ゆっくり本を読む会

とにかく本をゆっくり読みすすめるというコンセプトの会。 ↓で読書会をやっています。 h…

ゆっくり本を読む会

とにかく本をゆっくり読みすすめるというコンセプトの会。 ↓で読書会をやっています。 https://slow-reading.peatix.com/view 画像素材: https://www.photo-ac.com/

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  • 書評、映画評など

    書評、映画評など載せていきます

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    ゆっくり考えるラジオのまとめ。伝わるお話ができるようになりたいー

最近の記事

ここのところ体調が悪く今日から一週間ほど入院をするため今月は読書会や記事の更新控えさせていただきます。

    • 映画『夜明けのすべて』と味のない炭酸水

      映画『夜明けのすべて』を観た。劇場で観たかったけどいつの間に終わってしまったので、配信直後にサブスクで観ることにした。 どういう内容か簡単に説明すると、月に一度PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢と、仕事の同僚であるパニック障害を患っている山添のゆるやかな関係性の話だ。物語もなにか突拍子もないことが起こったりすることはなく、カタルシスもなく緩やかに進んでいく。ドラマ性よりドキュメンタリー風な作りになっている。 『夜明けのすべて』は妻と共に観たかった映画だ

      • 読書会の魅力について

        作品について背景知識をもとにうまく語っているコンテンツはネット上でも書籍でもいくらでもある。しかし、読書会ではそうではない。ぼくも含め、参加者多くの人は背景知識を持っていない人である。 そしてつっかえながら、回り道をしながら、話す人がいる。そして、それを皆がよく聞いてくれる。その空間がぼくは好きだ。 まあ、ほかの読書会はわからないが、少なくとも、ぼくの読書会ではそういう空間でありたいなと思いながら主催をしている。 ぼくは作品の前では誰もが平等だと考えている。ある作家に対して

        • 8/11 早朝読書会 宮沢賢治『なめとこ山の熊』2 レポ

          読書会をやってみて宮沢賢治『なめとこ山の熊』の読書会を7名でやりました。 今回は先週の続きで、「ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆きもを売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。〜」から最後まで読みました。 この作品はなめとこ山にいる熊とマタギの淵沢小十郎の話です。 一般的にマタギと熊は敵対関係にあると思われてます。が、この作品の熊と小十郎の間には緩やかな関係がある。熊たちは小十郎のことがすきであるが、銃を向けられるのはすきではないと、あったり、小十郎の

        ここのところ体調が悪く今日から一週間ほど入院をするため今月は読書会や記事の更新控えさせていただきます。

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        記事

          『百年の孤独』と忘れる読書について

          『百年の孤独』の文庫版が今年6月に発売された。これがとても売れているらしい。近所の図書館の館長さんに話をきいてみたが、図書館でも予約が一杯なんだと。 文庫版は発売前から界隈では話題であり、Amazonでも発売前から文学・評論カテゴリの一位であった。それの現象みたぼくはミーハーモードとなり、発売日の一日後に書店にて購入した。書店では『百年の孤独』フェアのようなものを開催していて、ガルシア・マルケスや他のラテンアメリカ文学や著作が置かれている中に池澤夏樹監修の「ガブリエル・ガル

          『百年の孤独』と忘れる読書について

          よくわからないことを許容するために

          とうとう仕事やめた。 前の仕事に生きがいを感じていないので、その仕事ができなくなることは別にいい。今ある不安はお金が減っていくこと。でも、まだ貯金は少しあるのでしばらくは大丈夫だと言い聞かせる。あと職場でできた人間関係をリセットするのはスッキリはしない。もやもやが残る。吉本隆明の「関係の絶対性」という言葉のとおり、ぼくらは関係性に縛られている。 ぼくら夫婦はどちらも精神障がいを患っている。精神障害者保健福祉手帳を持っており、ぼくが3級で、妻が2級で。妻のほうが重い。なので

          よくわからないことを許容するために

          ハーマン・メルヴィル『バートルビー』について

          ちょっとでも本や映画が好きだったら、ほとんどの人は心の支えとなっている作品があると思う。ぼくにとって、ハーマン・メルヴィルの『バートルビー』はそれである。道から少しでも外れて不安に思ったとき、『バートルビー』はいつも考える方向を示してくれる。 少し『バートルビー』の内容を説明すると、ウォール街の一角の法律事務所で雇われた「バートルビー」という名の青年の話である。最初は普通に仕事をしていたが、突然「しないほうがいいのですが」と言い何もしなくなり、最後は生命を失ってしまうのだ。

          ハーマン・メルヴィル『バートルビー』について

          近況について

          また、仕事をしばらく休むことにした。今年2回目。多分もう今の仕事は辞めると思う。 半年ぐらいは普通に仕事できていたし、読書や読書会、noteを書くこともできていた。また、家族とも楽しくやっていた。しかし、7月末から今にかけてぼくの体調と、家族の体調、仕事すべての両立が難しくなってしまった。 noteの更新が止まってしまったのはその間で悩んでいたからだ。 これまで仕事でのぼく自身のありかたにずっと疑問があった。それが「ゆっくり本を読む会」立ち上げの理由の一つとなっている。な

