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六冊目『世界は「関係」でできている』カルロ・ロヴェッリ 感想

20世紀初頭、物理学の世界では古典力学から量子力学へのパラダイムシフトが起こった。古典力学では自然を外部から客観的見据え、観察する視点により世界を解明しようとしていたが、二重スリッド実験に代表されるように量子力学では観測することにより世界を変化することがわかった。ということは、観測外では対象がどのような状態であったか、わからず、絶対に到達できないということである。

『世界は「関係」でできている』ではその観測というもの自体に特権的地位を与えられていることに疑問を投げかける。観測するには人間の目、鼻、口、耳など情報を感知する器官と、情報を判断し、統合する脳が必要となる。それらは他の対象物と別のものではなく、同じように自然のシステムの内部にあるものだ。それら人間の物事を認知する器官は、特権的地位を与えられてはおらず、自然の外部へも位置していない。すべて自然の一部なのだ。

だとしたら、存在というものをどう捉えればよいのだろうか。ぼくたちの認知では、眼の前のコップは確かに存在する。それは観測によってである。しかし、量子力学の考えでは観測していない大方の部分のことはわからない。

本書ではここで「関係」という考え方を提出する。世界は、ある対象と他の対象の関係によって存在する。例えば、「観測者」は「コップ」を認識することでコップは存在する。2つの相互作用が存在という形で現れるのだ。「観測者」は「コップ」以外にも、「コップ」と「虫」の間にもある。それぞれの間には別の世界が広がっているのだ。だからこれまで特権的地位を与えられていた観測者は他の対象と同じ位置に属することになる。
ここに「観測」から「関係」へのパラダイムシフトがあるのだ。

たしかに、観察するとき人間の主観だけで対象を変化させることはできないし、完全に客観的ではなさそうだ。人間と対象の間部分に認知がありそうである。

これは、人と対象だけではなく、人と人との関係にもいえそうだ。例えばAさんに対して、Bさんは性格が悪いと認識しているが、Cさんはとても優しい人だと認識するケースは往々にしてある。Bさんにとっての世界の構成要素として性格が悪いAさんいる。Cさんにはとても優しいAさんが世界の構成要素としてある。その一つの要素でしかないが、CさんとBさんでは別の世界が広がっているのだ。

自分が見ている世界とは別の世界があると認識するのは、倫理においてもとても重要なことだ。独我論に陥らないためにも量子力学の世界を感じることは大事なことだと考える。


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