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【architect】歴史

先日のnoteで建築家の安藤忠雄氏の国際子ども図書館を紹介した


実はその記事を書こうと思ったのにはオーストリアのウイーンで建築家をされているMiyakoさんの記事を読んだからだ

Miyakoさんはウイーンに来てはじめての仕事が歴史建造物に日本の百貨店の店舗を設計するというものだった

まだウイーンに来て間もない頃に、ウイーンの歴史建造物に設計する事はかなりの難易度である
古い建築を大切にしながら日本の伝統を表現することの難しさ
日本文化を全く知らない国の職人さんに日本文化を伝える建築をつくってもらう難しさ
またそもそも日本建築をつくることの難しさ

30年前インターネットもGoogleもない時代に外国で日本の建築をつくることはなかなか想像できるものではない

幾重にも重なる難関を乗り越えてつくられた経験に感動すらおぼえる記事であった


特にウイーンの建築への意識の高さは学ぶべきところが多い

ウイーンでは具体的なルールはあるだろうが、その設計に込められた歴史的建造物に対する考え方を大切にする

オーストリアと日本の歴史的な繋がりや文化の共通点などから建築を考える視点はルールにがんじがらめの日本とは大違いである


私は日本でも歴史的な建築の残る京都や山口の萩、岩国の錦帯橋周辺などで建築設計をしたことがある
山口ではアンビルドになってしまったが京都では数件建築する事ができた

京都はご存知の通り歴史の町である
新たに建築をする際には景観を街並みに揃えるためのルールがありそれをクリアしなければ建築をすることはできない

そのルールは、屋根は勾配のついた屋根にすること、軒は出すこと、外壁や屋根の色、と言ったものである

よく歴史景観地区に観光に行くとコンビニが茶色っぽくつくられていたり、看板が小さかったりするのを見た事がないだろうか

そのような細かなルールがあるわけなのであるが、裏を返せば、日本の景観条例は

ルールさえ守っていれば、概念は要らない

ということになる
ゆえにルールだけをちょこんとくっつけたようなおかしな建築が歴史ある街並みの中に出来上がってしまうという現象が起きてしまったのである
よく京都の街並みを見てみるとわかることである
京都ならではの変な建築をあちこちで見ることが出来る

そもそも考え方が逆で

概念があってルールが出来ているのである

京都の長屋の街並みや寺社仏閣、山と川からなる地形、碁盤の目に区割りされた街並みといった京都ならではの個性はいくらでもある
また京都の中にもそれぞれの違いがあり風土がある

そういった街が形成される概念を受け継ぎながら未来へ繋げていく事が、建築を景観的に規制する法律に求められることであるはずである

何でもかんでもルール化してしまい、一律の基準でしかデザインをはかれない日本の景観への考え方は、ウイーンと比較して明らかに意識が劣っていると言えるだろう

経済至上主義の渦に巻き込まれてしまった日本

ウイーンの街や建築に対する意識の高さを学ばなければならない

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