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炊き出しを続けて感じること その3

以前の文章
炊き出しを続けて感じること
炊き出しを続けて感じること その2

炊き出しに参加し始めて、そろそろ2年半です。コロナ仕様になってから2年越えました。並んでいるおじちゃん達に、僕の行動で訴えてきましたが、最前列のおじちゃん達を中心に、僕の想いは浸透してきた実感があります。ずっと、整理誘導メンバーとしてやっていますが、当初は激しく口撃や反発していたかたで、協力的になってくれたかたも一部います。

・コロナずっと人多過ぎ その2
半年前ももう直ぐ500人超えそうと感じていたのですが、なんだかんだ、まだ500人は超えていません。ただ、コロナ前の炊き出しでは、200人超えていたら、「今日は多い回だね。」と話していたことを考えると、倍以上に膨れ上がって異常な状態が続いているのだと思います。並ぶ方達は、コロナの影響を受けているかたが多いです。何らかの支援を受けているかたも並んでいるようですが、十分な支援を得られていないのだと思います。

・癌になったおじちゃん
以前、列トラブルであるおじちゃん同士が、開始前から激しく揉めていて、その空気に感化されて、Fさんも別のおばちゃんと揉め始めて、仲裁したのがFさんを認識したきっかけです。福島県出身だと言っていたので、仮にFさんとします。その後、Fさんは炊き出し団体の支援などを受け、自身の問題が解決の方向に向かったのか来なくなりました。炊き出しに来ていたかたが、突然来なくなるのは、良いルートと悪いルートの2通りくらいしかありません。良いルートは問題などが解決してきて、並ぶ必要性がなくなってきたなどの理由。悪いルートは死んでしまった、病気や怪我で入院してしまった、などの理由です。Fさんは良いルートで来なくなったので、良かったのですが、最近、また来始めたのです。僕を見るなりFさんは話しかけてきて、「最近、癌が発見されて、入院して、手術した。最期に僕に会っておきたいと思って来た。」みたいなことを言われました。最初は、冗談が良くわからない僕を、からかおうとしてるのかな?と「本当ですかー?」みたいな返答をしたら、「冗談だと思ってるんですか。」と、いつもの少し訛りのある話し方で返答され、本当なんだと理解し、言葉に詰まってしまいました。ただ、詳しく聞くと、早期発見で手術したので、再発がなければ、余命何年とかの話ではなさそうです。本人も言っていましたが、自分は心配性で、凄く死に対して怖れがあるとのこと。死に関しての捉え方は、人それぞれなんだなと感じました。いつも、何か寂しそうな表情なのが、印象的なFさんです。

・おじちゃん達に色々貰った!
会うと結構話すのですが、名前を一向に教えてくれない、仮にSさんというおじちゃんがいます。ある衣類配布の炊き出しの際に、ネタ物の「ご安全に」と背中に文字と絵文字が入った、ベストを2着貰いました。笑 その次の回から、着て整理誘導しています。最前列に居ることが多いおじちゃんで、最前列の辺りは、大きく緩やかな2グループがあるようで、その片方のリーダー格のおじちゃんです。もう一人の相方みたいなおじちゃんと、いつも冗談を言い合っています。あと、最前列のもう片方のグループに近い立ち位置と思われる、仮にTさんから、500円分の共通食事券を貰いました。笑 そのおじちゃんは、以前も缶コーヒーをくれた時があって、お礼に缶スープを、他のおじちゃん達にわからないように渡したことがあります。二人とも、同日に渡してきて、僕自身がとても元気がない日の炊き出しで、特にSさんは以前からとても勘が鋭い人で、それまでの炊き出しでなんとなく感じ取っていたのかもしれないと思っています。いつか、Sさんとも名前交換したいのですが、はぐらかされて一向に教えてくれません。笑

・中国残留孤児おばちゃんのその後
Cさんの炊き出し参加当初は、激しく周りのおじちゃんと揉めていたのですが、今ではかなり大人しくなりました。Cさんの話す日本語は殆ど理解できなかったのですが、大分理解できるようになってきました。興奮状態になると、文章になってない日本語になってしまうのかもしれません。並ぶ女性の中ではダントツで気が荒かったですが、それくらい攻撃的じゃないと、常連のおじちゃん達の列に加われなかったのかもしれません。桜が咲いている頃には、桜について話しかけてきたり、先日は、ナッツが入った袋を渡してこようとしましたが、「気持ちだけ貰っておきます。ありがとう。」と受け取らなかったのですけど、貰ったほうが良かったのかな?とちょっと思っています。仏教の手を合わせるみたいなジェスチャーも身体言語として、Cさんに伝わったようで、顔を合わせると、お互い挨拶代わりにしています。たまにズルはするのですが、今後もCさん由来の激しい揉め事は減るかと予想しています。

・関わるガチ路上のおじちゃんが増えた
別のnoteにも書いている、Xさんだけでなく、最近、相手のほうから話しかけてきて、顔と存在を認識して名前交換した、仮にMさんというおじちゃんとも、炊き出し以外の時間でも関わるようになりました。自分から「俺もガチ路上なんだ。」と話しかけてきました。ガチ路上とは、並んでいる人達の中で、路上だけで生活が完結している人のことを指している、僕の勝手な造語です。僕が他のスタッフと会話している時に、Mさんはその単語を聞いて覚えたのかもしれません。Mさんを認識してから何度か接して、寝床に訪問して欲しいような感じだったので、先日、天気が良い日に探しに行ってみました。ある駅と駅の間に、上に高速道路が走っていて、その下が公園みたいなスペースになっていたのです。そこの隅で眠っていました。何度も、Google MapでMさんが説明していた場所の辺りを見ていたら、柵に幾つも荷物が括り付けられていたので、ここの周辺には、何人かの人が居るのだろうと予想していました。眠っている一人目に遭遇し、顔をタオルで隠していたので、Mさんか確証がなかったので、「Mさん?」と声を出してみました。そしたら、本人でした。笑 飲み物とゼリー飲料を渡して、1時間くらい話して帰宅しました。Xさんは安定した収入源が全くなく、支援団体や個人からの支援だけで生活を成り立たせている、托鉢タイプだったのですが、Mさんは一定の収入源はあるものの、ひと一人が生活できるだけの金額がなくて、路上生活を続けているようです。Xさんは路上歴6年目くらいなのですが、Mさんは倍の路上歴12年目くらい?のようです。Xさんの寝床には路上歴30年というかたもいますから、そういう人達は路上生活スタイルというのが、それぞれ確立されていることもわかってきました。せっかく寒い冬を乗り切ったので、少なくとも今年の冬までは、路上生活を続けたいと熱く語られ、逞しいな…とポカーンと聞いていました。笑

保護を受け自由を奪われることと、路上生活を続ける苦しさを天秤にかけた時に、迷わず路上生活を選ぶ人が一定数居る現状は何なのだろう?と常々思っています。路上歴が長い人は、僕のようにコミュ障だったりしますが、工夫しながら生きています。天変地異が起きたら、彼らに助けられる人も出てくると感じています。次は丸3年を目指して進んでいきます。笑

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