          六冊目『世界は「関係」でできている』カルロ・ロヴェッリ 感想

          20世紀初頭、物理学の世界では古典力学から量子力学へのパラダイムシフトが起こった。古典力学では自然を外部から客観的見据え、観察する視点により世界を解明しようとしていたが、二重スリッド実験に代表されるように量子力学では観測することにより世界を変化することがわかった。ということは、観測外では対象がどのような状態であったか、わからず、絶対に到達できないということである。 『世界は「関係」でできている』ではその観測というもの自体に特権的地位を与えられていることに疑問を投げかける。観

          六冊目『世界は「関係」でできている』カルロ・ロヴェッリ 感想

          8/4 早朝読書会 宮沢賢治『なめとこ山の熊』1 レポ

          読書会をやってみて宮沢賢治『なめとこ山の熊』の読書会を6名でやりました。 今回は最初から「〜くろもじの木の匂においが月のあかりといっしょにすうっとさした。」まで読みました。 この作品は、淵沢小十郎というマタギの大男?と熊たちの話です。 読書会では作品に出てくる宮沢賢治?自身の語りに着目しました。語り手が出てくるシーンがあまりないので、ぼくは一人で読んでいるときは気づきませんでしたが、注意深く読むと語り手の一人称が「私」から「僕」に変わるところがあります。 冒頭では一人称

          8/4 早朝読書会 宮沢賢治『なめとこ山の熊』1 レポ

          みんなサークルを作ろう!

          「ゆっくり本を読む会」のnoteを作って2周年がたった。この会の創立をいつにするかは色んな解釈の仕方があると思う。例えば最初にnote記事を上げたとき、最初に読書会を開催したときなど。まあでもとりあえず会を立ち上げて2年ぐらいたった。1年ぐらい活動していない時期があったけど。 この2年間で主に読書会を中心で活動してきた。けど、この「ゆっくり本を読む会」は読書会だけのサークルではない。ぼくのnoteの記事や、podcastや、今後フリーペーパーを作ったり、同人誌作ったり、ぜん

          みんなサークルを作ろう!

          五冊目『マルクスその可能性の中心』柄谷行人 感想

          世界を世界たらしめているものとはなんであろう。なぜ、世界はこのようになっているのか。その問いがぼくらを「読むこと」に向かわせる。「読むこと」は世界を理解しようとする、志向性である。 ぼくらが読んでいるものはジャンルによって分類されている。 例えば小説、評論、詩など。そして小説の中でも、ミステリー、SFに細分化される。 分類とは何だろう。なぜ人は作品をーーいやそれに限らず人だってモノだってなんだって、分類し細分化し整理するのだろう。それは人類が対象を解釈しやすく、わかりやすく

          五冊目『マルクスその可能性の中心』柄谷行人 感想

          書くことが目的で何が悪い?

          情報だけを羅列して書くのは簡単だ。そこに自分が本当にどう考えるのか書いていくのはなかなか難しい。 仕事しはじめた頃、「お前の喋り方は社会人の喋り方じゃない」と言われたことがある。当時、確かにうまく喋れなくておどおどしていた。そこから何年か仕事をしていくと、なんとなく社会人っぽい話し方を身に着けていった。周りの人ともなんとなく話すことができるようになった。 こうした、「社会人的な話し方」ってなにか武装しているようなものだ。本来の自分では話すことはできないから、「社会人」とい

          書くことが目的で何が悪い?

          仕事から考える

          上司に「もう少し責任のあるところで働いてみない?」みたいなことを言われたが、お断りさせていただいた。 聞いた瞬間から今のゆるい働き方はできなくなるなと思ったので、すぐ断るのがよかったのだけど「どんな仕事内容なのか?」とか詳しく聞いた上で断った。やっぱり即答で「できません!」と断るのは抵抗があった。 長年、労働者の立場で働いていると、主体性が失われていく。どんな仕事が来てもなるべく「はい!できます!」と言った方がいいんだろうなと思ってしまう。もし、その仕事がどうしても難しか

          朝の10分間読書について

          中学生のとき学校で朝の10分間読書なるものがあった。これは、朝礼後10分間ただ好きな本をひたすら読むだけの時間だった。特に本の感想とかは求められない。調べてみるとこの活動は、「朝の読書運動」と呼ばれているみたいで、以下の4原則があるようだ。 みんなでやる 毎日やる 好きな本でよい ただ読むだけ 以上 さらに調べてみると、2001年に文部科学省が「21世紀教育新生プラン」と銘打って、あいさつのできる子、正しい姿勢と合わせて、朝の読書運動を3つの柱のひとつとして取り上げ

          朝の10分間読書について

          きままにかいてみる

          実は最近、書く体力をつけたくて密かに毎日投稿を続けている。もう21日目になる。毎日投稿始めたての頃は、2000字以上の文章を書けたが、そろそろネタ切れになってきた。書くのは単純に体力を使う。持久走と同じで最初のうちはある程度書けるが、どんどんスタミナが切れてくる。今日はしんどいので、箇条書きで考えていること指が動くまま書いてみる。 ぼくと妻は話している会話がぜんぜん違う。妻は子どものこととか日常に起きたことをよく話す。ぼくは「今この本読んでて、この登場人物がなになにで〜」「

          きままにかいてみる