お外の方ですか?」と、最近は訊ねています。本人を傷つけていた部分もあったのかもしれないと思い、悔い改めました。
また、今迄、名前のわからない当事者へ、「おとうさん」「おにいさん」「おじちゃん」とか呼ぶしかなかったので、そう呼んでいたのですが、「おとうさん」と呼んで、「おとうさん…!?(不機嫌)」「俺はおとうさんじゃない!(怒)」など反応される当事者も稀にいるので、他に適当な呼び方も見つからず、たまに相手へ謝っている時があります。どういう呼び方が良いのでしょうね…。

・500円分食べ物と野菜ジュースの物々交換
Mさんとやり取りを続ける中、早朝5時に僕の街のファーストフード店に来ていることがわかりました。たまに無事を確認するため、そのお店に行くようになり、そこでMさんと交流があるNさんと出会います。その後、Nさんも炊き出しに顔を出すようになりました。そのうちに、Mさんは僕にお店へ来て欲しいのか、来た時に500円分の食べ物を買って渡してくるようになりました。ただでさえ、お金を得るのは大変なのに必ず渡してくるので、「食べ物のために来ている訳ではないし、食べ物があってもなくても来るから要らないよ」と何度か伝えたのですが、一向に渡してくることを止めません。色々悩み考えた結果、行けば食べ物を必ず渡してくるので、現在は事前に野菜ジュースを1本用意して向かい、それをお礼と言う形でその場で渡しています。野菜ジュースは受け取ってくれるので、店内で奇妙な物々交換を毎回しています。笑

・並ぶ当事者へ治験を勧めたら良いと訴える当事者
コロナ対応になってから、並ぶ当事者の層に変化が起きてきました。以前は、何らかの事情で働けない中高年男性が圧倒的多数でしたが、若年者、女性、子供連れの当事者もかなり増えました。それでも、全体の9割くらいは、若年男性や中高年男性で占めています。僕と名前交換する当事者の殆どが中高年男性なのですが、お外の人がかなりいることも、後からわかってきました。前にも書きましたが、お外の人かどうかは、見た目や振る舞いだけでは見抜けず、本人からの自己申告頼りです。最近、僕へ声をかけてきて、僕が認識する当事者に少し変化が起きてきていて、女性の方からの声かけも増え始めました。僕らが配布物を配っている際に話しかけてきたLさんがいました。Lさんは「並ぶ当事者へ、治験を勧めたら良いのに」という訴えでした。僕は「並ぶ当事者が困っているからといって、多くの人があまりやりたがらないことを勧めることは、人権的にもできないと思いますよ」みたいな返答をしました。更に話を続ける中で、「身体の検査をしてくれる上に、治験中のご飯や住まいに困らない」「治験で得たお金で、美味しいものを食べたい」みたいな訴えを聞き、言葉に詰まってしまいました。Lさんにとって、お金を得る貴重な機会なのだと思いますし、誰しも美味しいものだって食べたいと思います。もうちょっと、様々な境遇の人に、上手く色々なものが分配されると良いなと思っています。

・死にたいと訴える当事者
昨年末に「これから暫くの間入院して、順調に行けば3月くらいには戻って来る」と言い残して来なくなったVさんがいます。そして、予定の3月中に戻ってきませんでした。入院する理由を言わずに来なくなったので、年齢的に癌とかだったのだろうかと心配していました。その後、予定より遅れて現れ、ホッとしています。ある炊き出し回で、お互い早く来ていたので、ベンチで話をしていました。話す中で「死にたい」と訴えてきます。以前も一度、「死にたい」と訴えられたことがあるのですが、現状の僕には、Vさんにその件で満足のいく返答はできません。常に「否定もしないし、肯定もできない」というニュアンスを伝えるのが限界です。こちら(あるホームレスのかたから言われたこと)などに書いていた、Xさんが「死にたい」と訴えてきた時のように、たまたま炊き出しで知り合い、交流まで生まれた縁なので、これからも緩く関わっていきたいですし、関わる中でお互いに良い流れになると良いなと思っています。

・「ありがとう」は魔法の言葉
かなりの中高年男性は、ヤンキー文化の中で生きてきた当事者が多いと感じていて、僕の態度や姿勢で示すアプローチは、そういう中高年男性に受け容れられたのだと思っています。先ずは、僕より年齢が上であることに敬意を払い、大変な人生を生きてこられたことにも尊敬の念を示し、手を後ろに持っていきながら話しかけたり、相手の目線より下から見上げるために、膝をついたり、地べたに座ったり、場合によりお腹を見せたりしています。とにかく、僕は敵ではなく、敵意がないことを示し続けてきました。
そして、「ありがとう」をことある毎に連発しています。「いつも、炊き出しに協力してくれてありがとうございます」は常に言っていますし、何か少しでも協力的に動いてくれたら、「ありがとうございます!」と凄い強調して伝えています。炊き出しを通して、あらためて「ありがとう」は魔法の言葉だなと、しみじみ感じています。実際に、炊き出し協力してくれる当事者なのか、してくれない当事者なのかは殆ど関係なくて、現在の相手の態度がどうであろうと、折に触れて「ありがとう」と感謝を伝えることが重要だと思っています。僕は人生の中で支援されることが多いのでわかるのですが、暗示的や明示的に、常に色々な場で、当事者は支援者に感謝を伝えることを、半ば強制されています。当事者が人生の中で誰かに感謝されることは殆どなく、だからこそ、先に僕の方が感謝を伝えることが、とても重要だと思っています。人間は鏡なので、感謝は感謝で返ってきます。出会った当初は、かなり反目していた当事者が、今ではかなり協力してくれるようになっていて、僕個人は凄く楽な状態です。笑

今年10月を終えれば、ようやく丸5年になります。もう、僕の先輩や同時期のスタッフも殆ど居ません。今迄続け、個人間交流が生まれたスタッフや元スタッフも何人かいるので、それは良かったと感じています。当事者との良好な関係も、今後も維持を頑張ります。笑

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